京都・丹後王国『TANGO!海の京都・山の京都の仏教美術』龍谷ミュージアム
天橋立を望む高台に立つ京都府立丹後郷土資料館の館蔵品・寄託品のうち、約80点を龍谷ミュージアムで一時預かりするよう。その中から仏教関係の絵画、愛しい狛犬や仏像などの彫刻、経典や、歴史資料約40点を公開。丹後西部・丹波北部の知られざる仏教美術が見られる。
シリーズ展「仏教の思想と文化―インドから日本へ―」では、インドで誕生した仏教がアジア全域に広まり、日本社会にも根づいていく約2500年の歩みを、大きく「アジアの仏教」と「日本の仏教」に分けて紹介します。
また、特集展示として「TANGO! 海の京都・山の京都の仏教美術」を開催します。
龍谷ミュージアムでは現在、京都府立丹後郷土資料館の改修工事に伴い、同館の館蔵品・寄託品の中から約80件を保管しています。今回はそのうち、丹後西部を中心とする約40件の仏教美術品を展観します。
今回の展観では、西国第28番観音札所・成相寺や、丹後国一宮・籠神社、丹波北部の山岳霊場・威光寺、京丹後市の真言宗の古刹・遍照寺、縁城寺などの寺社が所蔵する仏像や仏画、狛犬、経典、歴史資料などをご覧頂きます。 丹後西部・丹波北部の知られざる仏教美術の数々をご堪能ください。
よろしければ私の丹後王国NOTEをどうぞ!!(https://note.com/yanma_travel/m/m07691eee0962/hashtag/1411184)
→変更履歴
2025/08/03:初版
▼特別展公式


▼メディア情報
龍谷ミュージアム 特集展示「TANGO ! 海の京都・山の京都の仏教美術」を開催! | 株式会社京都新聞社のプレスリリース
シリーズ展「仏教の思想と文化ーインドから日本へー特集展示:TANGO!海の京都・山の京都の仏教美術」の開催について | ふるさとミュージアム丹後(京都府立丹後郷土資料館)
シリーズ展 仏教の思想と文化 -インドから日本へ- 特集展示「TANGO ! 海の京都・山の京都の仏教美術」 | 龍谷大学 龍谷ミュージアム | 美術館・展覧会情報サイト アートアジェンダ
【プレビュー】龍谷大学 龍谷ミュージアム シリーズ展「仏教の思想と文化 ―インドから日本へ― 特集展示:TANGO!海の京都・山の京都の仏教美術」7月12日から – 美術展ナビ
▼展示構成
《第1部 アジアの仏教》展示リスト
インドで仏教が誕生し、アジア全域に広まる
仏教誕生・・・釈尊(ガウタマ・ブッダ)の生涯とその教え
仏教の広がり・・・インドから中央アジア、東南アジア、東アジアへ
多様な仏教・・・出家修行者と在家信者が織りなす多様な仏教世界
《第2部 日本の仏教》展示リスト
日本へ仏教が伝来し、日本社会に根付く
仏教伝来・・・仏教伝来にかかわる史実と伝承
国家と仏教・・・国家政策としての仏教導入と貴族社会への浸透
仏教文化の円熟と日本的展開・・・日本国内での仏教の歩みの上に新たに醸成され、幅広い階層に受け入れられていった仏教の諸相
▼仏像と私のNOTE《第2部 日本の仏教》
仏像は少ないが、推しは「丹後式狛犬」の5対。「丹後式」は、丹後地域特産の「石英安山岩」を素材とし、台座を伴わず、前肢のすねに縦の線が刻まれているのが特徴。屋外ではなく社殿内に安置されたため小柄なものが多いが、ニッコリ系狛犬である。



|- #京都府立丹後郷土資料館
阿弥陀如来立像:鎌倉時代:京都府立丹後郷土資料館

この展示会のトップバッターですね。2尺と小さめの仏像だが佇まいが素晴らしく実物の方が良い。横から見るとかなり前のめりなので、高いところから近くで拝むように設計されている。
丹後国分寺の仏像説もあるようだが真相はいかに。
