本殿が見どころ「烏帽子形八幡神社/加賀田神社/蟹井神社」【南河内シリーズ/大阪ミナミシリーズ】
烏帽子形八幡神社
烏帽子形山には楠木七城(河内七城)のひとつとされる烏帽子形城という城があった。楠小二郎がこれに拠い、城の鎮護として創祀したものと伝えられる。その後暫く荒廃していたが、室町時代に、河内源氏の末裔と言われる石川八郎左衛門尉が新たに入母屋造りの社殿を建立した。加賀田神社
宇佐八幡宮から勧請したと伝わっている。加賀田神社に残る境内図によると、元々は、本殿・拝殿・経堂があり、神宮寺・泉福寺があり、奥ノ坊・北ノ坊・南の坊・宮の坊・薬師堂を持つ大規模な神社だった。しかし、1595年に行われた秀吉の検地により社領を没収された歴史がある。蟹井神社
神武天皇・応神天皇・神功皇后・菅原道真を祀り楠木正成所縁の神社。急すぎる階段・・・。コワッ。。
変更履歴
2026/04/12:初版
▼烏帽子形八幡神社(えぼしがたはちまんじんじゃ)
→基本情報
公式HP:--
アクセス:〒586-0033 大阪府河内長野市喜多町305
駐車場
烏無料の駐車場があるが道は狭く3台ほどのスペースしかない
烏帽子形公園にも駐車場がある
祭神:スサノオ、八幡神(足仲彦命、神功皇后、応神天皇)
足仲彦命=仲哀天皇

→由緒
神宮寺・高福寺が創建されたが神仏分離令で荒廃
1480年、河内源氏の末裔・石川八郎左衛門尉が新たに入母屋造りの社殿を建立
1965年、解体修理時に棟札・棟束からこの年代のわかる墨書が発見
その後、室町末期に一度修理されたのみで荒廃
1617年、楠木一族の後裔・甲斐庄正房(正保)が、大阪四天王寺の普請奉行を勤めた折、その竣工後に自身の居城・烏帽子形城の鎮守が荒廃しているのを嘆き、その余材で改修したとされる
江戸時代頃には烏帽子形八幡宮や上田八幡宮とも呼ばれていたよう
明治初年、神仏分離により神宮寺は廃絶
1903年、小塩八幡神社を合祀
→駐車場から裏参道へ


ここも地蔵盆が残っているのかな~。

→参道
表参道と思っていましたが参拝後に気づいたのだが裏でしたね。








→表参道



→参道「恵比須社」

島根・美保神社(私のNOTE)よりコトシロヌシを勧請した。社紋が「三」ですね!!



出雲=龍蛇神という感じで彫が素晴らしい社殿!


→中門/割拝殿




→本殿@重文
割拝殿の通路をくぐると二の鳥居、銅板葺・平入切妻造の中門(拝所)、本殿が並ぶ。
本殿は、1480年の建立とされ、1617年に四天王寺普請の余材によって改修されている。祭神は、スサノオ、八幡神(足仲彦命、神功皇后、応神天皇)。













→本殿右「白山社」


→本殿左「平野社(比良野社)」

この社の謂れかと思ったが違うかった・・・。

京都・平野神社(私のNOTE)からということではないのかな・・・。
→本殿左「烏帽子形稲荷社」



→オマケ







→メディア情報
これ以降は本NOTEの下にあるコメント欄で追記します。
▼加賀田神社
公式HP:加賀田神社
アクセス:〒586-0071 大阪府河内長野市加賀田135
祭神:
誉田別命(ホンダワケノミコト)
足仲彦命(タラシナカツヒコノミコト)
息長足姫命(オキナガタラシヒメノミコト)
スサノオ
タカオカミ
→由緒
1480年、社殿を再建
1599年、絵図には境内の様子が描かれている
1654年の棟札が保管されている
1703年、氏子・谷善右衛門が、私財を投じて社殿を改修
1853年、火災で拝殿・薬師堂・中門・玉垣が焼失
1858年、再建され現在の社殿となる
1908年、周辺の神社から合祀
和佐神社からスサノオ・高龗神
上山八幡宮から誉田社別命、天神さん(菅原道真)
2016年、装飾絵画の修復工事をし、創建当時の色鮮やかな装飾絵画が蘇る
→本殿
→本殿左:天神
菅原道真を祀る。
→本殿右:恵比寿神
大歳神を祀る。
→楠公神社
→加賀田神社のオコナイ
https://www.youtube.com/watch?v=_-fjTmx31bA
→メディア情報
これ以降は本NOTEの下にあるコメント欄で追記します。
▼蟹井神社
公式HP:
アクセス:〒586-0062 大阪府河内長野市天見428
祭神:神武天皇、応神天皇、神功皇后、菅原道真
→由緒
1054年、創建
創建当時は「甲斐神社」と呼ばれていた
理由だが、この一帯は「甲斐の荘」と呼ばれていたことが由来とされているが、一説には、天見川に蟹井の淵という淵があり、その場所より御神体が出現したためという説もある
1331年、後醍醐天皇が鎌倉幕府に対する挙兵に対し、河内の豪族・楠木正成が呼応。後醍醐天皇は倒幕失敗したが、楠木正成は、南河内を拠点に抵抗を続けた
1333年、南朝軍と北朝軍とが、この辻で出くわして、「安満見合戦」と呼ばれる壮絶な合戦が行われた
「安満見合戦」と呼ばれるこの戦いで、蟹井神社も被害を受け、荘厳な社殿も焼失
楠氏一族が戦勝を祈願したと言われている
1676年、火災で焼失
この時に蟹井神社に改称
1692年、『寺社吟味帳』には八幡宮と記されている
1907年、天見村天見の八幡神社、岩瀬の菅原神社を合祀
1908年、菅原神社・若宮神社・住吉神社・若宮皇女神社・高良神社・八坂神社を合祀
→祭り
https://www.youtube.com/watch?v=qWA7lgtfb3o
→メディア情報
【河内長野市】蟹井神社は天見に千年近く鎮座しています。そこで「蟹」の意味を調べてみました。(奥河内から情報発信) - エキスパート - Yahoo!ニュース
【河内長野市】山奥の幻想的な秋祭は、まるでジブリの世界!天見の提灯行列や湯立神事は電車でOK(奥河内から情報発信) - エキスパート - Yahoo!ニュース
これ以降は本NOTEの下にあるコメント欄で追記します。
▼旅行記
大阪のネモフィラ×藤井寺&河内長野の神社仏閣/京都・松尾大社の松尾祭★大阪ミナミ⑱京都西京⑧★|やんまあ@旅行記
大阪旅行記
▼セットで行くところ
▼仏像展
#烏帽子形八幡神社
#加賀田神社
#蟹井神社
#南河内シリーズ
#大阪ミナミシリーズ
#烏帽子形山
#楠木七城
#河内七城
#烏帽子形城
#神宮寺
#泉福寺
#大阪
#河内長野市
#スサノオ
#八幡
#高福寺
#わたしの旅行記
#一度は行きたいあの場所
#神社仏閣
#神社
#神社巡り
#やんまあ
#やんまあ旅行記
#旅行記
#やんまあ神社仏閣
#人文学
#大阪
#大阪ミナミシリーズ
#河内長野シリーズ
#八幡
#旅行・おでかけ
