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空也上人創建&本尊彫る「那智山正暦寺」2026年33年ぶり御開帳【丹波国(丹波王国)シリーズ/丹波シリーズ】

平清盛の嫡男・平重盛が深く帰依し「那智の瀧に似ている~」という一言から「那智山」となり一条天皇から「正暦」を頂く。

秋に本尊秘仏公開があるようなので更新します!!

変更履歴
2026/08/17:初版


▼HP▼アクセス▼祭神・本尊と脇時

▼見どころ

→由緒・歴史

  • 995942年:空也上人によって開山されたと伝わる。

  • 991年:寺号は雨乞祈願により一条天皇より年号「正暦」をいただく。創建伝承は平安末期〜院政期の山岳密教・修験の流れと結びつく(ただし開山伝承の細部は史料により差異あり)。

  • 10〜11世紀(平安後期): 光明寺山(綾部郊外)にて七堂伽藍を備えた規模ある寺院として発展。伽藍には本堂・金堂・講堂・僧坊群が整備され、広域の信仰拠点・修行道場として機能したとされる。

  • 平清盛の嫡男・平重盛が深く帰依したと言われている。

    • 平重盛は1138年生まれ、1150年に鳥羽法皇の蔵人になり、その後公卿・参議などを歴任し、1179年に出家

  • 11〜12世紀: 天皇や上級貴族からの崇敬が伝わり、寄進や勅願が行われた可能性がある(勅願寺化の伝承を持つ寺院に共通する動向)。この時期に地域の有力豪族・荘園領主との結びつきが強まり、檀家基盤が形成される。

  • 12〜13世紀(鎌倉初期): 真言系の教線が広がる中、正暦寺も密教儀礼と念仏・修験的要素を折衷していった痕跡が伝承に見られる。地域の救済・安産・疾病平癒といった民間信仰の受皿としても重要な役割を果たした。

  • 14世紀(南北朝〜室町初期): 内乱期・荘園争いの影響を受けつつ、寺は檀那・領主の交替に伴う保護を受けて存続。文書(棟札や寄進状)が残る寺院では、この時期に再興や修理を示す記録が見つかることが多いが、正暦寺の詳細な史料は限定的で、複数の伝承が併存する。

  • 16世紀(戦国期): 周辺地域の戦乱に巻き込まれ、堂宇や伽藍が損壊・焼失したとの伝承がある。戦国期には一時的に寺勢が衰え、住僧が分散した形跡が見られる場合がある(当地の戦乱史と照合して復元される)。

  • 1638年: (寛永15年に相当)寺が現在の綾部市寺町へ再建・移転された年として伝わる。江戸幕府初期の治安回復・領主による再建支援の波の中で、旧地からの移転や伽藍の改修が行われ、寺勢は回復する。

  • 江戸時代中期〜後期: 地元藩(京都府域の藩、あるいは当地を支配した藩)や郷士層の保護を受け、堂宇・庭園・経蔵などが整備される。檀家制度に基づく地域宗教行事(年忌、地蔵講、彼岸会など)が定着する。

  • 鎌倉〜室町以来の仏像・文化財(制作年代付与): 本尊毘沙門天立像(鎌倉時代作と伝わる)は、鎌倉彫刻の写実性や造形感覚を示す逸品で、地域の信仰財として保存されてきた(現代では府の文化財指定などが行われる)。

  • 明治維新期(1868年以降): 神仏分離や廃仏毀釈の影響は地域寺院にも及び、正暦寺でも境内構成や仏教行事の整理を余儀なくされた可能性がある。明治以降の近代的檀家制度・宗派再編の中で、寺は真言宗大覚寺派に属することとなる過程をたどった。

  • 19世紀末〜20世紀初頭: 近代復興期。老朽化した堂宇の再建修復、寺史料(古文書・棟札等)の整理、庭園の修整などが行われ、地域文化財としての位置づけが固まる。

  • 戦後(1945年以降): 戦災を免れたことにより、寺域の文化財保存と地域宗教行事の継続が図られる。地域史研究や文化財保存運動の一環で、毘沙門天像や庭園が調査・保存対象となることが多い。

  • 後期20世紀〜現代: 境内の庭園や本堂、毘沙門天像などが地元自治体や文化財保護団体の支援で保存整備される。寺は文化財公開、地域行事(彼岸・盆・年中行事)の継続、檀家外の参詣者向けの行事開催など地域の拠点としての役割を再確認する。

  • 文化財・建築面の補注(時期不詳〜継続):

    • 本尊毘沙門天立像は鎌倉彫刻の特色を伝える作例として、保存修理や像内調査が行われている(具体的修理年は史料により異なる)。

    • 境内には丹波地域特有の庭園景観や墓域が残り、地域史研究の対象となっている。

  • 現代の活動(21世紀): 寺院としての法要・供養(檀信徒向け)に加え、文化財の公開、地域史講座、庭園の季節公開など文化振興的活動にも取り組んでいる例が見られる(寺ごとに実施状況は異なる)。

→境内へ(墓地の駐車場より)

→山門

→本堂

→2025年前開帳

 2026年に本尊・聖観音坐像の御開帳があります。説明いただいた方も見たことがなく楽しみだとのこと。立派な厨子に守られた脇侍・不動明王像と毘沙門天像を御開帳だった。秘仏アルアルで開いたら無かった、傷みがひどく崩れていたということがあるので確認も兼ねた御開帳のようだ。

 御前立は小さいが本尊は3倍ぐらいの大きさがある。毘沙門天像は左手を腰にあてており多宝塔を持っていないが腰の捻りはある。厨子などの保存状態も良いので本尊に期待をする。

【公開内容】
住職案内による不動明王像、 毘沙門天像の拝観
【公開日時】
令和7年11月15日(土)から11月30日(日) 16日間
【受付時間】
・午前10時
・午前11時
・午後1時
・午後2時
・午後3時
【拝 観 料】
大人1,000円、中高生500円

正暦寺 | 2025年秋 | 公益財団法人 京都古文化保存協会

→2026年御開帳

 空也上人が聖観音坐像を刻んだのが、33年ぶりに御開帳!!2025年は脇侍のみ御開帳で、御前立を見仏したが、本物はどうなのかワクワクした1年だった。

※御開帳待ち

→庫裏と庭園

宿坊もしているようですね。詳細は「那智山正暦寺 - Rakuten Oyado」です。

1700年代に作られた庭園は、石や苔を敷き水の流れを表現する枯山水様式で、京都府指定名勝になっている。境内には萩やつつじが四季折々の姿を見せ、高台にある山門からは由良川と新綾部大橋を見渡すことができる。

森の寺 正暦寺

涅槃図には、釈迦が沙羅双樹の下に横たわり臨終をむかえようとする時、その死を嘆き悲しむ菩薩、弟子や信者、動物などの姿が描かれている。 顔を伏せて泣く姿や目を覆って悲しむ姿、動物たちの表情までもが繊細に表現され、濃厚な色彩と柔らかい線を使って描かれている。 紙ではなく絹に彩色されているため、発色がよく奥行きの感じられる仏画となっている。 画風から鎌倉時代 (1182〜1333)の作と考えられている。 1904年、重要文化財指定。

森の寺 正暦寺

 庫裏には国指定重要文化財に指定されている「絹本著色仏涅槃図(鎌倉時代)」があるのだが、奈良国立博物館に寄贈しているようで、写しでした。なので写真OKでした。

→山門

 10年前に焼失した歴史があるようで、2025年は修復中だった。

→神社

→観音堂

▼メディア情報

これ以降は本NOTEの下にあるコメント欄で追記します。

▼旅行記

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▼仏像展


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