広島福山の国宝寺「明王院」33年に1度の御開帳【広島シリーズ/広島福山シリーズ】
五重塔と本堂が国宝!!国宝の本堂に安置されている「十一面観世音菩薩立像@重文」は、33年に一度の御開帳!ここより古い五重塔は法隆寺(私のNOTE)、室生寺(私のNOTE)、醍醐寺(私のNOTE)、海住山寺(私のNOTE)ですという感じの古寺である。
秘仏公開の模様は『★秘仏公開★33年に1度「明王院」★仏像展★「ふくやまの仏さま-国宝明王院本堂本尊33年ぶり特別公開記念」|やんまあ』を参照。
変更履歴
2025/07/27:初版
▼HP▼アクセス
公式HP:http://www.chisan.net/myooin/
アクセス:広島県福山市草戸町1473
▼祭神・本尊と脇時
※後述「▼見どころ」参照
▼見どころ
→歴史
愛宕山中腹近くにあり、眼下に草戸千軒町遺跡を見渡す位置にある
正式名を「中道山円光寺明王院」と称すが、創建当時は「常福寺」だった
国宝の「本堂」「五重塔」を有する真言宗大覚寺派の古刹
807年、弘法大師の開基
鎌倉時代末期、本堂再建
室町時代前期、五重塔を建立
1619年、福山藩主・水野勝成の庇護を受ける
三代目福山藩主・水野勝貞は常福寺と明王院を合併
合併後の明王院は、本山として末寺四十八寺を擁していたとされる

→十王堂草葺/山門/鐘楼
山門は、寺の入口にある大きな門です。明王院の現在の山門は、1614年に、それ以前の山門を再建したもの。








→五重塔@国宝
1348年、室町時代の国宝。五重塔は全国の国宝塔の中でも5番目の古さを持つ美しい塔と言われている。表に描かれた、五大虚空蔵菩薩、裏に兜率浄土を描いた仏壇の来迎図は、明治に皇室に移され東京国立博物館に保管されている。



1348年、一文勧進小資を積んで造られた
一文勧進: 文字通り、人々から一文ずつお金を集める勧進活動のこと
小資: 小さな資、つまり少額の寄付金という意味です。
積む: 集める、積み重ねるという意味です。
内部は一重目中央に壇が設けられ、心柱が二重目から立ち上がる特異な構造
壇周囲の壁板に真言八祖行状図、四天柱には金剛界三十七尊、なげし天井などには、唐草文・花鳥・飛天などが描かれており、当初の彩色を残した塔は珍しいよう
ここより古い五重塔は法隆寺(私のNOTE)、室生寺(私のNOTE)、醍醐寺(私のNOTE)、海住山寺(私のNOTE)です
五重塔は、最上階の相輪伏鉢の刻名から、1348年(貞和4年)に民衆が一文勧進の小資を積んで建立されたことが分っています。1953年(昭和28年)に国宝に指定されました。
純和様の姿をとり、全国の五重塔のうち5番目の古さを誇り、中世密教寺院における現存唯一の遺例と言われています。
民衆が建てた塔としては日本最古です。
本塔の心柱が初重の天井で止まって浮いており、全国的にも珍しい例です。浮いているのは地震対策で、心柱制振と言われ、東京スカイツリーにも採用されています。
初重内部には広島県指定重要文化財の弥勒菩薩と不動明王、愛染明王の坐像が安置されています。これを囲む四天柱には金剛界の諸仏諸菩薩などの密教世界が広がっています。
明王院を愛する会
五重塔自体も開扉されることは珍しいのだが、安置されている仏像は次の通りです。
弥勒菩薩からいろいろのものが出てきた。
→本堂@国宝:本尊・十一面観音立像@重文
1321年鎌倉時代の国宝。空海創建と伝わる古刹で、全体に和様、細部には唐様を用いた折衷様式である。
本尊の十一面観音立像は平安前期作の重要文化財。33年の一度の御開帳!!



