名は体を表す「腰神神社」うねる御神木!力石で腰痛⇔完治無限ループ【南河内シリーズ/大阪ミナミシリーズ】
楠木正成ゆかりの神社。樹齢約700年余りと伝わる藤の老樹の迫力がハンパない。まさしく御神木!!という感じ。力石で腰痛になったら神様に祈る!すると完治する!?を繰り返し無限ループするかは不明!?

変更履歴
2026/03/02:初版
▼HP▼アクセス▼祭神・本尊と脇時
公式HP:
アクセス:〒584-0056 大阪府富田林市嬉62
駐車場:〒584-0056 大阪府富田林市嬉
祭神:箕島宿禰、八大龍王、猿田彦命、国光大明神

▼見どころ
→由緒
腰神神社は、その名前の通り腰痛など「腰にご利益」がある
ご利益には、鎌倉時代末期に活躍した武将「楠木正成」が関係している
山腹の巨石、箕島宿禰、八大龍王、サルタヒコ、国光大明神を祀っている
「腰神さん」と親しまれている
社伝によれば「嬉の北方に小森林があり、大盤石を御神体とし、これを腰神とする」とある
645年頃、「箕島宿禰(みのしまのすくね)」が文武の師範として、河内国へ来たことが由来
箕島宿禰
紀伊国を本拠地とする豪族で、大和国桜井の豪族の娘「玉藻姫(タマモヒメ)」を側室とした
紀伊国から紀伊見峠を越え、河内国の嬉村を本拠地とした
1224年頃、楠木正成が金胎山に楠公十七支城のひとつである「金胎寺城」を築く
金胎寺城は正成が築いた「楠木七城」の一つ。
1334年、後醍醐天皇による鎌倉幕府討伐の際、楠木正成は観心寺(私のNOTE)から出陣するがが、愛馬「千早丸」の腰が立たなくなるが、腰神神社の藤の木に馬を繋ぎ、岩山の御神体に祈ると千早丸の腰が完治
愛馬が治り勝利祈願し、結果、倒幕に貢献したことになる
このご利益から、腰痛に霊験あらたかな神様として参拝する人が増えて今に至る
→境内へ

狭い道なのでゆっくり車を走らせるので入り口や駐車場も分かりやすいです。次の写真の通り。





→拝殿・本殿
祭神は、箕島宿禰、八大龍王、猿田彦命、国光大明神。











神様が見ています!という注意看板。日本らしい注意喚起だなと思います。

箕島宿禰(みしまのすくね)
日本神話や古代史において物部氏(もののべうじ)の系譜に連なる人物として記されている古代の豪族です。
一般的にはあまり馴染みがない名前かもしれませんが、古代氏族のルーツを探る上では重要なパズルの一片のような存在です。
1. 概要と出自
箕島宿禰は、『先代旧事本紀』などの史料に登場します。
・氏族: 物部氏の一族。
・父: 伝説的な英雄である日本武尊(ヤマトタケルノミコト)の東征に従ったことでも知られる物部武諸隅の子とされています。
・地位: 「宿禰(すくね)」という称号が示す通り、朝廷において軍事や祭祀を司った物部氏の中でも、一定の地位を持っていたと考えられます。
2. 史料における記述
主に『先代旧事本紀』の「天孫本紀」にその名が見られます。
・系譜: 饒速日命(ニギハヤヒノミコト)を祖とする物部連の系譜の中で、第10世、あるいはそれに近い世代の人物として数えられます。
・事績: 具体的なエピソードは多く残されていませんが、彼の名は「物部」という強大な軍事集団の組織化や、地方への勢力拡大(入植)の過程における一族の分岐点として記録されています。
3. 歴史的な背景
「箕島」という名前は、現在の和歌山県有田市箕島などの地名との関連が指摘されることがあります。
古代において物部氏は全国各地に拠点を持ち、軍事的な役割だけでなく、鉄器の製造や農具(「箕」は農具の一つ)に関わる技術者集団を率いていた側面もあります。そのため、彼がその土地の治水や開拓に関わったリーダーであった可能性が推察されます。
本殿裏は遠くから見るしかないのですが磐座っぽいのがある。


→絵馬堂
楠木正成はここで勝利の祈願をし、幕府討伐に出陣されたと伝えられている。この時、楠木正成より嬉村城山の守神として、黄金毘沙門天と菊水の御紋を賜る。
→御神木:樹齢約700年と伝わる藤の老樹






→力石

→国光大明神






▼メディア情報
これ以降は本NOTEの下にあるコメント欄で追記します。
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