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国宝級の大発見「富雄丸山古墳」vol.2★随時更新★ナガスネヒコorタケノウチノスクネ-

注目の「富雄丸山古墳」を2023年から追い続けるNOTE。って、最近は全然情報が入ってこないが、どうなっているんだろうか。と思っていたら動きがったので、2巻目として出してみた。

変更履歴


▼2024年の発見(1巻の纏め)

1回目は次の通りです。簡単に箇条書きで纏めてみた。既に知っている方はスキップして頂ければと思います。(国宝級の大発見「富雄丸山古墳」埋葬されていたのは誰?ナガスネヒコ??★随時更新)

■ 富雄丸山古墳とは

  • 奈良県にある日本最大の円墳(4世紀後半の築造)

  • 国宝級の副葬品が多数発見され話題に

  • 現地説明会には2日間で4,500人来場

  • 初公開された展示には8日間で17,000人以上が来場、2時間待ちの列も

■ 発見された主な埋蔵物

  • 盾形銅鏡(日本初の形状)

  • 蛇行剣(長さ237cm、東アジア最大の鉄剣、木の鞘に漆と水銀を使用)

    • 複数が重なっているという説も

    • 卑弥呼の「一丈剣(約2.3m)」に影響された可能性

    • 割竹形木棺(丸太を割って中をくり抜いた構造)

    • 全長5.6m、幅70cm

    • 棺の下から銅鏡3枚、漆塗りの櫛9点

    • 頭部に水銀、足元に漆 → 巫女の可能性あり

  • その他、武器・武具も発掘

  • 粘土質の土壌による高い保存状態

  • 今後も類似の古墳発掘が期待される

■ 被葬者は誰か?

  • 4世紀:文字が未発達な時代、ヤマト王権の成立期

  • 大王(後の天皇)による合議制的な支配が形成された時代

  • 近くに前方後円墳の佐紀古墳群 → ヤマト王権の有力豪族の可能性

  • 円墳は新興豪族の墓の可能性も

  • 棺の構造・副葬品から男性と女性(妹?)の合葬説

  • 候補者(あくまで推測):

    • ナガスネヒコ(長髄彦)

    • 登美氏関連

    • ナガスネヒコの子孫(2世、3世?)

    • 武乳速命(タケチハヤノミコト)

■ ナガスネヒコとは

  • 神武天皇の東征時に大和で対峙した豪族

  • 『日本書紀』:長髄彦、『古事記』:登美能那賀須泥毘古などとも表記

  • ニギハヤヒに仕え、妹(三炊屋媛)を嫁がせた

  • ニギハヤヒとの間に生まれた子が物部氏の祖・ウマシマジ

  • 神武に対して「天つ神の子は二人もいらない」と反発し戦う

  • 地元では英雄視される存在

■ ナガスネヒコを祀る神社

  • 公式に祀られていないが、関連が示唆される例あり

  1. 石切劔箭神社上之社(大阪・東大阪)

  2. 添御県坐神社(奈良)

    • 武乳速命を祀る(ナガスネヒコとされる説)

  3. 等彌神社(奈良)

  4. 矢田坐久志玉比古神社(奈良)

▼2025年の情報

→2025年夏

 奈良市の富雄丸山古墳(4世紀後半築造、直径109メートル)から発掘された大型の青銅鏡3枚が一般公開され、考古学界やメディアで大きな話題となりました。

 2024年2月に木棺から出土したこれらの鏡は、直径約20センチで保存状態が極めて良好でした。詳細な調査により、製作時代がそれぞれ異なることが判明。最古の「虺龍文鏡」は紀元前1世紀末から紀元1世紀初頭の前漢〜新代時代に、中国で作られたもので国内最大級(直径19.1cm)です。次に後漢時代(2世紀末〜3世紀前半)の「画像鏡」、そして最も新しいのは魏時代(3世紀中頃)の「三角縁神獣鏡」で、女王卑弥呼が魏の皇帝から授かったと伝えられる鏡としても知られています。

