元気な苗を抜くのがつらい|間引きで「残す株」をどう決めるか
昨年、自家採種したゴーヤーの種を、今年も畑にまきました。
ゴーヤーは発芽がそろわないこともあるので、一か所に3粒ずつまきました。
土から芽が出てきたときは、やはりうれしいものです。
特に、自分で種を採った作物には、購入した種とは少し違う感情があります。
昨年育ったゴーヤーから種を採り、その種が今年また発芽する。
今年も命をつなぐことができたように感じます。

ところが、複数の種が発芽すると、今度はその中から一本を残し、ほかを間引かなければなりません。
発芽してほしくて複数の種をまいたのに、発芽したら自分の手で抜く。
そこに、どこか矛盾したものを感じます。
しかも、畝のどこでも同じように育つわけではありません。
生育のよい場所では、すでに一本のゴーヤーがネットの上部までつるを伸ばし、子づるも次々と出しています。
一方、生育のよくない場所では、ようやくネットにつかまり始めたところです。
小さいうちに一本へ減らして、その一本がウリハムシに食べられたり、何かの理由で育たなくなったりしたらどうしよう。
そう考えると、なかなか一本に絞れません。
実際、今も二本を残したままの場所があります。
間引けないのは、見分け方が分からないからだけではない
間引きで迷うとき、どの苗が健全なのか分からないことは確かにあります。
明らかに大きな苗と、明らかに生育の悪い苗であれば、それほど迷わないかもしれません。
けれど、実際の苗はそれほど分かりやすくありません。
一方には虫食いがある。
もう一方は茎が曲がっている。
大きい苗は少し徒長していて、小さい苗はこれから伸びる余地がありそうに見える。
それぞれに違う弱点があると、どちらが「より健全なのか」を一つの物差しでは決められなくなります。
反対に、どちらも同じくらい元気に見えるときも迷います。
甲乙つけがたい苗の一方を抜くのは、もったいないと感じるからです。
そして、間引けない理由は、苗の見分けがつかないことだけではありません。
せっかく発芽した苗を抜くのがかわいそう。
高価な種や希少な種を無駄にしたくない。
一本だけ残した後、その一本が育たなければ、収穫そのものを失うかもしれない。
こうした気持ちも重なっています。
「命を大切にしたい」という思いだけでなく、せっかく得られた可能性を手放したくないという気持ちもあるのだと思います。
一番大きな苗を残せばよいとは限らない

以前、モロヘイヤを直播きしたときのことです。
かなり密に種をまいたうえ、発芽直後に間引くことができず、苗が混み合ってしまいました。
先に発芽した苗は、周囲の苗に負けないように上へ伸び、草丈は高くなっていました。
しかし、茎は細く、曲がったものもあります。
一方、遅れて発芽した苗はまだ小さいものの、これから素直に育つ余地があるように見えました。
このとき私は、あえて大きく育った苗を間引き、小さい苗を残したことがあります。
大きいから健全で、小さいから劣っているとは限りません。
今見えている大きさだけではなく、なぜその姿になったのかまで考えると、選び方が変わることがあります。
もちろん、小さい苗を残すことがいつも正しいわけではありません。
同じように見える苗でも、その後どのように育つかを、間引きの時点ですべて見通すことはできません。
だからこそ、「将来いちばんよく育つ苗を必ず見抜かなければ」と考えるほど、選べなくなってしまうことがあります。
私が先に決めるのは、どこに株を残すか