京都府立丹後郷土資料館に所蔵されている「木造 阿弥陀如来立像」は、鎌倉時代に制作された仏像です。
京都府立丹後郷土資料館は、丹後地域の考古・歴史・民俗に関する資料を幅広く収集・保存・展示している施設で、国指定史跡「丹後国分寺跡」に隣接しています。
この「木造 阿弥陀如来立像」は、館の所蔵品の中でも特に重要な仏像の一つです。鎌倉時代は、武士の台頭とともに、庶民の間にも浄土信仰が広がり、阿弥陀如来像が多く造られました。この時代の阿弥陀如来像は、平安時代末期の様式を受け継ぎつつも、より写実的で力強い表現が特徴とされます。
私のNOTE
ないので私のじゃらん旅行記をどうぞ。海部氏の家系図@国宝が出ていたら話題になったのだろうけど。
|- #与謝野町 #明境神社
阿弥陀如来坐像 1軀 木造、漆箔、玉眼 鎌倉時代 像高46.7cm
神社に仏像が所蔵されているので、神仏習合の名残か、神宮寺があったこと推測できる。神像では、男女神二体の神像もある。祭礼は、笠鉾、幟、つづいて大御幣の神主を先頭に、明境社から小聖社まで行列をするそうだ。

|- #伊根町 #寺領区
京都府与謝郡伊根町にある限界集落で、かつて恩教寺という大寺院があったとされる地域。聖観音は「恩教寺」のものだったようだ。まあ~徐福上陸の新井崎神社や浦島太郎の宇良神社と魅惑の地域なので大寺院があってもおかしくない。
伊根町寺領自治区が所有する仏像、木造聖観音立像、木造毘沙門天立像、木造不動明王立像及び木造僧形座像の修理が完了しました。これら4躯の仏像は、いずれも伊根町指定有形文化財に指定されています。傷みがひどく、平成26年頃から修理を計画していましたが、必要な資金が不足することなどから、これまで修理が実現していませんでした。この度、公益財団法人 朝日新聞文化財団様の助成金を活用することにより、令和5年度事業として仏像の修理を実施することができました。
木造聖観音立像及び木造毘沙門天立像については、平安時代の作と目され、歴史的に見ても特に貴重な仏像となっています。修理後は、京都府丹後郷土資料館に寄託され、展示を通じて広く皆様に公開することが予定されています。
聖観音立像:平安時代後期:伊根町・寺領区
地方仏師が造ったであろう平安仏ですね。穏やかな表情でどこかコミカルに感じる。
木造 聖観音立像 は、京都府与謝郡伊根町の寺領区(じりょうく)に伝わる仏像で、平安時代後期に制作されたとされています。制作年代: 平安時代後期という、日本の仏像彫刻史において重要な時期に制作されたものです。この時期の仏像は、定朝様(じょうちょうよう)と呼ばれる様式が確立され、穏やかで優美な表現が特徴とされます。伊根町指定有形文化財に指定されており、地域の重要な文化財として保護されています。長年の傷みが激しかったため、近年修理が行われました。修理後は、京都府立丹後郷土資料館に寄託されています。
寺領区は、伊根町の中でも歴史ある地域であり、この聖観音立像は、地域の人々によって長きにわたり大切に守り伝えられてきました。これは、単なる美術品としてだけでなく、地域信仰の中心としても機能してきたことを示唆しています。
丹後地方の仏教美術: 丹後地方は、古くから独自の仏教文化が栄えた地域であり、この聖観音立像もその歴史の一端を担うものです。
このように、伊根町寺領区の木造聖観音立像は、その制作年代、文化的価値、そして地域との深いつながりから、非常に重要な文化財と言えます。
毘沙門天立像:平安時代後期:伊根町・寺領区
この毘沙門天立像は、寺領区に伝わる複数の仏像の一つであり、伊根町指定有形文化財にも指定されています。毘沙門天は、仏教における四天王の一尊で、北方(北の守護神)を守り、財宝や福徳を授けるとされる信仰の対象です。甲冑を身につけ、忿怒の表情で表現されることが多いですが、平安時代後期のものは、比較的穏やかな表情をしているものも多く見られます。