 注目すべきは、これら約400年もの時間差を持つ異なる時代の鏡が、同一の木棺内で重ねて意図的に副葬されていた点です。橿原考古学研究所の岡林孝作学術アドバイザーは「これほど異時代の鏡が一緒に埋葬される例は極めて珍しく、被葬者は当時のヤマト王権から重用された有力者だった可能性が高い」と指摘しています。

 また、これらの鏡はすべて中国大陸で製作され、奈良盆地南東の佐紀古墳群にあった同時代の王権から贈与されたと考えられています。被葬者の正体は未だ謎に包まれているものの、王権との強い関係が示唆されており、ナガスネヒコや武内宿禰や千志比古などの古代人物が候補として議論されています。

 2025年8月1日から17日まで、奈良県橿原市の橿原考古学研究所付属博物館で、樹脂コーティングを施さず「ありのままの状態」での特別公開が行われ、多くの来場者を集めました。鏡の保存担当者は「光沢など加工されていない銅鏡の姿を見られるのは今回が最初で最後」と語っています。

 さらに奈良市は、ウズベキスタン・サマルカンド市の姉妹都市との交流の一環として、2027年夏に奈良国立博物館で「奈良・サマルカンド特別交流展」を開催予定。ここでは富雄丸山古墳から出土した国内最大の虺龍文鏡と、サマルカンド郊外のコクテパ墳墓から出土した類似鏡が並べて展示され、シルクロードを介した古代ユーラシアの広域文化交流の証として注目されています。

 各メディアは、国内最大級の青銅鏡の発見や異なる時代の鏡が同一木棺に副葬されていたことを「考古学的快挙」「王権との深い関わりを示す貴重な発見」として報じました。一方で、被葬者の謎が深まったことも伝えられ、今後の研究や発掘に期待が集まっています。

専門家の解説です。

→新説!!蛇行剣「物部氏とつながり」…千田稔・奈良県立図書情報館長が新説

奈良市の富雄丸山古墳で出土した国内最大の蛇行剣は、死者をよみがえらせる力を象徴する祭器で、物部氏の権力の象徴だったと千田稔館長が新説を提唱。祝詞「ふるべゆらゆら」や出土地の地名分析から、全国の蛇行剣古墳も物部氏と関係があると主張し、被葬者は同族の「添県主」一族とみる。

添県主(そうのあがたぬし)とは

古代日本において奈良県北部(特に奈良市周辺)=旧・添(そえ)地域を治めていた地方豪族の一族です。
■ 添県主とは?
・「県主(あがたぬし)」は、古代のヤマト政権において、地方の行政や支配を担っていた地方豪族の称号。
・「添県主」はその中でも、大和国の「添県(そえのあがた)」を治めていた支配者層を指します。
添県は現在の奈良市一帯にあたり、古墳時代から奈良時代にかけて、政治的にも文化的にも重要な地域でした。

■ 添県主の歴史的位置づけ
・ヤマト王権(古代の中央政権)に従属しつつも、一定の自治権や軍事力を持った有力氏族
・千田稔氏は、富雄丸山古墳の被葬者をこの添県主と物部氏の一族と見なしており、物部氏の勢力がこの地に及んでいた証拠として注目しています。

■ 関連情報
・「県主」は7世紀頃まで使用され、のちの「郡司」などに移行します。
・添県主のような地方豪族は、古墳を築き、独自の文化や信仰を展開しながらも、王権と密接に結びついていた存在でした。

要するに、「添県主」とは奈良市周辺を支配していた有力古代豪族であり、富雄丸山古墳の被葬者とされる可能性のある一族です。

全文は「富雄丸山古墳の蛇行剣「物部氏とつながり」…千田稔・奈良県立図書情報館長が新説(読売新聞オンライン) - Yahoo!ニュース」です。

→奈良 富雄丸山古墳の鏡 ウズベキスタンでも出土

 奈良市の富雄丸山古墳から出土した3枚の鏡のうち最古の「き龍文鏡」と同種の鏡が、ウズベキスタン・サマルカンド州の古墳からも発見されていたことが判明。両国の鏡は2027年、奈良国立博物館での特別交流展で並べて公開予定。市は展示準備費用1000万円をふるさと納税で募集中。
 って宣伝かいっ!!

