若狭彦💛若狭姫「若狭国一之宮 若狭彦神社 上社」水の国・若狭国一宮と東大寺【北陸シリーズ/福井シリーズ】
福井県小浜市に鎮座する若狭彦神社と若狭姫神社は、古くから若狭国一宮として崇敬を集めてきました。上社には彦火火出見尊、下社には豊玉姫命が祀られ、二社は深い歴史と信仰で結ばれています。特に注目すべきは、奈良・東大寺のお水取りとの繋がりです。若狭の水が東大寺に送られるという伝承は、両社の神聖さを示すとともに、水の恵みへの感謝を表しています。本記事では、若狭彦神社・若狭姫神社の由緒、歴史、見どころを徹底解説。創建から現代に至るまでの変遷、国幣中社としての格式、そして今も息づく二社参りの魅力に迫ります。
10年前の参拝記録であっさり版は次のNOTEです。(若狭彦/若狭姫神社!東大寺・お水取り! 若狭「お水送り」から始まる-神宮寺【福井シリーズ】|やんまあ)
▽若狭彦神社・若狭姫神社
若狭姫神社を下社、若狭彦神社を上社とし、元々は神宮寺とセットだった。 祭神は、彦神社は彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと・山幸彦)、姫神社は豊玉姫命(とよたまひめみこと・乙姫) で奈良の東大寺で二月に行われるお水取りと深く密接に結びついている。
東大寺のお水取りは木のエネルギーを活性化させる行事なのですが、それには育てるための水が必要で、その若水が若狭の水ということらしい。
東大寺でもその旨を記載しており、地下で繋がっているとか・・。御朱印は下社だったかと。
下社は本NOTE公開後の翌日です。
変更履歴
2026/06/03:初版
▼HP▼アクセス▼祭神・本尊と脇時
アクセス:福井県小浜市竜前28−7
祭神:若狭比古神(彦火火出見尊(ヒコホホデミノミコト・山幸彦))
「彦火火出見尊(ヒコホホデミ・山幸彦」
奈良の東大寺で二月に行われるお水取りと深く結びついている。東大寺のお水取りは木のエネルギーを活性化させる行事で、育てる水が若狭の水ととしている。
ヒコホホデミは宮崎の青島神社ですね。(神話・海幸彦山幸彦の舞台!昔は神職以外は入れなかった「青島神社」と絶世の美女「木花神社」へGO!|やんまあ)
▼見どころ
→由緒・歴史
714年: 若狭国下根来・白石の里に、若狭彦神(彦火火出見尊)・若狭姫神(豊玉姫命)が示現したと伝わる。海神を祖とする二神の顕現地として、白砂の地に神聖な兆しがあったと記録される。
715年: 若狭彦神が竜前の地(現在地)に遷り、若狭国で最も古い社のひとつとして若狭彦神社 上社が創建される。若狭国北側を守護する「北の宮」として位置づけられた。
721年: 若狭姫神が上社の南へ分祀され、若狭姫神社(下社)が成立。これにより、上社=若狭彦神、下社=若狭姫神という明確な二社体制が整う。後に「若狭二宮」と総称される祭祀構造の基礎となる。
8〜9世紀(奈良〜平安初期): 朝廷より恒例の奉幣を受け、若狭国を代表する海陸交通の守護神として崇敬が進む。御食国・若狭から朝廷へ海産物を献上する際、航海の安全祈願が必ず行われたとされる。
927年: 『延喜式神名帳』に「若狭比古神社二座(名神大社)」として上社・下社がともに記載される。名神大社は式内社の中でも特に霊験顕著な社に与えられた格で、中央からの信任が非常に厚かったことを示す。
10〜12世紀(平安中期): 若狭国府の鎮護社として機能し、国司交代の際には必ず参拝が行われる。若狭彦神は「開国の神」、若狭姫神は「水産・豊饒の神」として、海民系の信仰を中心に広まる。
鎌倉〜南北朝期(13〜14世紀): 応永年間の文書に、若狭彦神社が「若狭国一宮」として確立していたことが記録される。武士階級の寄進も増え、祭祀は隆盛を極める。
室町時代(15世紀): 府中(福井県小浜市)を中心に若狭武士団が発展する中で、上社は武家からの崇敬も篤く、国境の守護神として重要視される。
とくに朝倉氏・武田氏の支援による再建・修理が複数回行われたと伝えられる。戦国時代(16世紀): 若狭国を巡る争乱の中でも社地は守られたが、戦火で社殿が損傷した記録が残る。しかし古来の祭祀は中断することなく継続したと伝わる。
1813年: 現在の上社本殿が造営される。三間社流造で、素木の風格を示す壮麗な建築であり、のちに福井県指定文化財となる。江戸後期の若狭地方の建築技術の到達点を示す貴重な遺構。
1830年: 現在の神門が完成。彫刻・木組ともに秀逸で、上社境内の象徴的な建物となる。
江戸末期(19世紀): 「若狭一宮」としての地位はゆるぎなく、若狭彦神社(上社)・若狭姫神社(下社)への**両宮参拝(お宮通り)**が広く行われるようになる。航海安全・海産豊漁の祈願が全国から集まった。
1871〜1872年: 明治政府による神仏分離・社格制定において、若狭国では唯一、上社・下社が合せて国幣中社に列せられる。これは国家祭祀に準ずる非常に高い格付けであり、古代以来の格式が再確認された。
近代〜現代:
上社(若狭彦神)と下社(若狭姫神)を訪ねる「二社参り」は現在も盛ん。
海と山を結ぶ若狭の古い信仰体系を色濃く残す社として、民俗学的にも重要視される。
年中行事「お水送り」との関連(若狭から東大寺二月堂へ水を送る伝承)を補う地域的信仰の中心としても知られる。
小浜市下根来白石に鵜ノ瀬というところがある。遠敷川の清流が突き当たって淵をなしている巨巌の上に、先ずは若狭彦神、次いで若狭姫神が降臨されたと伝えられる。この南方 150mの所に創祀の社と伝えられる白石神社がある。その後、永久鎮座の地をもとめて若狭国内を巡歴された末、霊亀元年9月10日に竜前に若狭彦神社、6年後の養老5年2月10日に遠敷に若狭姫神社が鎮座、現在に至っている。
下社は古来、若狭姫神社、遠敷神社(遠敷明神)と称していたが、明治4年、国幣中社に列せられ官祭を仰せ出された後は若狭彦神社下社と公称されるようになった。
御神徳は広大無辺にして、古来より現代に至るまで皇室の御崇敬を始め、庶民一般の信仰が篤く、特に農業・漁業・安産育児、畳・敷物商工業の守護神として信仰が深い。
→境内への参道



