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28,899匹を捕まえた猫の、静かな仕事。

ウイスキーの世界で、ギネス記録を持つ存在がいる。
蒸留所のマスターブレンダーでも、伝説の蒸留技師でもない。

一匹の猫だ。

その名は、「タウザー」。


ウイスキー蒸留所と猫は、昔から静かな同盟関係にあった。
ネズミの好物である原料の大麦を守るため、猫は「番猫(working cat)」として迎えられ、れっきとした従業員でもあった。従業員待遇はというと、給餌あり・名前あり・寝床あり。出勤簿はなく、派手さもないけれど、ちゃんと役目のある仕事だ。


静かな蒸留所の片隅で、猫は眠ったり、耳を澄ましたりしながら、ゆったりとした時間を過ごす。まるでウイスキーがゆっくり熟すように。
けれど、いざネズミを見つけると一瞬で動く。
毛皮を着たセキュリティ――そんな言い方が、しっくりきそうだ。


「タウザー」は、1960年代から1980年代にかけてスコットランドのハイランド地方にある、グレンタレット蒸留所で飼われていた、雌の三毛猫だ。「タウザー」なんていうから、勇ましい雄猫かと思いきや、実は雌猫。

──だからといって、あなどるなかれ。
彼女が生涯で捕まえたネズミはなんと、28,899匹。

仕留めたネズミを毎日、蒸留棟に運んでいき、その数を蒸留所のスタッフが記録していた結果が、この数字。
もっとも、人目につかない場所でこっそり捕まえた“未申告分”が、まだいるかもしれない。

なんとも律儀で、仕事熱心な猫ちゃんである。

この功績が認められ、タウザーは
「最も多くのネズミを捕まえた猫」として
ギネス世界記録に登録された。




蒸留所は、原料や設備、人の手、そして時間が揃ってはじめて、ウイスキーが生まれる場所である。どれも目立たないけれど、欠けると確実に困る仕事ばかりである。

蒸留所文化には、そうした「当たり前の仕事」を大切にする空気がある。
タウザーが担っていたのも、その一つ。
ネズミを捕るという行為は、大麦を守り、結果としてウイスキーを守ることにつながっていたのだ。
特別な使命感があったわけではなかっただろう。ただ、蒸留所という場所に馴染み、そこで必要とされる役割を自然に果たしていただけだ。

28,899匹という数字は、武勇伝というより、蒸留所の日常が積み重なった結果なのかもしれない。


タウザーは1963年4月21日に生まれ、1987年3月20日に亡くなった。
享年23の大往生であった。
だが、ギネス記録を打ち立てるのには、「わずか」23年だ。

タウザーは亡くなった後、蒸留所の敷地内に像として残されている。

グレンタレット蒸留所は、低い丘に囲まれた小さな谷――“グレン”の中にある。そばにはタレット川が流れ、湿った土の匂いと草の気配が、いつも空気に混じっている場所だ。

タウザーは今も誇らしげに座って、蒸留所を守りながら、その景色を見ている――そんな気がする。


静かな倉庫で、毎日ネズミを待ち構えていた一匹の猫。
タウザーは、ウイスキーの裏側にある「名もなき働き」を、世界に可視化した存在だった。


蒸留所を訪れた人が、何気なくその像を撫でていく。
その人が飲むグラスの中にあるのは、蒸留所の技術だけではない。

人の手と、猫の働きと、積み重ねられてきた日々の記憶。

思いを馳せて飲むと、ウイスキーがいっそう染み入る味になる。



では、また。



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