三島鴨神社周辺なぜ唐崎神社は二つあるのか? 「番田神社/大塚神社/都城神社」三島鴨神社若宮との関係と水辺信仰のネットワーク【大阪北摂シリーズ/長岡京シリーズ】
「三島鴨神社の若宮」の「唐崎神社」だが、唐崎神社境内にもあるのに、なぜここにもあるのか??
南に淀川、西に芥川が流れる番田に鎮座する「番田神社」は「大塚神社」の分社。下鴨神社、廣瀬神社など川の合流点を護る神社なのかも。
滋賀・日吉大社の「唐崎神社(私のNOTE)」は次の通りで、こちらも水がすぐある場所ですね。
変更履歴
▼唐崎神社
HP
アクセス:大阪府高槻市唐崎中4丁目10
祭神:大山祇神、天児屋根神、菅原道真
→由緒
古代唐船が停泊した河岬に由来するという説や、渡来人が居住したことに由来するという説があり、辛崎とも書かれた
1908年、三島鴨神社に唐崎神社が合祀
1975年、三島鴨神社遥拝所として鎮座
→境内
唐崎公民館の前で、公園の中に鎮座している。





→メディア情報
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▼淀川と芥川への境「番田神社」大塚神社の分社
HP
アクセス:大阪府高槻市唐崎中4丁目10
祭神:大山祇神、天児屋根神、菅原道真
南に淀川、西に芥川が流れる番田に鎮座する「番田神社」は「大塚神社」の分社。下鴨神社、廣瀬神社など川の合流点を護る神社なのかも。
▼造化三神2柱を祀る「大塚神社」番田神社はここの分社
HP
アクセス:大阪府高槻市大塚町2丁目33−19
祭神
高皇産霊神(タカミムスビノカミ)
神皇産霊神(カミムスビノカミ)
→由緒
大塚に古くから鎮座
1335年、大洪水により二神の木像が流れ着き、これを僧侶・恵慶(えいけい)が祀ったことがはじまり
タカムスヒとカミムスヒは、地万物を生み出す神で最初に現れた造化三神で、神様の頂点の3柱の2柱である
大塚神社は現在の場所より淀川べりに位置した
1941年、淀川改修工事のため、堤防が後退したのに伴い、現在の地に遷座した
1~2キロ離れた番田には大塚神社の分社・番田神社が鎮座
大塚小神社「大塚殿」について
平安時代後期(九世紀中頃)、清和天皇が皇子・陽成天皇に譲位した後、靖国巡りをここに立ち寄る
淀川の風景を楽しみ、天皇は松の木に冠をかけたまま帰国される
気づいた村人はその王冠を埋めて「王塚」と名付けた
天皇の没後社殿を設けて青和天皇の霊を祀った
→大塚小神社「大塚殿」
大塚の地名伝承・「大塚殿」
大塚おおつかには次のような伝承があります。「平安時代、清和せいわ上皇が諸国を巡られた際、当地で淀川の美しい風景に心を奪われ、松の木に掛けた冠かんむりを忘れたまま帰ってしまわれた。気づいた村人たちは恐縮し、冠を埋
めて「王塚おうつか」と名付けた。上皇の没後、塚に社殿を設け御霊を祀った。」 その社がこの大塚小神社「大塚殿おおつかでん」と伝わります。
大塚の地名は、この 「王塚」が転じたものともいわれています。
平成28年3月 高槻市教育委員会
→メディア情報
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▼「都城神社」
HP:--
アクセス:大阪府高槻市深沢本町10-5
祭神:都城大神
→由緒
由来
700年前に九州の高千穂、都城の武士が京都に行く途中、この地(高槻市深沢)で逝かれ神となられたが、お告げにより、この地域の守り神として神社建立した
昭和元禄というも、世界に目を移せば戦争や又干ばつによる飢餓みまわれ人類にとって生命の尊厳がうしなわれる時代において大きくは人間としての「心のやすらぎ」とひいては地獄の守護神として都城大神を奉り建立するものです。
みやこのじょうおゝかみは今を去る700年の昔鎌倉武士として九州霊峰高千穂の在の都城より京都へ上洛しその名を馳せ心半ばにして当地に逝かれるが修行に修練をかさね神とならせられる。
▼メディア情報
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▼旅行記
京都・滋賀の梅巡り!LAGO大津!梅と桜のコラボ名所!50年ぶり特別公開◆京都右京⑮滋賀湖西⑬大阪キタ⑥◆|やんまあ@旅行記
大阪の旅行記は次を参照
▼セットで行くところ:
04.大阪
大阪北摂シリーズ
長岡京シリーズ
▼仏像展
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