伊根町寺領区の毘沙門天立像も、地域の歴史と信仰、そして丹後地方の仏像彫刻の様式を今に伝える貴重な存在です。
不動明王立像 1軀 木造、彩色、玉眼 江戸時代 像高68.8
平安時代後期の聖観音立像、毘沙門天立像、そして江戸時代の不動明王立像と、異なる時代の仏像になるが天台宗で平安時代の毘沙門がいたが何らかの理由で喪失して作り直したと思った。理由は天地眼(てんちがん)などの特徴を持っていたので、そのままの形にしたんだろうなと。
僧形坐像 1軀 木造、彩色、彫眼 室町時代 像高47.5 伊根町・寺領自治区
▼狛犬「丹後式狛犬」《第2部 日本の仏教》
|- #宮津市 #籠神社
狛犬 1対 石造 鎌倉〜南北朝時代 阿形:像高37.0 吽形:像高42.2
狛犬 1対 石造 江戸・文政13年(1830) 阿形:総高37.2 吽形:総高38.4
時代による違いと後述の狛犬が、籠神社に影響が良くわかる。ということで「丹後式狛犬」を説明して、各神社の狛犬の感想とする。
丹後式狛犬(たんごしきこまいぬ)について
京都府北部の丹後地方とその周辺地域に特徴的に見られる石造狛犬の様式で、他地域の狛犬とは異なる独自の造形的特徴を持つ。主な特徴
地域性
丹後地方および周辺地域に特有。地域の石材を使い、地元石工の技術が反映された造形。素材と造り
主に石英安山岩などの地元石材を用いる。
一石から丸彫りで作られ、同石の台座を伴わないことが多い。阿吽の口の表現
通常は阿形(口開き)、吽形(口閉じ)だが、両方とも口を開けた阿形一対や、吽形に角がない場合もある(無角狛犬)。
阿形は牙がなく、大きく開けた口に上下の歯列と舌が見える。
吽形は牙が6本すべて尖っている例も。
角の有無と形状
吽形に角がない(無角)が多い。
左の角が非常に大きい独特の表現もある。体躯と表情
頭部は小振りで、四肢は太く重量感があるずんぐり体型。
鼻は横長で鼻孔が大きく穿たれている。
目は釣り上がった空豆型で瞳がないものが多い。
太い眉毛が釣り上がり、耳から唇にかけて襞がある。
顎髭は短めで中央で分かれることも。たてがみと尾
たてがみは上下二段の巻き毛、一部は胸前に回る表現。
尾は5本の毛束からなり、左右の2本が外側に巻く特徴的形状。
尾と本体の間が刳り抜かれているものも。サイズ
小型~中型(像高約25~30cm前後が多い)。
一部には1m近い大型の例も。
制作年代・歴史的背景
年代
鎌倉時代後期〜南北朝・室町時代を中心に江戸時代まで存在。歴史的役割
地域神社の守護獣として悪霊除けの役割を持つ。
地元豪族や信仰者の寄進により制作・設置された。
私のNOTE
天橋立!元伊勢「籠神社/真名井神社」伊勢神宮外宮の故郷!磐座信仰【京都】【丹後王国】|やんまあ
|- #京丹後市 #高森神社
狛犬 1対 石造 南北朝・文和4年(1355)
京丹後市・高森神社の文和4年(1355年)作の狛犬一対は、小ぶりながらも繊細な彫刻で神社の守護を担い、南北朝時代の動乱期における信仰の深さを伝える貴重な石造彫刻です。制作年が明確な石造狛犬としては日本最古級とされ、籠神社の狛犬とよく似ており、籠神社の狛犬のモデルになったのかもしれない石の獅子像が14世紀半ばに存在していたことを示す重要な作品です。
|- #宮津市 #上世屋自治会
狛犬 1対 石造 室町時代 阿形:像高29.5 吽形:像高31.8
宮津市・上世屋自治会に伝わる石造狛犬(阿吽一対)は、室町時代に制作されたとされる歴史的な造形物で、丹後地方の狛犬文化を語るうえで欠かせない存在です。丹後地方における中世石造狛犬の系譜を示す重要な作例のひとつであり、籠神社や高森神社の狛犬と並んで地域の信仰造形の流れを追ううえで貴重です。
