#3【毒親育ち】笑顔と言葉を失った私|信じていた大人への失望
「言葉」を失った幼少期
幼少期、私は「言葉を発すること」を
諦めていた。
それは、信じていた大人たちに
何度も裏切られたからだ。
助けを求めても、誰も助けてくれなかった。
物心ついた頃から小学校高学年になるまで、
自分から話しかけた記憶はほとんどない。
返事は「うん」「ううん」。
あとは相槌か、愛想笑い。
もちろん、友達は0だった。
いじめっ子と親
そんな私には、
何も言わないことをいいことに、
たくさんのいじめっ子が寄ってきた。
一人でいても、必ず絡まれる。
どうにか幼稚園や学校では
やり過ごしていたけど、
厄介なのは母の存在だった。
よりによって母は、
いじめっ子の親と意気投合してしまう。
幼稚園のお迎え後や放課後は、
その子と親子で遊ぶはめに。
地獄のようだった。
やっと一日を耐え抜いたのに、
辛い時間が延長される。
「今日もSちゃんともっと遊べるよ。
よかったじゃん。」
そう言って上機嫌な母。
母は自分と似たような派手なママ友と
会うのが楽しみで、
いつも以上に化粧と服装に
気合いを入れていた。
「自分が会いたいだけなくせに」
「毎日いじめられてる私のことなんて、
どうでもいいんだ」
何も言わなくても、
心の中では言葉が溢れて止まらなかった。
そんな母に「行きたくない」なんて、
絶対に言えない。
様子を見て、空気を読んで、
今日も私は言葉を飲み込む。
守ってくれない母
母は、私がSちゃんにいじめられているのを
知っていた。
それでも母はこう言った。
「やり返さないあんたが悪い」
その時の私は疑うこともできず、こう思った。
「私がいけなかったんだ」
でも今なら分かる。
悪いのは、物を取り上げる、暴力をふるう、
滑り台から突き落とす。
そんなことをする側に決まっている。
それを知っていて、
自分の楽しみを優先する母。
「ごめんねー、ホント気が強くってー」
それで済ませるSちゃんママ。
まさに「類は友を呼ぶ」だった。
黙ることでしか生きられなかった
この頃から私は、
「私が我慢すれば、この場がおさまる」
と思うようになっていた。
それから少しずつ
「助けて」「悲しい」「嫌だ」
という感情が薄れていく。
「どうせ何を言っても無駄」
「大人は助けてくれない」
そんな思いだけが、気づかぬうちに
私の心に沈んでいく。
そして、笑顔と言葉を失った生活が
始まった。
言葉を失った理由はもう一つある。
母の機嫌が悪いときに
うっかり話しかけてしまうと、
内容に関係なく怒鳴られる。
「何で今話しかけるんだよ!お前のせいで!」
胸ぐらや髪の毛をつかまれ、
床を引きずられることもあった。
忙しいとき、機嫌が悪いとき、
何かに集中しているとき。
どこで地雷を踏むのか分からず、
常に怯えていた。
話しかけていいかどうか、毎回一か八か。
だったら話しかけないほうがいい。
そうして私は、自然と「黙る」という術を
学習してしまった。
母だけじゃない。
Sちゃんママ、周囲の大人たち。
誰も信用できなかった。
この頃から、私は完全に心を閉ざし、
“笑う”という感情を
どこかに置き忘れていった。
今の私
写真の中の私は、いつも笑っていなかった。
それでも今の私は、
少しずつ笑えるようになっている。
あの頃の私を思い出すたび、
今でも胸が痛む。
でも今は、自分の心を取り戻しつつある。
もう「黙って耐える私」ではない。
そんな自分を、
これからもずっと大切にしていきたい。

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