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京都通常非公開寺院めぐり「正法院/專故院/西照寺/末慶寺/玉樹寺/宝蓮寺/長圀寺」―中堂寺に眠る七ヶ寺【京都島原シリーズ/烏丸四条五条シリーズ/京都駅周辺シリーズ/京都ツウシリーズ】

寺院が所在する「中堂寺」を通ったので記録。「中堂寺」という地名は、古くは比叡山延暦寺の横川中堂別院として創建されたとされる天台宗の寺院「中堂寺」に由来するとされています。中堂寺一帯は、戦国時代の戦乱(永禄の変など)で焼き払われた記録が残るなど、歴史的に大きな変遷を遂げた地域です。

いつか特別開扉で訪れるであろうと思ったので記録しておきます。

変更履歴

2026/07/02:初版


▼正法院:京都府京都市下京区松原通大宮西入坊門町845

▼專故院:京都府京都市下京区中堂寺西寺町6−6

▼西照寺:京都府京都市下京区中堂寺西寺町12


▼末慶寺:京都府京都市下京区中堂寺西寺町14

  • 1361年: 心譽上人によって近江国(滋賀県)に創建される。浄土宗西山禅林寺派に属し、地方の念仏信仰の中心となった。

  • 14世紀後半〜15世紀(室町時代): 南北朝・室町期の戦乱の影響を受け、寺領維持が困難となり、寺は山城国(京都)五条付近へ移転したと伝わる。

  • 1592年頃(文禄年間): 豊臣秀吉による京都の都市改造(寺町整備)の際、寺院が再度移転。現在の下京区中堂寺西寺町に落ち着き、地域寺院としての基盤が固まる。

  • 江戸時代: 西寺町周辺に並ぶ多くの浄土宗寺院とともに、法灯が継承され、檀家を中心に信仰が栄える。都市寺院として落ち着きを見せ、堂宇の整備が進んだ。

  • 1868年: 鳥羽・伏見の戦いで京都市街が戦火に巻き込まれ、末慶寺も影響を受けて伽藍の一部が焼失。地域住民の避難場所にもなったと伝えられる。

  • 明治時代: 失われた伽藍の再建・復興が行われ、近代以降も西寺町の一角を支える寺院として存続。

  • 現在: 浄土宗西山禅林寺派寺院として、静かなたたずまいの中で法要・供養を営む地域寺院としての役割を担い続けている。

▼玉樹寺:京都府京都市下京区中堂寺西寺町17

  • 寺院の詳しい創建年は不詳ですが、江戸時代の著名な産科医である賀川玄悦(かがわげんえつ)の墓所として知られています。

  • 賀川玄悦は、著書『子玄子産論』の中で、世界で初めて胎児の姿勢を「背面倒首」と喝破した人物です。

  • 寺院が位置する中堂寺西寺町一帯は、豊臣秀吉の都市整備により多くの寺院が移転・集積した地域の一部です。

  • 現在: 浄土宗の寺院として、地域住民に親しまれています。

◇ 賀川玄悦とは(要点まとめ)

  • 江戸中期の産科医・医学者。

  • 産婆(助産師)教育を体系化し、実技と倫理を重視した指導を行う。

  • 玄悦が編み出した「賀川流産法」は当時として革新的で、難産時の救命率を大きく改善。

  • 著書『産論』『産科要論』などは、近代産科学成立以前の日本で最も体系的な産科書。

  • 京都・六条河原町付近に医塾を構え、多くの門人を育成。

  • 「賀川学校」と呼ばれ、各地の産婆たちの資格認定の中心となる。

  • 京都市内の寺院・西福寺に墓所があるとされる。

▼宝蓮寺:京都府京都市下京区中堂寺櫛笥町11−1

  • 13世紀(時期不詳):

    • 当山開基の釋真證(しゃくしんしょう)は、源平合戦の宇治川の先陣争いで知られる佐々木四郎高綱の弟、六郎秀綱であると伝えられています。

    • 秀綱は親鸞聖人に帰依し、「釋真證」の法名を賜り、宝蓮寺の開基となりました。

  • 1582年: 本能寺の変により京の都が戦火に見舞われた際、当時の住職である釋覚照は一時的に京都を離れ、現在の三重県に平等山願淋寺(がんりんじ)を建立しました。

  • 時期不詳(江戸時代):

    • 宝蓮寺は、萬里の小路(までのこうじ)(現在の柳馬場三条下る付近)に所在していました。

    • この場所は、前田家という医者が住んでいたことで知られ、**「前田町」**の町名の起源ともなっています。

  • 1868年: 慶応4年に起こった鳥羽・伏見の戦いにより、萬里の小路の境内地が全焼しました。

  • 明治時代(時期不詳):

    • 焼失当時、宝蓮寺には現在の櫛笥町に別邸(隠居所)があり、そこに仮移住しました。

    • その後、現在の地である中堂寺櫛笥町に本堂を再建し、移転しました。

  • 現在:

    • 浄土真宗大谷派の寺院として、洛中(京都市内)の寺院には珍しく、墓地を所有しています(中堂寺村がかつて洛外であったため)。

    • 境内には、梥本一洋(まつもと いちよう)画伯の作品や、門徒の田中佐一郎画伯による襖絵などが所蔵されています。

▼長圀寺:京都府京都市下京区中堂寺西寺町28

  • 1505年: 永正2年明譽上人によって、山城国(京都)の五条付近に創建されました。

  • 時期不詳(室町時代末期): 創建された後、戦乱や都市整備の影響で移転を余儀なくされました。

  • 1592年頃: 文禄年間、豊臣秀吉による寺町整備の一環として、寺院が**現在の地(中堂寺西寺町)**に移転し、定着しました。

  • 時期不詳(江戸時代): この地で法灯が継承され、地域の浄土宗信仰の中心の一つとして栄えました。

  • 1868年: 鳥羽・伏見の戦いによる戦火の影響を受け、伽藍の一部が焼失しました。

  • 明治時代(時期不詳): 焼失した伽藍が再建・修復され、現在に至ります。

  • 現在: 浄土宗の寺院として、地域住民に親しまれています。

▼メディア情報

これ以降は本NOTEの下にあるコメント欄で追記します。

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