日光東照宮拝殿にも影響「錦織神社」本殿は素晴らしい錦織造【南河内シリーズ/大阪ミナミシリーズ】
「にしこおり」と読む。本殿が本当に素晴らしく、目立たないが左右の小さな摂社も素晴らしく、3社ともに重要文化財なのは納得する。日光東照宮拝殿に影響を与えた!とするのも納得がいくエレガントさ!(真相は不明だが)

神社を清掃する人に尋ねると10年前ぐらいに修復したようで、次回は息子に任せようと言われていた。神社の方だろうな。

気になったのだが、最寄り駅は「川西」駅なんだな。錦を織る技術者で川が近くにあり、いや、水が必要で、この地に腰を下ろした渡来人。もしかしたら服部や秦系なのかなと。大阪府池田市から兵庫・川西市あたりの神社仏閣の空気感もあったり。ちなみに、平安時代に編纂された『和名抄』では、百済郷という名の集落があったようだ。ただ、『延喜式』には載っていないので927年以降に創建のよう。
変更履歴
2026/03/01:初版
▼HP▼アクセス▼祭神・本尊と脇時
公式HP:--
アクセス:大阪府富田林市宮甲田町9−46
駐車場 〒584-0085 大阪府富田林市宮甲田町6−17
(川西小学校の門前にある鳥居の横から車で参道を抜ける)
祭神:
スサノオ
品陀別命(応神天皇)
菅原道真
▼見どころ
→由緒
古代、錦部(にしごり)と呼ばれ、錦を織る技術者の集落だった
下鴨神社(私のNOTE)、石清水八幡宮(私のNOTE)、廣瀬神社(私のNOTE)などと同じく、水流の合流点でもあり大変栄えた
神宮寺として「金輪寺」が建立された歴史がある
1363年、本殿を建立
元々は「水郡神社(にごりじんじゃ)」としていた
鳥居から拝殿へ続く参道は150mあり、かつて流鏑馬が行われた
錦織神社は『河内の三水分(かわちのみくまり)』の一つとして「上の水分」、『美具久留御魂神社(私のNOTE)』を「下の水分」、『建水分神社』を「上の上水分」と称されていた
1480年、本殿横に天神社が鎮座し、春日社も同じころに鎮座したとする
神仏分離で、神宮寺「金輪寺」は廃寺
1907年、現在の社名に改称
1935年、本殿修理の際に地中から平安時代中期の瓦が発見され、その時代以前に創建されたと推定される
→境内へ
















本当に社殿が素晴らしい!たぶん修復か遷宮したときの写真が美しい過ぎる。
→拝殿・本殿@重文
割拝殿のくぐると正面奥に二の鳥居、檜皮葺・平入切妻造の中門および瑞垣、そして本殿と並んでいる。




本殿中央:スサノオ
本殿右:品陀別命(応神天皇)
本殿左:菅原道真






本殿は、入母屋造りの重要文化財。軒唐破風に千鳥破風を乗せ、室町時代を代表する建物として「錦織造り」と呼ばれ、後に日光東照宮@国宝の拝殿にも影響を与えたとか。って、日光東照宮@国宝に影響を与えた社殿って、結構あるなと思う。そのうち纏めよう。





そして、立砂もあることを記しておく!!

→摂社:春日社@重文
祭神は熊野速玉神と春日大明神。春日に熊野速玉というのが面白い。熊野速玉大社(私のNOTE)には春日社はないのだが。。

→摂社:天神社@重文
祭神は火産霊神、オオクニヌシ、恵比寿神となっている。

→末社:弁財天
弁財天なので申し訳ないぐらいの人口池になっているのが面白い。


→末社:金刀比羅宮
オオモノヌシ。



狛犬が備前焼?とも思ったり。本宮をどうぞ!
▼メディア情報
錦織神社(にしこおりじんじゃ) - みなかわとりっぷ|大阪・南河内の魅力発信情報サイト(富田林・河内長野・大阪狭山・羽曳野・松原・藤井寺・太子町・河南町・千早赤阪村)
【富田林市】貫禄ある大型地車と黄金の神輿が境内一斉に集結!富田林秋祭りの前半、錦織神社の宮入と例大祭(奥河内から情報発信) - エキスパート - Yahoo!ニュース
【富田林市】天誅組決起160年慰霊祭が錦織神社境内顕彰碑で開催。幕末の南河内で活躍した若者たちとは(奥河内から情報発信) - エキスパート - Yahoo!ニュース
これ以降は本NOTEの下にあるコメント欄で追記します。
▼旅行記
大阪のネモフィラ×藤井寺&河内長野の神社仏閣/京都・松尾大社の松尾祭★大阪ミナミ⑱京都西京⑧★|やんまあ@旅行記
その他の大阪旅行記
▼セットで行くところ
▼私の備忘録



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