展示会では「世屋姫神社」のものとも記されていた。少し調べたところ参拝しないといけないなと思った。
⛩️ #世屋姫神社 (せやひめじんじゃ):京都府宮津市上世屋115
京都府宮津市上世屋に鎮座する静かな山里の神社で、丹後地方の自然と信仰が融合した魅力的な場所です。
祭神は、世屋姫命(セヤヒメノミコト)、スサノオ、オオヤマツミ、ヤマトタケルです。世屋姫命は詳細な伝承が残っていないものの、地元では青い目の大蛇が夫婦で日向ぼっこしていたという話が伝えられており、神秘的な存在として語られています。
神社は標高約360mの「上世屋」集落にあり、美しい棚田や茅葺屋根の家々が残る地域として「にほんの里100選」にも選ばれています。周辺は「丹後天橋立大江山国定公園」に指定されており、自然と歴史が調和した景観が広がります。豪雪地帯でもあり、積雪600mmを超えた記録も。
|-宮津市・畑自治会
狛犬 1対 石造 室町時代 像高各29.0
▼仏像・狛犬以外《第2部 日本の仏教》
|- #宮津市 #成相寺
仏涅槃図:鎌倉時代
宮津市にある成相寺に所蔵されている「仏涅槃図」は、鎌倉時代に制作されたと伝えられる仏画です。
仏涅槃図とは
仏涅槃図は、お釈迦様(釈迦牟尼仏)が入滅、涅槃する場面を描いた仏画です。通常、中央に横たわるお釈迦様の周りを、弟子や菩薩、天人、さらには動物たちが嘆き悲しむ様子が描かれ、上空にはお釈迦様の母である摩耶夫人が駆けつける姿などが描かれます。毎年2月15日のお釈迦様の命日には、各地の寺院で涅槃図を掲げて涅槃会という法要が営まれます。
鎌倉時代は、仏教が庶民の間にも広く浸透し、絵画や彫刻といった仏教美術が盛んに制作された時代です。特に、浄土信仰が隆盛したこともあり、お釈迦様の入滅を描いた涅槃図も多く描かれました。成相寺の仏涅槃図も、この時代の絵画様式や信仰背景を示すものとして、美術的・歴史的に高い価値を持っています。
成相寺
成相寺は、西国三十三所観音霊場の第二十八番札所として知られる古刹で、天橋立を見下ろす成相山の中腹に位置しています。古くから信仰を集めてきたこの寺院には、数多くの文化財が伝わっています。その中でも、鎌倉時代にさかのぼる「仏涅槃図」は、当時の仏教信仰の様子や絵画表現を知る上で貴重な資料です。
法華経 巻第一・八 8巻のうち2巻:紺紙金字:平安後期〜鎌倉時代
本来8巻全巻のうち、現在は2巻のみ現存(巻第一と巻第八)。平安後期〜鎌倉時代にかけて写された格式高い装飾写経であり、信仰の深さ、美術の粋、歴史的背景のすべてが詰まった貴重な文化財です。紺紙に金字という豪華な書写形式は、仏への深い敬意と信仰、そして芸術としての仏教文化を今に伝えています。
丹後国日置郷国富分米銭納所注文 (成相寺文書) 1通 紙本墨書 室町・大永6年(1526)
この文書は、丹後国(現在の京都府北部)の日置郷(ひおきごう)にある国富(くにとみ)分の米銭納所への米銭(こめせん)の納入に関する注文書です。米銭とは、税金の一種で、お米や銭(お金)で納めるもの。ここでは、その取り決めや納入の指示が記されています。成相寺が所蔵する歴史的な文書群の一つで、地域の荘園や租税、管理などを示す重要な資料です。
成相寺永明院宛成吉直衡書状 (成相寺文書) 1通 紙本墨書 室町・大永6年(1526)
この書状は、室町時代の1526年に成吉直衡が成相寺の永明院に宛てて書いた文書です。内容は当時の寺院運営や土地・財産に関わる事柄、あるいは荘園管理や人事、または年貢・租税の取り決めに関する指示や報告であった可能性があります。成相寺が所蔵する文書群の一つで、地域の歴史や寺院の社会的役割を示す重要な史料。