詳細は「奈良 富雄丸山古墳の鏡 ウズベキスタンでも出土|NHK 奈良県のニュース(https://www3.nhk.or.jp/lnews/nara/20250909/2050018928.html)」です。

→虺龍文鏡(きりゅうもんきょう)・三角縁神獣鏡・斜縁画像鏡という種類・年代の異なる鏡

卑弥呼の「銅鏡百枚」のゆくえと「伝世鏡論」 「空白の4世紀」の謎は富雄丸山古墳出土の銅鏡群で解明されるか

卑弥呼が魏から授かったとされる「銅鏡百枚」の一部かもしれない鏡が、安満宮山古墳などから出土。従来は否定されつつあった「伝世鏡論」が、富雄丸山古墳での発見で再注目されている。異なる時代の鏡が同時に副葬された事実が、古代史の空白を埋める鍵となる可能性がある。

🔍 鏡と古代史の関係

  • 鏡は古代の貴重品で、特に銅鏡は副葬品として古墳に多く見られる。

  • 鏡はもともと中国大陸の発明で、日本では仿製鏡(模倣品)も多数作られた。

  • 背面文様が研究対象とされることが多いが、本来の機能は鏡面である。

  • ワークショップなどで銅鏡の製造過程を体験できる場所もある。

📜「伝世鏡論」とは?

  • 過去には「古墳に副葬された鏡=被葬者の時代のものとは限らない」という説が有力だった。

  • 現在は「副葬された鏡は基本的に被葬者が受け取ったもの」と考えられる傾向が強い。

  • ただし、この定説を覆すような発見が富雄丸山古墳であった。

⏳ 「伝世鏡論」再燃の理由

  • 富雄丸山古墳は4世紀後半の築造と推定され、鏡と副葬時期に最大400年の開きがある。

  • 複数の時代の鏡が同一人物の墓に副葬された事実は、「伝世鏡論」の復活を示唆。

  • なぜこれらの古い鏡が選ばれ、鏡面を上にして納められたのかは大きな謎。

🌏 歴史的・地政学的背景

  • 淀川流域の安満宮山古墳では、青龍三年(235年)と記された鏡が出土。

  • これは卑弥呼が魏に遣使した時期と重なり、「卑弥呼の銅鏡百枚」の一部の可能性が指摘される。

  • 富雄丸山古墳の存在は、4世紀の奈良盆地から河内平野への古墳文化の展開を示す重要手がかりとなるかもしれない。

❓ 残された謎と期待

  • なぜ300〜400年にわたる異時代の鏡が同時に副葬されたのか?

  • 鏡を所持していた人物と時代のつながりは?

  • 富雄丸山古墳は、4世紀の「空白の時代」の鍵を握る可能性がある。

「なんだ⁉ このヌメヌメした銅鏡は!」 何百年も伝世された鏡はなぜ「空白の4世紀」に造られた古墳で出土したのか 

奈良県の富雄丸山古墳から出土した3枚の銅鏡のうち、特に注目されるのが前漢時代の「虺龍文鏡」。長年使われた痕跡としてヌメヌメとした光沢があり、毎日磨かれ続けた超貴重な品と考えられている。しかし、その鏡が他の鏡と重ねられ、足元に副葬されていた点は謎が多い。鏡の面が上を向いていたことや、埋葬位置の逆転も異例で、何らかの意図があった可能性がある。古代の信仰や伝来の経緯が問われている。

情報源:https://www.rekishijin.com/48865

→鏡面にベンガラを確認、研磨剤か

このニュースは、富雄丸山古墳の出土鏡からベンガラ(酸化鉄)が検出されたという、考古学的に非常に重要な発見を伝えています。内容を整理すると、次のようになります。

🏺 富雄丸山古墳の新発見 ― 鏡に「ベンガラ」使用の痕跡

発表日: 2025年10月31日(奈良市教育委員会)

