塀の外の懲りない私 Part3 人間の屑とバカな私の1年間
下記の続編にもなるが、私の経営コンサルタントの顧問先で、障がいを持った人を騙した男のその後である。
先日、屑の第一回目の公判があった。
起訴状朗読と罪状認否の時の、この男の目と態度を見たかったのだが、諸事情により15分遅刻した。
私が法廷に入った時は、裁判官と検察官が、次回後半期日の打ち合わせに入る所だった。
次回更に追起訴、その後もう一度追起訴する可能性もある、と述べる検事の言葉を聞き、ふと不思議に思った。
その前に、上記の内容を分かり易く説明する。
例えば一万円を盗み逮捕されると、窃盗罪という罪名が付く。この罪で検察官に起訴され、裁判所で公判が開かれる。
まず検察官が起訴状を朗読する。
「被告人、山田太郎は令和4年1月1日、午後10時10分頃、他人のお金と知りながら故意に一万円を盗み自己の遊興費に充てる目的で、上記犯行に及んだものである。
罪名 窃盗罪。罰状 刑法255条。以上」。
次に屑・・・、もとい、被告人が、裁判官の前に立たされ、罪状認否、つまり今読み上げた検察官の主張が正しいか否かを聞く。
被告人が認めると、次に弁護人の意見を聞く。
とまあ、こう言う形式で終わり、次回期日を決める。
さて本題に入る。今回私が不思議に思った理由は以下の様になる。
次回、追起訴があるという事は、更に別件で既に再度逮捕された、ということになる。
上記の例えでいうと、今回の起訴の理由は上記一万円を盗んだ件での起訴。しかし後に隣の家でも五千円を盗み逮捕した。この件でも再度起訴する、という訳だ。
さてこれを実話に当て嵌めると、一つ目と二つ目の罪は同じ罪状なのでそんなに大差はない。
しかし2件盗みを働き逃げる際、これを制した人を殴った。これは別の罪なので、再度逮捕し、追って検察が起訴する事となる。
上記の例えで説明すると傷害か暴行罪、又は事後強盗罪の恐れがあるので、罪名と罰状は窃盗と違い、罪が加重され重くなる。
そこで色々と考えた結果、多分こう言う事だろう、と思う。
本件は3度目の起訴。即ち「障がいのある方を騙し、財物を搾取した」か「障がいのある方の財物を横領した」かだと思う。
財物を自己が占有した、これは事実である。
「騙して搾取」は詐欺罪。財物を横領したら「業務上横領罪」という罪で逮捕する予定がある、検察官の言葉はこう言う事だと思う。
その場合、3回目の逮捕、起訴となり、上記のルーティンとなる。
そして公判を繰り返し、最後は裁判官が判決を下す。
これ以上は差し障りがある上、此方も考えてる事があるので、公判のことはこれ位にする。
約数ヶ月、拘置所に入れられたこの男は、ワイドショーで見た顔ではあったが、反省もない、悪の目つきであった、
あの野郎!という様な目に見えた。
3度目の追起訴とすれば、警察が近日中に逮捕をする事になる。
警察が、こまでやるかは分からない。詐欺や横領はその意思がないと言えば、立件が難しい。だから今後どうなるかは分からない。
しかし、この世は因果応報で成り立っている事を忘れてはならない。
何もこの最後の件の罪の立証が至難で、最初の二件で終わる事となれど、屑の行った行為の報いは、いつか必ず来る。
私が独自に調べた範囲では、少なくとも10年はこんな事を繰り返し、この屑は生活していた様だ。
私見で言わせて貰うが、彼には逮捕された時点で、名誉も地位もなかった。
ただ障がいを持つ方を騙し、現在会社を興しているという事実がある。この会社に屑は全てを賭けていた。
障がいを持つ人の財物で、だ。
よく考えて欲しい。
この世に私さえいなければ、彼はこの日、裁判所に手錠をかけられ連行されず、何食わぬ顔をして新会社で儲けていたかもしれない。
しかし犯罪や悪事というものは、必ずどこかでばれて報いが来る。
そう考えると今回、逮捕された事を彼は喜ぶべきである。
今後も私は、この障がいのある方を必ず守る。ここまで書くと言うことは、つまりそう言うことだ。
柳原廣一と書いた名刺を数十枚。
YANAGIHARAジムステッカーを数十枚、この被害者に渡した。

「もしあいつが来たら、ステッカーを見せて、僕の名刺の電話番号に電話させて下さい」。
そう言うと、被害者であるこの方は、ハニカミながら笑ってこう言った。
「本当に会長、その時は来てくれるんですか」?
満面で照れた笑顔で、確かにそう言った。
泣きたくなった。
なんでこんなピュアで、抵抗もできない人をこの屑は騙せるんだろう、と。
「僕はスーパーマン。嘘は言いません、どこでも飛んで行きます」そう言うと、また照れた顔で確かに笑った。
スーパーマンは泣いてはならないので、我慢した。こんなバカは、私1人でいい。
私は今、贅沢をせず週の4日、卵かけご飯で過ごし相変わらず古本を買って読み、飲料は全てディスカウント店で買う。
何故?
会社の財政が今は良くないから。
これ位の事は当たり前の事で、苦にもならぬ。
命を落とすわけでもなく、白いご飯にありつける。
従業員に給料を払い、選手を育て、未来に向けてやる事への先行投資をし、困った人を助けてとお金が出ていくのは当然である。
本当に人間に大切な事は、心の在り方である。
これを分からずしては財は為さぬ。
師と義を持てと言うのは、昨日今日言われた事ではない。これを忘れ、財を為そうとし、得とするから屑というのだ。
破れざり、愚を犯し、屑と言われるのは、己の事しか考えず、己だけ逃げ道を考える者だから屑という。
この原理は古今東西、普遍である。
そして、この屑が拘置所で食べるお米と、私の食べるお米は誰がなんと言おうと、決して同じ米ではない。
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