法華経 (平登子三十三回忌供養経) 巻第一・八 沙弥道政 筆 7巻のうち2巻 紙本墨書 室町・明徳5/応永元年(1394)
この写経は「平登子」の三十三回忌(死後33年目の供養)のために書写されたものです。平登子は歴史上の貴族の女性であったと考えられており、その供養のために法華経を写すことは当時の信仰の深さを示しています。
平登子について調べてみた。いやAIに聞いてみた。平登子であり平徳子でもあるようだ。
平登子
平安〜室町時代の皇族や貴族の女性であり、後小松天皇の母であった可能性が高い人物です。彼女の三十三回忌供養のために写経された法華経は、彼女の重要な地位と信仰の深さを示しています。
平登子
この「平登子」は、平 徳子(たいらの とくこ)である可能性が非常に高いです。
平徳子(建礼門院)は、平家滅亡後に出家し、仏教に深く帰依しました。彼女の三十三回忌供養のために法華経が書かれたという記録は、彼女が歴史上重要な人物であり、その供養が丁寧に行われたことを示しています。
「沙弥道政 筆」とあることから、この経典は沙弥道政という人物によって書かれたものであり、「室町・明徳5/応永元年(1394)」という年号は、この経典が書かれた正確な時期を示しています。
この情報から、「平登子」が、日本の歴史における重要な女性の一人である平徳子であり、彼女の供養のためにこの貴重な経典が作成されたことが推測されます。
平登子の基本情報
生年:久寿2年(1155年)
没年:建保元年(1214年)または貞応2年(1223年)説あり
父:平清盛(平家の棟梁)
母:平時子(清盛の正室)
夫:高倉天皇(第80代天皇)
子:安徳天皇(第81代天皇)
平登子:古文書や供養経などで見られる表記。特に写経や供養文書ではこの表記が使われることがあります。
平徳子:歴史書や辞典、現代の研究ではこちらが一般的。Wikipediaや『平家物語』などでもこの表記。
建礼門院:院号。出家後に名乗った尊称で、文学作品ではこの名で登場することが多いです。
成相寺古記 (成相寺文書) 1冊 紙本墨書 江戸時代
その名の通り、成相寺の歴史や由緒、行事、所蔵品などに関する記録が記されていると考えられます。このような古記は、その寺院の歴史だけでなく、地域の歴史や文化、信仰を知る上で非常に貴重な史料となります。
伝法灌頂阿闍梨職印信 (成相寺文書) 1通 紙本墨書 桃山・慶長13年(1608)
この文書は、成相寺に関わる阿闍梨職の資格や任命、あるいはその証明に関する公式な印章付き文書です。慶長13年(1608年)に作成され、当時の密教の制度や寺院の宗教的権威を示す重要な史料となっています。
成相寺が特定の仏教の法流(おそらく真言宗系)を継承し、その教えが代々受け継がれてきたことを示す貴重な史料です。先の「伝法灌頂阿闍梨職印信」が個別の僧侶の資格証明であるのに対し、この血脈は寺院全体の教えの系譜を示すものと言えます。
憲祐血脈 (成相寺文書) 1通 紙本墨書 桃山時代
憲祐という人物に関連する血脈の伝承や認証を記したものと考えられます。師弟関係の正統性や教義の継承を示す重要な史料で、成相寺の宗教的権威を支えています。
不動明王二童子像 憲海 筆 1幅 絹本墨画淡彩 室町・永禄元年(1558)
展示会では「憲海」筆の3幅が並んで展示されていた。
不動三尊形式で描かれています。密教において最も重要な護法尊の一つ「不動明王」と、彼に仕える二人の童子矜羯羅童子と制吒迦童子が描かれている。
孔雀文磬 1面 鋳銅製 室町・応永20年(1413) 裾張49.0
明智光秀・長岡藤孝・忠興連署禁制(成相寺文書):桃山・天正7年(1580)