出土遺物:
富雄丸山古墳(奈良市、4世紀後半、直径約109m=日本最大の円墳)の**斜縁神獣鏡(中国製)**の破片。
2019年に墳頂部の埋葬施設付近から出土。長さ約3cmで、仙人とみられる模様の一部が残る。

分析結果:

  • デジタルマイクロスコープで、鏡面の磨き跡直径0.1mm程度の鋳造くぼみ赤色物質を確認。

  • 蛍光X線分析の結果、ベンガラ(酸化鉄)と判明。

  • ベンガラは粒子が細かく、鋳造後の粗磨き用の研磨剤として用いられたと推定。

比較事例:
同様の赤色顔料は、

  • 福岡県糸島市の平原遺跡(伊都国王墓)

  • 奈良県桜井市の桜井茶臼山古墳(大王墓)
    でも使用された可能性が報告されており、製作技術の共通性が示唆される。

意義:
奈良市埋蔵文化財調査センターの村瀬陸学芸員によると、「鏡の製作技術に関わる新たな視点が得られた」と述べており、古墳時代初期の金属工芸・鏡製作の工程や、中国からの技術伝播を考える上で新たな手掛かりになる発見です。

▼メディア情報

 ざっくり説明して、各メディアの反応・記事を要約します。

 奈良市・富雄丸山古墳(4世紀後半)の木棺から、直径約20センチの大型銅鏡3枚が出土。クリーニングと調査の結果、それぞれ製作時代が異なることが判明しました。最古は前漢〜新代(紀元前1世紀末〜1世紀初頭)の「虺龍文鏡」、次に後漢時代(2世紀末〜3世紀前半)の「画像鏡」、最も新しいものは魏時代(3世紀中ごろ)の「三角縁神獣鏡」です。

鏡は木棺内で重ねて置かれており、保存状態は極めて良好。製作から副葬まで400年近く空いている鏡もあり、異なる時代の鏡が意図的に選ばれて副葬された可能性が高いとされています。

この発見について、橿原考古学研究所の岡林孝作学術アドバイザーは、「さまざまな時代の鏡が集められたのは極めて珍しく、副葬者が王権から重用された有力者だった可能性がある」と指摘しています。

奈良市の富雄丸山古墳から出土した銅鏡3枚のうち、1枚が中国・前漢〜新代(紀元前1〜後1世紀)の虺龍文鏡であると判明。国内最大の直径19.1cmで、製作から最大400年後に副葬された。他の2枚は後漢と魏の鏡で、いずれも大型。異時代の鏡が同一木棺から出土し、古代の広域交流や流通の複雑さを示す重要資料とされている。

奈良・富雄丸山古墳の銅鏡、国内最大の「虺龍文鏡」と判明 - 日本経済新聞

奈良市は令和9年7〜8月、奈良国立博物館でサマルカンド市との特別交流展を開催予定。富雄丸山古墳出土の国内最大の虺龍文鏡(直径19.1cm)と、同形で日本初公開となるコクテパ墳墓出土鏡(直径18.7cm)を並べて展示。シルクロードを介した文化交流の象徴として注目されている。寄付も募集中。

シルクロードの文化交流示す資料 奈良・富雄丸山古墳とウズベク出土の虺龍文鏡同時展示へ - 産経ニュース

奈良市の富雄丸山古墳(4世紀後半)で、昨年2月に出土した木棺から、直径約20センチの大型銅鏡3枚が見つかった。慎重なクリーニングと調査の結果、模様や製作時期が全て異なることが判明。中でも逆S字型の文様を持つ「虺龍文鏡(きりゅうもんきょう)」は国内最大で、ほかに三角縁神獣鏡と画像鏡が含まれていた。最も古い鏡は埋葬の約400年前に作られたもので、これらが意図的に副葬された可能性が高いという。これまでに古墳からは日本最大の蛇行剣や、日本初の盾形銅鏡も見つかっており、埋葬者が当時の王権に重用された有力者であった可能性が指摘されている。今後の調査でその正体に迫ることが期待されている。