10年経つと年紀が入ってきますね。










→随神門














→拝殿・本殿









本殿は、1813年造営で正面、側面、向拝が3間の三間社流造桧皮葺の建物で、山を背景に建てられています。

神門(中門)は切妻平入で1830年の造営
本殿は三間社流造で1813年の造営
それぞれ檜皮葺で県指定文化財となっていたが2020年代の参拝ではそうではなくなったようだが。。。
神仏習合時代は本地仏・薬師如来@重文が安置されていたようで竜前村へ譲渡されたようだ






→摂社・末社とその他
「若宮=主祭神の若君」ですね。


若宮社は山幸の息子であり神武天皇の父「うがやふきあえずのみこと」を祀っている。私のNOTEは次の通り。(日南海岸に面した断崖「鵜戸神宮」で運玉に挑戦!神武天皇の父ここにあり!|やんまあ)


→オマケ:★纏め★若狭の古社・美仏の旅|やんまあ
→オマケ:若狭彦💛若狭姫「若狭彦神社💛若狭姫神社」山幸💛トヨタマヒメ【北陸シリーズ/石川シリーズ/福井シリーズ】
▼メディア情報
これ以降は本NOTEの下にあるコメント欄で追記します。
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◆福井⑨◆10年ぶりの若狭小浜エリアの歴史と紅葉|やんまあ@旅行記
公開以降の旅行記は次にアップします。
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