八幡だけど社殿は神明造「長濱八幡宮/舎那院」神仏習合!長浜曳山まつり!長浜城主・秀吉【滋賀湖北シリーズ/滋賀湖北シリーズ/長浜シリーズ】
石清水八幡宮(私のNOTE)を勧請し300の塔頭など持った大寺院!!八幡宮なのに、社殿はアマテラスを祀る神明造りとなっている。一説によれば伊勢神宮(私のNOTE)の御饌殿を譲り受けたとも。
元日の「どんど焼き」では、火おこし神事をする。京都・西院春日神社(私のNOTE)は目の前で観れますよ。
変更履歴
2025/07/02:初版
▼長濱八幡宮:滋賀県長浜市宮前町13−55
→由緒
1069年、源義家が後三条天皇の勅願を受け、京都の石清水八幡宮(私のNOTE)より勧請
それより「八幡の庄」と称えられ庄内十一郷の産土神として深く崇敬される
往古は地名(坂田郡)に因んで「坂田八幡宮」、また神宮寺である勝軍山新放生寺に因んで「新放生寺八幡宮」と称された
中世においては、佐々木氏・京極氏・浅井氏などが深く尊崇
本宮・石清水八幡宮を凌ぐくらいの神仏習合の塔頭・子院が300ぐらいあった
1536年、後奈良天皇より社領3千石を賜る
兵火で社殿はほとんど焼失された
1574年、豊臣秀吉が長浜城主となり、荒廃を惜しみ、社殿の修理造営をして再興
これが「長浜曳山祭」の起源とも
八幡庄11郷の産土神として崇敬を受けた
明治の神仏分離により、勝軍山新放生寺は子院の舎那院を除いて廃され、本尊の愛染明王・阿弥陀如来等の仏像・宝物も舎那院に移された
公式HPをどうぞ!
誉田別尊(ほむたわけのみこと)(応神天皇)、足仲彦尊(たらしなかつひこのみこと)(仲哀天皇)、息長足姫尊(おきながたらしひめのみこと)(神功皇后)を祭神とする神社。4月14日から16日に行なわれる長浜曳山まつりは、国の重要無形民俗文化財に指定され、毎年全国から数万人の観光客を集めています。
平安時代、京都石清水八幡宮から神霊を移して祀ったことに始まります。多くの武将の庇護を受け、安土桃山時代には豊臣秀吉によって、社殿の修復がなされました。それに先だつ室町時代中期、神前に近江三座の猿楽を招いて勧進興行が行なわれ、その収益で塔が建立されています。
社宝のなかには、この時の奉加帳が、県指定の重要文化財として残されています。さらに安土桃山時代、秀吉と養子秀勝(於次)の連署奉加帳、南北朝時代の梅樹双雀文鏡、能装束などがあり、秀吉が寄進したという庭園も見逃せません。
(引用元:滋賀・びわ湖観光情報より)
→参道
参道を直角に左(北)へ曲がり拝殿・本殿に行くアプローチになっている。神橋もある神社で、「八幡神社」と書かれて石碑もある。







→境内へ
参道を行き当たりを左へ行くと拝殿・本殿になります。








→拝殿・本殿








八幡宮なのに神明造りとなっている。一説によれば伊勢神宮の御饌殿を譲り受けたと言い伝えられているよう。
主祭神は東に足仲彦尊こと「仲哀天皇」、中御前に誉田別尊(ホンダワケノミコト)こと「応神天皇」、西御前に息長足姫尊(オキナガタラシヒメノミコト)こと「神功皇后」と八幡神ですね。



→高良神社/ボケ封じの石
八幡系の摂社、いや本殿に寄り添うようにタケノウチノスクネは鉄板ですね。ご利益があるという「ボケ封じの石」も高良神社のすぐ横にある。また、赤ちゃんのお食い初めに使った歯固めの石を奉納するところにもなっている。







→舎那院
境内右に寺がある。本NOTEでは後述します。本殿方面に戻ります。

→本殿左の摂社・末社へ「清々井戸」など




→本殿左の摂社・末社「都久夫須麻神社」「永久寺」
昭和までおよそ2km離れている八坂神社の弁天池で行われていた「永久寺の蛇の舞」が、ここの放生池において毎年、お盆の行事として引き継がれている。

毎年お盆に「蛇の舞神事」が奉納され中心には「都久夫須麻神社」が祀られている。これは琵琶湖に浮かぶ竹生島の都久夫須麻神社から勧請でしょう。



社殿左には、三尊石組と枯滝石組がある。向かって右に蓬萊石組が設置されている。

本宮は竹生島ですね。
→天満宮/地主神社/熊野神社/金刀比羅宮/河濯神社/末広稲荷大神
本殿から近い順に参拝します。まずは天満宮です。



次に「地主神社」ですね。祭神はあまり聞かない大地主神です。その横に「熊野神社」となっている。八幡系に熊野は面白いですね。






次に「金刀比羅宮/河濯神社」ですね。セオリツヒメは面白い。




ラストは末広稲荷大神こと稲荷社です。



→長浜曳山まつり
長浜市資料「長浜曳山祭にみる歴史的風致」
→はだか祭り
→節分祭
→メディア情報
これ以降は本NOTEの下にあるコメント欄で追記します。
▼舎那院
長浜八幡宮の隣にある真言宗豊山派の寺
明治維新の神仏分離までは、八幡宮の神宮寺とされた
814年、空海が開基したと伝えられている
山号の勝軍山は後三条天皇より賜ったもので、神宮寺として「勝軍山 新放生寺 八幡宮」となった
平安中期には源義家が東夷征伐の前に、戦勝祈願を行ったとか
その後、戦火のために焼失
安土桃山時代に豊臣秀吉が再建
本尊の愛染明王坐像と、観音堂の阿弥陀如来坐像は国の重要文化財
境内には本堂、観音堂、太子堂、地蔵堂、護摩堂などの堂宇が建ち並ぶ
8月の後半から9月いっぱいにかけて咲く芙蓉の寺院
300余りの塔頭・子院を持つ寺だったが、戦乱の兵火などにより衰退の一途をたどる
明治維新の廃仏毀釈によって 「新放生寺」は「舎那院」だけが残った
廃寺となってしまった仏像は、ここに集められている




→「観音堂/太子堂/弁天堂」







→本堂



須弥壇には秘仏本尊の御前立の「愛染明王坐像」と「多聞天」「持国天」を安置している。本堂左から「薬師如来坐像と十二神像」「馬鳴菩薩」「大日如来坐像」が並び、右側には「空海像」が安置されている。
「馬鳴菩薩」は、貧民の衆生に衣服を与える菩薩であるとか「養蚕織物の神」として祀られる菩薩のようです。って秦氏・服部氏系なのかな・・・。




本堂裏に収蔵庫があり花の見どころのようだ。秘仏本尊の「愛染明王坐像@重文」や「阿弥陀如来坐像@重文」「薬師如来坐像」などが安置されている。阿弥陀如来坐像は圓常寺のものを秀吉が気に入り、 舎那院の前身「新放生寺」に持ち込んだという逸話が残っている。



→護摩堂
大晦日から正月にかけて開帳され、「不動明王立像」「歓喜天」「大黒天」を見仏できるが、仏像好きはお見込みの通り「歓喜天」は開扉されない。







→長浜八幡宮へ戻る

→メディア情報
これ以降は本NOTEの下にあるコメント欄で追記します。
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