学者も驚愕!日本最大の円墳で新発見 年代異なる大型銅鏡3枚 埋蔵者は有力者か 奈良・富雄丸山古墳(2025年7月31日掲載)|YTV NEWS NNN

奈良市の富雄丸山古墳(4世紀後半)から出土した直径約20センチの大型銅鏡3枚の特別公開が、奈良県橿原市の橿原考古学研究所付属博物館で8月1日から17日まで開催されている。3枚の鏡はすべて中国大陸製で、日本に運ばれたとみられる。1号鏡は、女王卑弥呼が中国魏の皇帝から贈られたとされる三角縁神獣鏡(3世紀中ごろ)。2号鏡は逆S字形の模様が特徴の虺龍文鏡で、国内で確認された40枚の中で最大(紀元前1世紀末~後1世紀初め)。3号鏡は2体の神像と竜・虎を表現した画像鏡(2世紀末~3世紀前半)である。虺龍文鏡は中央アジアやロシア南西部でも出土しており、前漢王朝の外交や交易の実態を示す重要資料だ。鏡が製作から約400年後に古墳に副葬されていた謎も残っている。クリーニングを担当した研究員は、樹脂コーティングをせず、ありのままの状態での展示が今回が最後と話している。

ありのままの状態は最初で最後 富雄丸山古墳で出土の銅鏡3枚を公開 [奈良県]:朝日新聞

奈良市の富雄丸山古墳(4世紀後半)から出土した3枚の大型銅鏡が、2025年8月1日から17日まで、奈良県橿原市の県立橿原考古学研究所付属博物館で特別公開されています。
出土した銅鏡は、いずれも直径約20センチの大型で、いずれも中国大陸で製作された後に日本列島に運ばれたと考えられています。それぞれの鏡の特徴と年代は以下の通りです
①三角縁神獣鏡(紀元前3世紀中頃)
「卑弥呼の鏡」としても知られ、魏の皇帝から贈られたと伝えられています。
虺龍文鏡(紀元前1世紀末〜後1世紀初め)
逆S字型の模様が特徴で、国内で確認された虺龍文鏡の中で最大のものです。
画像鏡(紀元2世紀末〜3世紀前半)
2体の神像と脇侍、竜と虎を表現した模様が特徴です。

これらの鏡は、製作された年代が異なるにもかかわらず、同じ木棺から出土しており、約400年の時間差を持つ副葬品が同一の埋葬施設に収められていたことが確認されています。これは偶然とは考えにくく、埋葬された人物が王権から重視されるような地位の人物であった可能性が高いとされています。
また、虺龍文鏡は中央アジアのウズベキスタンのサマルカンド郊外やロシア南西部でも出土しており、前漢王朝の外交・交易活動の実態を示す貴重な資料とされています。これらの鏡が日本に伝わった経路や背景については、今後の調査によって明らかにされることが期待されています。
展示は、保存処理のための樹脂でコーティングしていない、ありのままの状態で見ることができる貴重な機会です。多くの方にご覧いただければと思います。

