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1906年に生き別れた興福寺四天王が結集!奈良国立博物館「修理完成記念 特別公開興福寺伝来の四天王像」-写真OK-

奈良国立博物館の「ぶつぞう館」で『修理完成記念 特別公開興福寺伝来の四天王像』が行われた。1906年に生き別れた興福寺四天王が結集して、写真撮影OKの大判振る舞い!!平安時代から鎌倉時代へ!!慶派の仏像と思わせるこの仏像を一気に見れたのは有難し!!

四天王像のうち、広目天像は現在も興福寺に残されているが、その他は経営難になった興福寺は、破損仏を益田鈍翁に譲与したときに、共に寺外に出ていく。

明治時代の破損仏。神仏分離令で興福寺のあるお堂は10円で売られたとも
  • Ⓐは頭部が多聞天像のもので、体部が持国天像のもの

  • Ⓑは頭部が増長天像のもので、体部が多聞天像のもの

  • Ⓒは頭部が持国天のもので、体部が増長天像のもの

興福寺も、明治維新に伴う神仏分離令の廃仏毀釈で大きな打撃を受けたことは、私のNOTEに度々書いている。興福寺の僧のほとんどが春日大社の神官にされ、寺として再興が許された後も寺領や境内地が政府に没収されたために経済的な苦境が続く。奈良国立博物館の敷地をはじめ奈良公園、今日の奈良県庁や地方裁判所、奈良ホテルなどもかつては興福寺やその塔頭寺院の境内で、今日のならまちの一部にまで広がっていた。今でも続く興福寺の復興の念願に向けて買取もあと1つだ!?

寺外に出た後は、何人かの個人所蔵家の手を経て、現在は、増長天像、多聞天像が奈良国立博物館の所蔵、持国天像がミホミュージアムの所蔵となっている。この3ヶ所に分蔵されている四天王像が、4躯揃って展示された。

 当館所蔵の増長天像と多聞天像は、明治39年(1906)まで興福寺に伝来した四天王像のうちの2軀であり、館蔵品を代表する像として仏像館の名品展をはじめさまざまな展示に供してきました。ともに明治時代の修理から100年あまりが経過し、表面彩色の剝落や過去の修理箇所の変色が目立つ状態にあったため、このたびバンク・オブ・アメリカの助成を受けて保存修理を実施しました。
 本展では修理により面目を改めた両像をお披露目するとともに、修理をとおして得られた構造や制作技法などに関する最新の成果をご紹介します。さらに、もと一具を構成していた持国天像(滋賀・MIHO MUSEUM蔵)と広目天像(興福寺蔵)を一堂に展示いたします。4軀そろっての公開は、平成9年(1997)に当館で開催した特別展「奈良国立博物館の名宝― 一世紀の軌跡 ―」以来、じつに28年ぶりのことであり、各像の力動感に満ちた迫力の造形にご注目ください。

修理完成記念 特別公開 興福寺伝来の四天王像 - 奈良国立博物館

▼公式/メディア情報

奈良博の山口隆介・美術工芸室長は「4体がそろうのは1997年の当館の特別展以来、28年ぶり。この機会に多くの人に見ていただき、研究がさらに進めば」と期待する。

興福寺伝来の四天王、28年ぶりの「そろい踏み」 奈良国立博物館 [奈良県]:朝日新聞

▼展示会の概要

この四天王像は明治39年(1906)まで興福寺に伝来した一具で、広目天がいまも興福寺に残るほかは、持国天が滋賀・MIHO MUSEUM、増長天と多聞天が当館所蔵となっています。増長天と多聞天は明治時代の修理から100年あまりが経過し、表面彩色の浮き上がりや過去の修理箇所の変色が目立つ状態にあったため、昨年度、バンク・オブ・アメリカの助成を受けて剝落止めや古色修整を主とする保存修理を実施しました。このたび、面目を改めた増長天と多聞天を仏像館で特別公開するとともに、平成9 年(1997)の特別展「奈良国立博物館の名宝― 一世紀の軌跡―」から28年ぶりに四天王像が一堂に会します。

明治時代の古写真に写る興福寺四天王像
明治39年(1906)に興福寺で撮影された古写真[図1]には、四天王像(広目天をのぞく)の姿が写る。この古写真は、撮影直後に同寺を離れて益田孝(鈍翁 1848~1938)に譲渡された破損仏を写したもので、快慶作の弥
勒菩薩像(ボストン美術館蔵)や梵天・帝釈天像(サンフランシスコ・アジア美術館蔵)、如来像(クリーブランド美術館蔵)などが認められることでも知られていた。

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では見仏です。

▼興福寺四天王

→制作時期(パンフレットより)

 この四天王像は、造立当初の安置堂宇は不明ながら興福寺に伝来した優品としてつとに知られている。4軀とも体幹部を一木から彫り出した体軀には充実感がみなぎり、瞳に黒光りする異材を使用し、広目天の邪鬼を塑土で成形するなど、しばしば古様と評される奈良時代や平安時代前期にみられる技法を用いる点に特色がある。
 一方で、いくぶん硬さを残しながらも躍動感ある姿態や、肉付きのよい迫真の忿怒相、甲の各部に木製ないし銅製の装飾を取り付ける技法は、12世紀後半から13世紀初頭の奈良仏師や慶派仏師の作例、具体的には東大寺所蔵(内山永久寺旧蔵)持国天像・多聞天像や文治5年(1189)康慶作の興福寺南円堂四天王像を想起させるところがある。こうした新旧要素の併存がこの一具の魅力ともなっているが、それゆえに制作時期については11世紀から
13世紀初頭まで諸説あり、いまだ定説をみない。