1962年から1963年、解体修理により,内陣蟇股に「紀貞経代々二世悉地成就元応三年三月十四日沙門頼秀」の墨書が発見され、鎌倉時代の元応3年(1321年)の建立であることがわかった
現本堂の下に本堂の前身と推定される掘立柱穴が点在することが発掘調査によって確認された
1621年、1690年の修理で改変を受けたが、解体修理によって元の設計に復元した
本堂平面は前面2間を外陣とし、後部を内陣とする典型的な本堂となっている
様式は全体的に和様の姿をとりながらも、その木割や細部には大幅に唐様が採用されている折衷様式の最も古いもの
外陣の輪だるき天井は極めて珍しい手法なようだ
厨子は春日厨子で扉の内側に蓮を描いており、十一面観音立像@重文を安置する
本堂@国宝
本堂は、内陣蟇股(かえるまた)の墨書から1321年(元応3年)に建立されたことが分かっています。1964年(昭和39年)に国宝に指定されました。
全体的に和洋の姿をとり、細部において唐様、大仏様を組合わせた瀬戸内海沿岸では最も古く、全国でも最古級の折衷様式の建物です。
本堂内部は、密教本堂の特徴である格子戸で厳格に仕切ってあり、格子戸の奥側が内陣と言われ仏様の空間です。外側が外陣(げじん)と言われ、拝礼する空間です。
内陣には、厨子に納められた国の重要文化財指定の十一面観音立像(秘仏 で33年毎のご開扉、次は令和6年の秋)や福山市の重要文化財の仏像が安置されており、外陣の天井には、日本で最初に寺院に用いられた輪垂木天井(わだるきてんじょう)があります。
明王院を愛する会
十一面観音立像@重文
本堂の本尊・秘仏として、須弥壇(しゅみだん)上厨子(ずし)内に安置されています。
左手は胸前に挙げて華瓶(けびょう)を持ち、右手は垂下して掌を開いて前に向け、右脚をわずかに踏み出し、蓮華座の上に立っています。頭上には単髻(たんけい)を結い、頂上に阿弥陀仏面、天冠台上の地髪に菩薩面三、忿怒(ふんぬ)面三、狗牙上出(くげじょうしゅつ)面三、背面に大笑(だいしょう)面、以上十面を一列に並べています。また、正面中央には化仏(けぶつ)(阿弥陀如来立像)を配しています。眼は彫眼(ちょうがん)(彫刻して彩色を施す)で半眼開きとし、薄めの唇を緩く閉じ、端麗な面相を示しています。着衣は条帛(じょうはく)・天衣(てんね)・裙(くん)・腰布・腰帯を着けています。なお、左足第一指先をわずかに上げているのは、衆生(しゅじょう)を救いに行く微妙な一瞬を示すものとして注目されます。
一木造(いちぼくづくり)で、本体と蓮華座の蓮肉(れんにく)部と共木で彫出し、下地は錆漆(さびうるし)(砥粉(とのこ)と漆を混ぜたもの)を施し、古色塗りとしています。なお、背面腰部辺りに嵌(は)め板があり、一部に内刳(うちぐ)りが施されているようです。
やや面長で、明快な目鼻立ちを刻み、肩を強く張り、胸回りは豊かで、両肘内側から胴をわずかに絞り、腰以下の肉付きも豊満に表し、どっしりとした姿態にまとめられています。また、衣の皺(しわ)(襞(ひだ))に見られる翻波式衣文(ほんぱしきえもん)(大小の襞を交互に繰り返すもので平安時代前期に多く見られる)や茶杓形衣文(ちゃしゃくがたえもん)(抹茶をすくう匙
(さじ)の先端の形に似る)の彫り口はやや深めであるなど、全体的に平安時代前期の作風が見られます。しかし、腰高の均整のとれたプロポーションになるのは平安時代後期になってからの特色であり、仏像彫刻史における平安時代の前期と後期の端境期(はざかいき)とされる10世紀前半に位置付けられる興味深い遺例と言えます。
明王院を愛する会

本堂の脇侍には「阿弥陀如来立像」と「阿弥陀如来立像」と「不動明王立像」を安置している。
秘仏公開模様は『★秘仏公開★33年に1度「明王院」★仏像展★「ふくやまの仏さま-国宝明王院本堂本尊33年ぶり特別公開記念」|やんまあ』です。
→書院/庫裡/護摩堂の庭園





→護摩堂
護摩堂に安置されている仏像は次の通り。







→書院/庫裡:神辺城から移築
書院は山門をくぐってすぐ右手。1621年、福山藩初代藩主・水野勝成が福山城築城のとき、現在の福山市北部・神辺町にあった神辺城より移築されたもの。通常は一般公開されていないが、一年に数回に庭園・庫裏・護摩堂などともに一般公開される。





庫裏は、本堂の向かって右側、書院の隣にある。1621年、水野勝成によって書院とともに神辺城から移築されまた。
→愛宕大権現
明王院の裏山は「愛宕山」で、中腹には愛宕大権現が鎮座している。参拝方法は、五重塔の向かって左側、長屋との間に異世界の入り口にある。


▽2024年御開帳
★秘仏公開★33年に1度「明王院」★仏像展★「ふくやまの仏さま-国宝明王院本堂本尊33年ぶり特別公開記念」|やんまあ
▼メディア情報
これ以降は本NOTEの下にあるコメント欄で追記します。
▼旅行記▼セットで行くところ
広島③◆福山市の神社仏閣/鞆の浦ブラリ(33年に一度の秘仏公開&福山の仏像集合)|やんまあ@旅行記
その他の旅行記は次を参照
広島の神社仏閣は次を参照。
▼仏像展
2024年:★秘仏公開★33年に1度「明王院」★仏像展★「ふくやまの仏さま-国宝明王院本堂本尊33年ぶり特別公開記念」
▽保管庫







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