国内最大の「虺龍文鏡」や卑弥呼の鏡「三角縁神獣鏡」を異例の一般公開 橿原考古学研究所 - 産経ニュース

奈良県奈良市の富雄丸山古墳(4世紀後半)から出土した3枚の銅鏡が、2025年8月1日から17日まで、奈良県橿原市の県立橿原考古学研究所付属博物館で特別公開されています。
これらの銅鏡は、いずれも直径約20センチの大型で、いずれも中国大陸で製作された後、日本列島に運ばれたと考えられています。
1号鏡は、女王卑弥呼が中国魏の皇帝からもらったとも言われる三角縁神獣鏡(3世紀中ごろ)で、2号鏡は「虺龍文(きりゅうもん)」と呼ばれる逆S字形のモチーフを配し、国内で確認された40枚の中で最大の虺龍文鏡(紀元前1世紀末~後1世紀初め)です。
3号鏡は、2体の神像と脇侍、竜と虎を表現した画像鏡(2世紀末~3世紀前半)で、これらの鏡は製作年代が異なり、約400年の時間差を持っています。
これらの銅鏡は、富雄丸山古墳の中腹にある木棺の中から出土しました。その保存状態は良好で、鏡面を上に向けて重ねて置かれており、ひび割れがあるものの、文様面には一定方向に磨かれた跡も残っています。
橿考研の奥山誠義・総括研究員は、「樹脂でコーティングしていない、ありのままの状態で見ていただける最初で最後の展示」と述べています。また、奈良市教育委員会は、「古代ユーラシアで広域交流がなされたことを示す」と説明しています。
これらの銅鏡の出土は、シルクロードを通じた文化交流の証拠として、学術的にも重要な意義を持っています。特に、虺龍文鏡はウズベキスタンのサマルカンド郊外やロシア南西部でも出土しており、前漢時代の外交・交易活動の実態を示す資料として注目されています。
展示は17日まで行われており、入場は無料です。詳細は奈良県立橿原考古学研究所付属博物館の公式ウェブサイトをご覧ください。

シルクロードでつながる二つの鏡 27年開催「奈良・サマルカンド特別交流展」で虺龍文鏡を展示 富雄丸山古墳とコクテパ墳墓の出土品|奈良新聞デジタル

3枚の鏡は同古墳の「造り出し」の木棺から昨年2月に出土し、文様のある面を裏向けにして重ねて置かれていた。いずれの鏡も木棺に流れ込んだ土や、1枚当たり670~960グラムもある鏡そのものの重量によって多数の亀裂があった。

橿考研の保存科学担当者が現地で、亀裂部分に幅数ミリの短冊状にした不織布を張って保護し、木棺から取り上げて橿考研に搬入。不織布を溶剤ではがしたのち、1年以上かけて表面の土を除去していった。

担当の奥山誠義総括研究員は「鏡に付着した土には、鏡を包む繊維などが残っている可能性があった」とし、ピンセットなどで少しずつ除去。土が硬い部分は、アルコールを含ませた綿棒で柔らくしたのち、竹串で取り除くというミリ単位の作業を続けた。

クリーニング作業が終われば樹脂で表面などを強化するが、今回はその前に一般公開することに。奥山さんは「樹脂で保護すると、鏡の表面に光沢が出て印象が変わる可能性がある。青銅のありのままの姿を見ることができるのは、今回が最初で最後」と話す。会期中の4、12日は休館。入館料が必要。

国内最大の「虺龍文鏡」や卑弥呼の鏡「三角縁神獣鏡」を異例の一般公開 橿原考古学研究所(産経新聞) - Yahoo!ニュース

奈良市の国内最大の円墳、富雄丸山古墳(4世紀後半、直径109メートル)から出土した中国・前漢時代の大型青銅鏡「虺龍文鏡」と同じタイプの鏡が、姉妹都市ウズベキスタン・サマルカンド市でも発見されたことが判明した。奈良市はこの発見を親善交流に活かし、2027年夏に奈良国立博物館で開催予定の「奈良・サマルカンド特別交流展」で両鏡を展示する予定である。虺龍文鏡は紀元前1世紀末から後1世紀初頭に前漢で製作された直径19.1センチの大型鏡で、2023年度の富雄丸山古墳調査で、3世紀中頃の魏時代の「三角縁神獣鏡」や2世紀末から3世紀前半の後漢の「画像鏡」とともに計3枚が発見された。虺龍文鏡は蛇や龍をデザイン化した文様が特徴で、同文様の鏡は弥生時代の福岡・平原1号墓からも出土しており国宝に指定されている。

