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福山城の鬼門!TVで開運紹介「艮神社/観音寺/妙政寺/定福寺/本庄八幡神社」宮本武蔵/城主の寺社まとめ【広島シリーズ/広島福山シリーズ】

 「艮神社(うしとらじんじゃ)」と「観音寺」は江戸時代には福山城の鬼門を守る役割を得て「艮神社」と改名され長く崇敬されてきた。祭神はスサノオとイザナギで、地域の氏神として人々に親しまれている。2022年に開運スポットとしてメディアに紹介され注目を集めたようだ。TV番組『マツコの知らない世界』で、『2022年一番オススメの開運神社』として紹介されたようで。
 「定福寺」は福山城主ゆかりの寺で、「本庄八幡神社」は八幡だけど、祭神は宗像三女神!?

変更履歴



▼艮神社:広島県福山市北吉津町1-5-24

公式HP:https://ushitorajinja.org/
X:https://twitter.com/ushitorajinja
祭神:スサノオ、イザナギ

→由緒

  • 1100年頃に創建

  • 福山地方一円の鬼門守護神、厄除神として崇敬されている

  • 藤原家の荘園として栄えた福山でスサノオを祀る「牛頭天王社」として創始

  • 1334年、イザナギを併祀の上遷座、当時の集落の中心地の産土神 「秋津洲神社(あきつしまじんじゃ)」と改称

  • 1619年、初代福山藩主・水野勝成の福山城築城に際して、城郭の鬼門・艮の方位を鎮める守護神「秋津艮大明神(アキツウシトラダイミョウジン)]と称えられた

  • 1683年、水野勝種の緒社殿の寄進を始め、度々造営、修復がなされた

  • 明治以降に「艮神社」となり、広く福山地方一円の鬼門守護神、厄除神として崇敬されている

  • 2022年には『マツコの知らない世界』で紹介された

当社は、平安時代、福山が藤原家の荘園として栄えていた当時(天永年間、西暦1110年頃) 須佐之男命を祀る
「牛頭天王社(ごづてんのうしゃ)」として(牛頭とは須佐之男命の呼称)、今の福山市木之庄町に建立されておりました。
降って、建武元年(西暦1334年)今の地に伊邪那岐命を併祀の上遷座、当時の集落の中心地、吉津、木之庄、本庄、奈良津、千田各郷一帯の産土神 「秋津洲神社(あきつしまじんじゃ)」と改称された
旧福山最古の神社であります。
その後、初代福山藩主水野勝成公の福山城築城(元和5年、西暦1619年)に際しては、城郭の鬼門・艮(うしとら)の方位(北東)を鎮める守護神「秋津艮大明神(あきつうしとらだいみょうじん)]と称えられます。
天和3年(西暦1683年)
水野勝種公の緒社殿の寄進を始め、度々造営、修復がなされ、御社頭ますます賑盛を極めます。
明治以降は現在の御社名「艮神社」となり、北吉津町を始め38町、約5000戸の氏神、又広く福山地方一円の鬼門守護神、厄除神として崇敬されております。

公式HP

→参道

→拝殿・本殿

→宇受売神社/大国主神社/諸神社

  • 荒神社:カグツチ、ウカノミタマ、大戸比売神

  • 大国主神社:オオクニヌシ

  • 諸神社:アマテラスと八百万神

  • 霊府神社:天之御中主神

  • 祖霊社:神職・総代

→メディア情報

これ以降は本NOTEの下にあるコメント欄で追記します。

▼観音寺:広島県福山市北吉津町

 艮社の東側にあって、艮神社の別当寺である。福山城築城の時草戸より引く(『福山志料』より)とも、また一説には、深津にあった古い由緒の寺を、城下町形成時代にもとの永徳寺跡地に建立(『水野記』より)とも伝えられている。真言宗で、本尊は観音菩薩。
 平成十五年(二〇〇三)の解体修理により、神辺西福寺の築材が発見されている。
 本堂・表門ともに広島県重要文化財である。慶安四年(一六五一)建築の棟札を有する本堂は、和様・唐様・天竺様の手法を用いた折衷様式である。表門は、本堂と同時期に建てられたものと見られ、どちらも装飾に桃山建築の遺風がうかがえる。