宮津市にある成相寺に所蔵されている「明智光秀・長岡藤孝・忠興連署禁制(なりあいじもんじょ)」は、安土桃山時代の天正7年(1580年)に発給された、非常に歴史的な価値の高い文書です。
禁制とは
禁制(きんぜい)とは、戦国時代において、戦乱が起こった際に寺社や住民に対し、乱暴狼藉、放火、刈田(田畑の稲を勝手に刈り取ること)などを禁止する命令書のことです。発給者の権力を背景に、違反者には厳罰が科せられました。これは、戦国大名が領国支配を確立し、民心を安定させるための重要な手段でした。
この禁制には、以下の三人の武将が連名で署名しています。
・明智光秀(あけち みつ
ひで): 織田信長の重臣で、丹波国の平定を任されていました。
・長岡藤孝(ながおか ふじたか):後の細川幽斎(ほそかわ ゆうさい)。室町幕府の幕臣から織田信長に仕え、丹後国の平定に尽力しました。文化人としても知られます。
・長岡忠興(ながおか ただおき):細川忠興。藤孝の嫡男で、後に細川氏を継ぎ、肥後熊本藩主となります。明智光秀の娘である玉(ガラシャ)を正室に迎えました。
天正7年(1580年)は、織田信長による天下統一が進む中で、明智光秀が丹波を、細川藤孝が丹後を攻略していた時期にあたります。この禁制は、戦乱の中、成相寺の安全と平穏を保障するために、これら有力武将が連名で発給したことを示しています。特に、丹後国においては、細川藤孝が丹後の一色氏を攻め滅ぼし、丹後を支配下に置く過程にありました。この禁制は、その支配の確立を背景とするものと考えられます。
成相寺文書としての価値
成相寺は、西国三十三所観音霊場の第二十八番札所であり、古くから多くの寺宝や文書を所蔵しています。この「明智光秀・長岡藤孝・忠興連署禁制」は、成相寺が所蔵する文書群(成相寺文書)の中でも、特に当時の丹後地方の政治情勢や、織田政権下における明智光秀と細川親子の関係性を示す貴重な史料です。
この文書は、当時の天下統一を巡る戦乱の中で、地域社会がどのように大名権力によって秩序を保たれていたかを示す一次史料として、歴史学的に極めて重要な価値を持っています。また、明智光秀が本能寺の変を起こすわずか2年前に発給された文書である点も、その歴史的背景を考察する上で興味深い資料です。
成相寺縁起 1冊 紙本墨書 明治10年(1877)
以下に、「成相寺縁起 1冊 紙本墨書 明治10年(1877)」について、いただいた情報も加味して箇条書きでまとめました。
形態・素材
1冊、紙本墨書(和紙に墨書き)
明治10年(1877年)に編纂
対象寺院:成相寺
京都府宮津市に所在
西国三十三所第28番札所の古刹
真言宗単立寺院
本尊は聖観音菩薩
天橋立を見下ろす高台に立地
創建は奈良時代(慶雲元年704年)と伝わる
内容概要
成相寺の創建由来・伝説(例:願いが叶う観音像の霊験譚など)
歴代住職の系譜と事績
境内伽藍の配置、主要堂宇の建立・修復記録
寺宝(仏像、経典など)の来歴と寄進者の記録
地域社会や信仰の歴史・変遷
修験道や山岳信仰との関係性の記述が含まれる可能性
歴史的背景と意義
明治維新後の廃仏毀釈による混乱期に編纂された可能性が高い
寺の正統性や由緒を明示し、存続のための歴史的資料として重要
古い「成相寺古記」などの資料や口伝を基に、寺の歴史や信仰を体系的に再構築
江戸時代以前の史料の補完や失われた情報の記録として貴重
私のNOTE
そして西国三十三札所ですね。
|- #宮津市 #江西寺
延命地蔵二童子像 1幅 絹本着色 室町時代
十六羅漢像のうち第四尊者:室町時代
宮津市にある禅宗寺院、江西寺(こうせいじ)が所蔵する「十六羅漢像のうち第四尊者」は、室町時代に制作された絵画(絹本著色)です。
十六羅漢像とは