「奇跡の一致」二つの青銅鏡 サマルカンドと富雄丸山、交流展で展示へ | 毎日新聞

 副葬されていた青銅鏡3枚が古墳築造の約400~100年前に制作された中国鏡と分かった奈良市の富雄丸山(とみおまるやま)古墳(4世紀後半、直径109メートル)。3銅鏡を贈与したとみられるヤマト王権との関係の強さがうかがえるが、肝心の被葬者の人物像は謎が深まるばかりだ。県立橿原考古学研究所(橿考研)と奈良市教委は、3銅鏡を8月1日から橿原市の橿考研付属博物館で初公開する。  富雄丸山古墳が築造された4世紀後半、ヤマト王権が王墓・巨大前方後円墳を築造する場は奈良盆地南東から北部の佐紀古墳群(奈良市)に移動した。富雄丸山古墳とは約5キロしか離れていない。このため、3銅鏡は同時代に佐紀古墳群にあった王権から贈与されたと考えるのが自然だ。

富雄丸山古墳で深まる謎 被葬者先祖はヤマト王権と“微妙”な関係? | 毎日新聞

奈良市は、日本最大の円墳「富雄丸山古墳」から出土した東アジア最大の蛇行剣や類例のない銅鏡などを展示する文化財センターの建設に向け、ふるさと納税で1億円の寄付を8月15日から募る。予定地は古墳近くの石木町で、令和11年度完成を目指す。出土品は4世紀の「空白の時代」を解明する手掛かりとして注目されている。

富雄丸山古墳の蛇行剣など展示施設建設へふるさと納税で寄付募る 奈良市、15日から - 産経ニュース

▼埋葬者の新説?ナガスネヒコorタケノウチノスクネ?

 詳しい人がいるもんだ。ナガスネヒコではなくタケノウチノスクネ説を出している。やはり考古学は面白いですね。

 富雄丸山古墳で発見された3つの青銅鏡に焦点を当てています。この古墳は日本最大の円墳で、4世紀後半に作られたとされています[01:03]。

  • 富雄丸山古墳: 奈良市に位置し、日本最大の円墳です。その形から、偉大な王の墓ではない可能性が示唆されています[01:14]。

  • 重要な発見: 副葬品として以下のものが発見されました。

  • 3つの青銅鏡:

    • 1つ目: 三角縁神獣鏡。3世紀中頃に中国の魏で製作されたと考えられています[07:11]。

    • 2つ目: 龍文鏡。直径19.1cmで、日本国内で発見された同種の鏡としては最大です[08:52]。

    • 3つ目: 画文帯神仙画像鏡。西王母や東王父の像が描かれており、後漢時代に作られたとされています[10:13]。

動画の結論として、3つの鏡は新たな知見をもたらすものの、墓の正確な築造時期を特定するには至らず、その時代のばらつきはさらなる謎を深めることになると述べています[11:15]。

3つの青銅鏡の個別の詳細

  • 1つ目の鏡(三角縁神獣鏡):

    • 特徴: 神々や動物が描かれた縁が三角になった鏡です。

    • 年代: 3世紀中頃に中国の魏で製作されたと推測されています。

    • 動画内の考察: 銘文に「陳」という工房名が記されており、日本の倭で作られた可能性があると、動画のナレーターは推測しています。

  • 2つ目の鏡(龍文鏡):

    • 特徴: 龍の文様が描かれた鏡で、直径19.1cmと、日本で発見された同種の鏡としては最大級です。

    • 年代: 前漢時代、紀元前1世紀末から紀元1世紀初頭に製作されたと考えられています。

  • 3つ目の鏡(画文帯神仙画像鏡):

    • 特徴: 西王母や東王父といった仙人の姿が描かれた鏡です。

    • 年代: 後漢時代、2世紀末から3世紀初頭に製作されたと推測されています。

古墳の被葬者と鏡の謎

 この動画は、これらの発見に基づいて、古墳の被葬者についての仮説を立てています。

  • 被葬者の身分:
    主墳に埋葬された人物は、王に非常に近い有力者で、後から追加された「つくりだし」と呼ばれる張り出し部分に埋葬された人物は、その有力者に仕えた人物ではないかと考察しています。

