#2【毒親育ち】“可愛い”を演じながら、感情を殺して生きていた私
お人形さん
幼い頃の私は、
いつもお人形のような格好をしていた。
どこに行っても大人たちからは「可愛い」
と声をかけられ、注目を浴びた。
普通なら嬉しいはずのその言葉が、
私には少しも嬉しくなかった。
苦痛だったファッション
毛皮のコートを着れば、
口や目に毛が入って息苦しい。
フリルのスカートは動きづらく、
靴は重くて痛い。
それ以上に、母の選んだ服は目立ちすぎて、
引っ込み思案な私にとって
苦痛でしかなかった。
髪にはパーマをかけられた。
子どもにとって美容院の3時間は長く、
退屈で、苦痛だった。
ウトウトすると、美容師が両側から
頭を押さえながら施術していたのを
覚えている。
勇気を出した一言と母の怒声
友達の多くは、
キャラクターの服やスニーカーを履いていた。
それが羨ましくて、
一度だけ勇気を出して言ってみた。
「私もあの靴、履いてみたいな」と。
その瞬間、空気が凍りついた。
母の顔がみるみる鬼のように変わっていった。
「あんな恥ずかしいの
履かせられるわけないでしょ!」
「みんなが持ってない、
こんないい物を履かせてあげてるのに、
何の文句があるの!」
「いくらすると思ってるの!」
たくさん言いたいことがあった。
「こんなの着たくない」「重い」
「動きづらい」
「可愛いと思ったことなんてない」
でも、選択肢は一つしかなかった。
「ごめんなさい」
せっかく勇気を出して伝えた気持ちは、
一瞬で踏みにじられた。
その日、私は悟った。
自分の気持ちは言ってはいけないと。
そうして「感情を殺す術」を身につけた。
その積み重ねが、大人になった私を
「自分の気持ちがわからない人間」に
していった。
お金とケンカ
あの頃の服や靴は、
父の実家からお金を借りたり、
借金をしてまで揃えたものだった。
もちろん私のためではなく、
両親自身の見栄や欲のために。
お金のことで言い争いになると、
決まって大喧嘩に発展した。
テーブルがひっくり返り、
食器が割れる音が響く。
私はそのたびに、泣きながら震えていた。
写真の中の私
当時の私は、あんな服なんて欲しくなかった。
嬉しいことなんて一つもなかった。
でも今、写真を見返すと、
お嬢様みたいで「これはこれで可愛いか」と
思えるようにもなった。
写真の中の私は、いつも笑っていない。
笑顔は一つもない。
それでも今の私は、
少しずつ笑えるようになった。
もう、“可愛い”を演じなくても、
私は私でいられる。

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