十六羅漢とは、仏教の修行を完成させ、煩悩を断ち切った聖者のことです。特に「十六羅漢」は、お釈迦様の教えを守り、世界に広めることを託された16人の羅漢を指します。彼らは、それぞれ独特の姿や表情で描かれ、仏教美術において重要なテーマの一つとなっています。
江西寺の十六羅漢像は、16幅からなる絹本著色の羅漢図で、そのうちの「第四尊者」もこの中に含まれています。この羅漢図は、室町時代、特に南北朝時代の作品と見られており、宮津市指定文化財に指定されています。
京都府の資料によると、江西寺の「十六羅漢図」は、中国から舶載された羅漢図をもとに、鎌倉時代後期から多く作成された羅漢図の一例であり、京都の建仁寺や福知山の天寧寺に所蔵されている重要文化財の羅漢図と類似しているとされています。
この羅漢図は、長年の劣化により亀裂や剥離、褪色などが著しかったため、平成15年度(2003年)には、そのうちの3幅について修理が行われました。
江西寺の十六羅漢像は、室町時代の仏教絵画の様式や、当時の禅宗寺院における羅漢信仰のあり方を知る上で貴重な資料で。特に、中国絵画の影響を受けつつも、日本独自の表現へと昇華されていった様子をうかがい知ることができます。
江西寺は、庭園が京都府指定名勝となっているなど、他にも多くの文化財を所蔵しており、丹後地方の歴史と文化を伝える重要な寺院です。
私のNOTE
「だるまと鶏「江西寺(だるま寺)」【三重北シリーズ】|やんまあ」ですと言いたいが三重ですね。京都はまだです。
|- #伊根町 #西明寺
不動明王二童子像 智海 筆 1幅 紙本墨画淡彩 室町・明応5年(1496)
室町時代の仏画として、その制作年代が明確であり、作者名もわかる点で大変貴重な文化財と言えます。西明寺の寺宝として、地域における信仰や美術の歴史を伝える重要な資料となっています。
|- #伊根町・個人
不動明王二童子像 憲海 筆 1幅 紙本墨画淡彩 室町・天文14年(1545)
|- #京丹後市 #縁城寺
五官王像(十王図のうち):陸信忠筆:中国元時代
京丹後市にある縁城寺(えんじょうじ)に所蔵されている「五官王像(十王図のうち)」は、中国の元時代に活躍した絵師、**陸信忠(りくしんちゅう)**の筆による大変貴重な仏画です。
十王図は、死者が冥土で生前の行いを裁く10人の王(十王)を描いた仏画です。道教の影響を受けて成立した思想で、死後の審判と、それによって決まる地獄や極楽への行き先を示します。それぞれの王が担当する審判の日があり、故人の供養はこの審判と深く結びついています。五官王は、十王のうちの一人で、死後35日目の審判を担当するとされています。
陸信忠は、中国の元時代(1271年 - 1368年)に寧波(ニンポー)で活躍した仏画絵師です。彼の作品は、その精密な描写と荘厳な表現が特徴で、日本にも多数が伝来しており、多くの寺院に所蔵されています。特に、十王図や羅漢図など、冥界や仏法の守護者を題材とした作品が多く、日本の仏教美術にも大きな影響を与えました。
縁城寺所蔵の「五官王像」は、陸信忠の筆による十王図10幅のうちの1幅と考えられています。この作品は、国の重要文化財に指定されており、その美術的・歴史的価値の高さが認められています。
宋帝王・五官王像 (十王図のうち) 陸信忠 筆 2幅 絹本着色 中国 元時代
倶生神像 1幅 絹本着色 南北朝時代
私のNOTE
|- #京丹後市 #遍照寺
仏涅槃図:1幅:絹本着色:室町時代
釈迦の最期の場面が丁寧に描かれており、深い静けさと荘厳さを感じた。横たわる釈迦如来のまわりには、弟子たちや動物たちが悲しみに暮れる姿が描かれており、命の終わりに対する敬意や慈悲の心が強く伝わってきます。
ちなみに、釈迦は頭を北に向けて右脇を下にし、横たわっている姿ですね。「北枕」は良くないと言われたことがあります。これですね!!