→四天王像 共通の構造・技法・作風

  • 用材: 4躯すべて、ヒノキとみられる針葉樹材を使用。

  • : 頭部が半球形で先端が針状に尖った銅製の鋲を挿し込んでいる。

  • 表面処理:

    • 木屎漆(こくそうるし):表面の一部に施されており、干割れの補修とみられる。

    • 乾漆(かんしつ):甲の覆輪(縁取り)の一部に盛り上げて成形されている。

    • 下地:薄橙色の下地の上に彩色。

  • 彩色・文様:

    • 暈繝(うんげん):段階的に濃淡をつける彩色技法で、植物文や幾何学文が主体。輪郭は赤色の線で描き起こしている。

    • 金泥:各所に文様がみられる。

    • 切金(きりかね):文様は認められない。

  • 作風:

    • 東大寺持国天・多聞天像、興福寺南円堂四天王像と類似。

    • 別材製の装飾が顕著(鎌倉期の作例にみられる特徴)。

    • 表面の薄橙色の下地は南円堂像にもみられる。

    • 暈繝彩色の赤色の輪郭線は鎌倉期にも類例がある。

→①重要文化財 広目天立像 奈良・興福寺

  • 構造

    • 体幹部材は木心を像内に込めている。

    • 内部を刳り貫き、首の付け根で頭部を一旦割離して、背部に別材を当てている。

→②重要文化財 増長天立像 当館

  • 構造:

    • 体幹部材は木心を像内に込めている。

    • 内部を刳り貫き、頭部と体部を別材で製作(頭体別材製)して、背部に別材を当てている。

  • その他: 2015年の科研費報告書(武笠朗氏)で言及されている(広目天を除く3躯と分蔵)。

パンフレットより

→③重要文化財 持国天立像 滋賀・MIHO MUSEUM

  • 構造:

    • 体幹部材は木心を像内に込めている。

    • 内部を刳り貫き、首の付け根で頭部を一旦割離して、背部に別材を当てている。

持国天は像内に貼紙があり、明治41年に「大仏師 竹内久一」、「大漆工彩色 伊東乾谷貞文」により修理されたことが判明する。増長天と多聞天の修理を伝える記録は知られないが、前年の明治40年3 月に鈍翁を会主として自邸・碧雲台(現在の東京都品川区北品川の御殿山に建設)で催された第12回大師会においてともに展観されていることから(『大師会々記』)、このときまでには修理が終えられたと考えられる。

→④重要文化財 多聞天立像 当館

  • 構造:

    • 木心が像の背にかかっている(他の3躯は像内)。

    • 内部を刳り貫き、首の付け根で頭部を一旦割離して、背部に別材を当てている。

  • 独特の造法(他の3躯にみられない特徴):

    • 両腕を蟻枘(ありほぞ:凸形を鳩の尾状にした接合)で接合。

    • 両脚の脛半ばで接合面を鉤(かぎ)の手状にし、脛以下に別材を矧(は)ぐ。

    • 像本体と木目が近似する縦木で邪鬼を造っている。

  • その他: 2015年の科研費報告書(武笠朗氏)で言及されている(広目天を除く3躯と分蔵)。

パンフレットより

▼まとめとオマケ

令和6年度の保存修理
 明治時代の修理から100年あまりが経過している増長天と多聞天は、ともに表面の彩色や下地に経年の劣化による浮き上がりがみられ、増長天の面部や両像の甲は過去の修理箇所の変色が目立つ状態にあり、さらに各所に木材の割れや木屎漆1の劣化に起因すると推測される亀裂が生じていた。
 このたびの保存修理では、はじめに表面のクリーニングをおこない、つづいて彩色や下地の経年劣化による浮き上がりは、ふのり膠2などを用いて剝落止めをおこなった[図2]。各所にみられた過去の修理箇所の変色は、周囲になじむように修整した[図3]。さらに木材の割れや木屎漆の劣化による亀裂、虫食い箇所のうち損傷が移行するおそれのあるところは、樹脂に木粉などを練り合わせたものを用いて補修した[図4]。増長天の台座天板は収縮と反りによる矧目3の亀裂、目違い4、干割れ等が生じていたが、すき間に樹脂を挿し入れて接着し、表面を木屎漆で整えた。
*1 木 屎 漆 :繊維屑や木粉などを漆糊で練り合わせたもの。損傷部や接合部の充填剤・接着剤とされるほか、仏像の表面の成形にも用いる。
*2 ふのり膠 :海藻由来のふのり(布海苔・布糊)と膠を混ぜ合わせて作る溶液。主に接着剤として用いられる。
*3 矧  目 :木材の接合部のこと。
*4 目 違 い :ふたつの木材を継ぎ合わせたときに生じるずれ。

パンフレットより

▼邪鬼

邪鬼が良い感じですね。天というグループで四天王ときたら「邪鬼!!」です。邪鬼好きも多いですね。

たぶん踏み倒され地べたに張り付いていたと思います。
まだ余裕がある顔に見えます
油断していた~という感じですかね
目、目は踏まないで!とつぶやいています

▼仏像館-写真OK仏像-

仏像館では写真OKのものもあります。定期される仏像は変わります!!

 そろそろお帰りになられると思います。

おお~大将軍だ!!

 常時展示されているので今回はスルーしようとしたが、妻が、頭に載っている干支が全身あるのが珍しい。

▼特別展「お水取り」

ふと思ったのですが、この時期は仏像館で特別公開が多い気がする。昨年も、お水取り展を見た気がする・・。今年はさっと見て帰ったので、他力本願です。

▼その他

一番のお気に入りは犬の土偶でした!?プリティなお尻です。

▼メディア

観仏日々帖 「興福寺伝来の四天王像」の奈良博・特別公開に因んで 〈その1〉  【2026.02.14】




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