  • 被葬者の候補:
    主墳の被葬者として武内宿禰、つくりだしの被葬者として、朝鮮半島に渡航したという伝承のある「千志比古(ちしひこ)」が挙げられています。

  • 鏡がもたらす謎:
    3つの鏡はそれぞれ製作年代が大きく異なっており、このことが古墳の築造年代を特定する上で、かえって謎を深める結果となっています。

▼ナガスネヒコを祀る神社(再掲)

 神武天皇たちの戦いにも勝ってしまうナガスネヒコ(ウィキペディア)。古事記を読んだ人は知っているが祀る神社はないのはなぜか??ただ、隠して祀っている説がある神社がある。
 神社紹介の前にナガスネヒコを少し紹介。

  • 『日本書紀』では長髄彦であるが、『古事記』では那賀須泥毘古、登美能那賀須泥毘古(トミノナガスネビコ)、登美毘古(トミビコ)とも表記される

  • 天孫降臨したニギハヤヒ(磐船神社石切劔箭神社)に仕えた方で、ニギハヤヒが神武天皇は天津神だと国譲りをしようとするが、ナガスネヒコは超反対し戦い勝ってしまう

    1. ニギハヤヒは、天照大神から「十種の宝物」をもらい降臨するニニギの兄弟とも

    2. ナガスネヒコは神武天皇に「昔、天つ神の子が天の磐船に乗って降臨した。名を櫛玉饒速日命(ニギハヤヒ)という。私の妹の三炊屋媛を娶わせて、可美真手という子も生まれた。ゆえに私はニギハヤヒを君として仕えている。天つ神の子がどうして二人いようか。どうして天つ神の子であると称して人の土地を奪おうとしているのか」と言う

  • ニギハヤヒの妻は、ナガスネヒコの妹で、物部氏の祖・ウマシマデの母でもある

もっと知りたい方は記紀を読んでいただければ。参考サイトをいくつか挙げておきます。


→大阪・東大阪  #石切劔箭神社上之社

→奈良 #添御県坐神社

 スサノオ、イナダヒメ、武乳速命を祀る。武乳速命は境内の由緒書よると添県主の祖先神とあるが、ナガスネヒコと受け継がれている。

 地元ではナガスネヒコは英雄だったようですね。歴史=勝者(神武天皇)という感じですね。島根のヤマタノオロチ、岡山の温羅(ウラ)など、一般的には悪者だが、地元では英雄としているのが多いのは神社アルアルですね。
 次の動画は深いな~真実かどうかは分からないけど、神社に歴史が詰まっていますね~。文献がないので祭神は歴史の流れで変わっているようです。ニギハヤヒ、ナガスネヒコ、ナガスネヒコ妹&ニギハヤヒ妻・三炊屋媛(ミカシキヤヒメ)かもという話で、記紀と一致しますね。考古学に期待!!

 ニギハヤヒ側につくもの、イワレヒコ(神武天皇)側につくものと別れたなど面白い話です。

→奈良 #等彌神社 :ナガスネヒコ

 『日本書紀』によると鳥見山は西暦紀元前661年12月、熊野から北上して大和盆地へ突入した神武天皇ことイワレヒコが、大和国の先住勢力・長髄彦を撃滅した古戦場とする。

→奈良 #矢田坐久志玉比古神社

 なんか本殿横に祠が二つで祭神は不明なんだそうな。ニヒハヤヒとナガスネヒコとか??

私のNOTEは次の通り。(https://note.com/yanma_travel/n/n1285621d4cd2

▼オマケ

 気になって目を通したが本NOTEでは入れなかったもの。面白かったけど。

 古代のロマン。謎解きは少なくとも4097パターンの可能性があるというのは新たな謎解きの課題とのこと。九州の伊都国との繋がりもあるかもとのこと。




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