十二天像のうち日天・地天・火天・水天像 12幅のうち 4幅 絹本着色 室町時代
各尊像の簡単な解説(4幅分)
日天(にってん)
太陽を神格化した天部。
華やかな天衣(てんね)をまとい、光を放つ姿。
明るさ・正義・智慧の象徴。
手に日輪や蓮華などを持つ姿が多く描かれます。
地天(じてん)
大地を神格化した女神的存在。
豊穣・安定・母性の象徴。
蓮座に坐り、大地の恵みを与える慈悲深い姿。
火天(かてん)
火を司る天神で、煩悩や邪を焼き尽くす象徴。
赤い肌や炎の装飾、怒りの形相で表されることが多い。
軍神的な力強さがあり、戦勝祈願などにも関係。
水天(すいてん)
水の神で、清浄・調和・生命力を象徴。
青系の装束、水瓶などを持つ姿が多い。
上新請来経等目録表 (遍照寺聖教) 信藝 書写 1帖 紙本墨書 鎌倉・建治3年(1277)
目録という一見地味な記録の中に、仏典を守り伝えようとした僧たちの誠実な思いが込められていると感じました。信藝という人物が一字一字丁寧に書き記したその筆跡からは、仏教に対する深い敬意と、後世への責任が伝わってきます。
真言小名目 (遍照寺聖教) 祐俊 書写 1帖 紙本墨書 室町・永禄11年(1568)
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釈迦十六善神像 1幅 絹本着色 南北朝〜室町時代
南北朝から室町時代にかけて描かれた貴重な仏教絵画です。絹本に繊細な着色が施されており、静かで荘厳な雰囲気を感じます。中央に穏やかな表情の釈迦如来が描かれ、その周囲を守護する十六善神たちが整然と配置されている様子は、信仰の深さと当時の美術技法の高さを伝えています。時代を超えて今に残るこの一幅からは、人々の祈りと仏への敬意が強く感じられ、歴史の重みと精神性の深さに心を打たれました。
大般若経 巻第一・十 592帖のうち2帖 紙本墨書
平安時代と室町時代に書写された2帖を拝見し、長い時代にわたり大切に受け継がれてきた仏教信仰の深さを感じました。紙本に墨で丁寧に書かれた文字は、時代の違いこそあれ、どちらも静かな美しさと厳かな雰囲気をたたえており、写経に込められた祈りや敬虔な心が伝わってきます。特に平安時代の巻には、流麗な筆致に当時の文化の高さがうかがえ、室町時代の巻からは武家や庶民にも信仰が広がった時代背景が感じられました。この2帖を通して、日本人の信仰と文化が時代を超えて続いてきたことに深い感銘を受けました。
普賢菩薩像:1幅:絹本着色:室町時代/文殊菩薩像 1幅 絹本着色 室町時代
威光寺に伝わる「普賢菩薩像」と「文殊菩薩像」は、いずれも室町時代の絹本着色による仏画で、精緻な筆づかいと落ち着いた色彩が印象的でした。これらは、おそらく中央に釈迦如来を配し、左右に文殊菩薩と普賢菩薩を置く「釈迦三尊形式」を意識して描かれていたのではないかと思われます。文殊菩薩は獅子に乗り、鋭い智慧を象徴し、普賢菩薩は白象に乗って、穏やかな慈悲を体現しており、それぞれが釈迦如来の教えを支える存在として描かれているように感じました。三尊がそろうことで、仏の教えがより豊かに、そして立体的に伝わってくるように思えました。室町時代の宗教美術の深さと精神性の高さに、改めて感銘を受けました。
福知山市にある威光寺に所蔵されている「普賢菩薩像」は、室町時代に制作されたと伝えられる仏画です。
普賢菩薩(ふげんぼさつ)は、仏教における菩薩の一尊で、お釈迦様の悟りや慈悲を象徴するとされます。智慧を司る文殊菩薩とともに、お釈迦様の脇侍として、向かって右に文殊菩薩、左に普賢菩薩が配置されるのが一般的です。普賢菩薩は、白い象に乗った姿で描かれることが多いのが特徴です。
威光寺は、福知山市下佐々木にある高野山真言宗の古刹で、理源大師聖宝が開創したと伝えられています。修験道の拠点でもあった三岳山の南麓に位置し、多くの文化財を所蔵しています。
高野明神・弘法大師像 2幅 紙本着色 江戸時代
威光寺本堂造立棟札 1面 木製 室町・天文21年(1552) 高134.9
私のNOTE
未参拝ですが、龍谷ミュージアムでは常連なのかな。「★仏像展★「眷属」in龍谷ミュージアム|やんまあ」で出ていますね。
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