『新版福山城 / 福山市文化財協会(2006年)』より

→表門

→本堂

 広島県内に現存する近世唯一の本格的な密教寺院の本堂。名僧・重源によってもたらされた天竺様(大仏様)、鎌倉時代後期から禅宗寺院に採用された唐様(禅宗様)の手法が折衷されたもの。

→メディア情報

これ以降は本NOTEの下にあるコメント欄で追記します。

▼妙政寺:観音寺横

公式HP:https://www.myoshoji.info/index.html

 観音寺仁王門の右手奥に見える。本堂前に宮本武蔵ゆかりの石灯籠がある。

  • 福山藩2代目藩主・水野勝俊と正室の菩提寺

  • 1573年、創建

  • 水野藩とともに愛知から引っ越してきた歴史を持つ

 中世に存在した永徳寺跡の東端に位置し、両社八幡(現・福山八幡宮)を西に、城背の丘陵一帯に社寺を配した近世城下町の防備をも考慮にいれた一環の立地に存在する。
 妙政寺の創建は天正年中(一五七三‐九一)三河国刈屋に於て水野忠重(勝成の父)の家臣上田正勢が菩提寺として建立したが、水野家の福山移封に際し、寛永年中(一六二四‐四二)寺町寂円寺前に引き、後に寛文六年(一六六六)、福山家老上田玄蕃(正勢の孫)が現在の地に在った弘宗寺を桜馬場に移して建立した。
 本寺は、日蓮宗で長久山を号す。慶安五年(一六五二)に福山城主水野勝俊の息女万壽が病を得た際、この寺に祈祷を命じ、一代かぎり妙政寺を菩提寺とした。

『新版福山城 / 福山市文化財協会(2006年)』より

→メディア情報

これ以降は本NOTEの下にあるコメント欄で追記します。

▼定福寺:広島県福山市西町3丁目26-14

 初代福山藩主・水野勝成、2代藩主勝俊の生母・御登久の墓(香源院)、後妻・御珊の墓(良樹院)の妻の墓がある。ただ、この寺は、米軍の空襲によって焼失した歴史があるようで、今は鉄筋コンクリのお堂になっている。

  • 水野勝成の息女心光院の菩提寺として愛知に造営される

  • 1621年、水野家が福山藩主に伴い、大和郡山を経て、福山城下北西端の現在地へ移り、水野家の関係寺院となる

  • 福山藩の阿部家の香華院になる

  • 水野勝成の室・香源院、母・良樹院、阿部家の儒臣伊藤梅宇、霞台、蘭畹の墓所がある

▼本庄八幡神社:広島県福山市北本庄2丁目7−21

 ※円照寺(広島県福山市北本庄2丁目6−30)から車で境内に入れる

 八幡社の祭神といえば、応神天皇、神功皇后は絶対だと思っていたが、ここにはいない・・ヒメガミはいるが、明示的に宗像三女神(田心姫命、湍津姫命、市杵島姫命)となっているのはなぜだ?

  • 『広島県神社誌』によると京都・石清水八幡宮を勧請

  • 1353年、足利直冬が山口・阿弥陀寺の社領荘園に木之庄を寄進している(足利直冬は当時中国探題と称し鞆大可島城を居城としていた歴史がある)

  • 1473年、北野天満宮(私のNOTE)の社領に備後では唯一吉津庄が記載されている

  • 1580年、堂坂山に社殿を造営し遷座したとする(『広島県神社誌』より)

  • 本庄八幡宮の後ろに小祠があり平貞盛の霊を祀った「貞盛霊社」がある

  • 石清水八幡宮から勧請したのであれば宇佐の八幡神であるから応神天皇、神功皇后、そして比売大神(ヒメノオオカミ)の三柱であるはずだが、宗像三女神のみ祀るのは珍しい

  • 拝殿内に飾られた大きな絵馬がある

▼旅行記▼セットで行くところ

広島③◆福山市の神社仏閣/鞆の浦ブラリ(33年に一度の秘仏公開&福山の仏像集合)|やんまあ@旅行記

その他の旅行記は次を参照

広島の神社仏閣は次を参照。

▼仏像展

2024年:★秘仏公開★33年に1度「明王院」★仏像展★「ふくやまの仏さま-国宝明王院本堂本尊33年ぶり特別公開記念」


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