ニンジンやゴボウなどを筋まきした場合、私が最初に考えるのは、どの苗が一番優れているかではありません。
まず考えるのは、最終的にどのくらいの株間で育てたいかです。
その株間に近づくように、どの位置へ株を残すかを決めます。
残したい位置の苗が明らかに生育不良であれば、少し場所をずらすこともあります。
それでも、最初にあるのは苗の順位ではなく、畝の中にどのような間隔で株を置くかという考えです。
ただし、最初から一気に最終的な株間まで空けるとは限りません。
小さいうちは、葉が触れ合わない程度に少しずつ間引きます。
その時点の苗だけでなく、この先さらに間引いたとき、どのような並びになるかもある程度意識しておきます。
点まきの場合は、最終的に一か所一株とすることが多いので、生育の遅いものや明らかに状態の悪いものから間引きます。
それでも、すべての苗が同じように見えることがあります。
四角豆を一か所に4粒まいたときも、ほとんど見た目に差がない苗が出てきました。
そのときは、ネットに近い苗を残しました。
ネットまでの距離にも差がなければ、「迷ったら右側を残す」と決めることもあります。
それで残した四角豆は、今のところ順調に育っています。
右側の苗の方が、生命力が強かったと証明されたわけではありません。
ただ、判断に使える違いが見つからない以上、どこかで自分が決めなければ栽培は先へ進みません。
甲乙つけがたいなら、形が好きな方を残してもよい。
自分の好みや、栽培上の小さな都合を判断に入れてもよい。
絶対に正しい一本を見抜こうとするより、その時点で見えている範囲から自分で選ぶ方が、現実的なこともあります。
全部を残すことも、中立ではない
ニンジンやゴボウでは、株と株の間隔が微妙で、今抜くべきか、もう少し大きくなってから決めるべきか迷うことがあります。
「もう少し後で見よう」
そう考えて判断を先延ばしにし、そのまま間引くことを忘れてしまったこともあります。
最後まで近い場所に二株が残り、どちらも葉を十分に広げられず、あまり大きくなりませんでした。
苗を抜かずに残しておくと、何もしていないように見えます。
けれど、限られた場所では、光も、根を伸ばす空間も、複数の株が分け合うことになります。
抜くことだけが作物への介入なのではありません。
すべてを残すことも、その後の育ち方に影響する一つの選択です。
だからといって、早ければ早いほどよいとも限りません。
私の場合、作物や生育段階によっては、最初から株間を大きく空けるより、しばらく互いに近い状態で育て、段階的に間引いた方がよいと感じることもあります。
問題は、「今はまだ残す」と判断することではなく、そのまま見なくなってしまうことです。
後で決めるなら、後でもう一度見る必要があります。
間引きの時期を一度で決めるというより、苗の育ちに合わせて何度か見直す。
その意味でも、こまめに畑を見ることが大切なのだと思います。
間引いた後、残した株が広がっていく

ニンジンは、間引いた後にぐっと大きくなるような印象があります。
それまで近くの株と重なっていた葉が、空いた場所へ広がっていく。
土の中で何が起きているかは見えませんが、地上の姿を見ると、残した株が使える場所が増えたことを感じます。
間引きという言葉には、苗を抜き、数を減らす作業という印象があります。
けれど、残した側から見れば、葉を広げ、根を伸ばすための空間が増える作業でもあります。
そう考えると、間引きは苗の価値に順位をつける作業とは少し違って見えてきます。
限られた場所の中で、どの株を育てるかを決める。
そして、残した株が育つための場所を渡す。
私が間引きで行っているのは、そのようなことなのだと思います。
抜いた苗を、必ず救わなければならないわけではない
間引いた苗を、欠株の場所へ移植できることもあります。
今年のゴーヤーでも、3粒まいた種がすべて発芽しなかった場所がありました。
そこで、複数発芽した場所から一本を抜き、発芽しなかった場所へ移植しました。
移植した時点でついていた葉は、葉焼けや虫食いで傷んでしまいました。
それでも、活着した後には新しい葉が出てきて、再び成長を始めています。
ただし、最初からその場所で育っているゴーヤーに比べれば、生育はかなりゆっくりです。
抜いた苗を移植できる場合はあります。
ジャガイモの芽かきで取った芽を挿すこともあります。
しかし、移植すれば必ず元の株と同じように育つわけではありません。移植することが、その苗にとって必ずよいとも限りません。
私は、移植しない苗については、株元に敷き、草マルチと一緒に土へ戻しています。
ただ、間引いた苗を何かに利用しなければ無駄になる、と考える必要もないと思います。
移植する。
食べられるものなら間引き菜として食べる。
株元へ戻す。
そのまま枯れることを受け入れる。
どれも状況に応じた選択肢です。
罪悪感をなくすために、必ず何かへ役立てなければならないわけではありません。
かわいそうと思う気持ちは、なくさなくてよい
間引きそのものは、自然農だけに特有の作業ではありません。
決められた場所で必要な株数を育て、残した株が葉や根を広げられる空間をつくる。その基本的な目的は、ほかの栽培方法と大きく変わらないと思います。
ただ、どの苗を「よい苗」として残すのか。いつまで見守り、どの時点で手を入れるのか。その考え方には、自然農らしさが表れるかもしれません。
自然農では、形のそろった苗だけを残すことや、畝全体を均一にすること自体が目的ではありません。
大きさだけでなく、その苗がなぜ今の姿になったのかを見る。場所による育ち方の違いを見る。今すぐ一本にするのか、もう少し二本で見守るのかを考える。
何もせずに放置するのでもなく、人がすべてを決めようとするのでもない。
苗同士が混み合い、どちらも十分に育てなくなる前に、必要なところだけ交通整理をする。
そのように考えると、間引きもまた、自然を思いどおりに操作するための作業ではなく、作物が育つための関係を整える介入として見えてきます。
一か所に複数の種をまくのも、すべての種が発芽し、すべての苗が収穫まで育つとは限らないからです。
発芽率や、発芽後の生存率という不確実さに備えるために、複数の種をまく。
そのうえで、必要な株数へ整えていく。
これは合理的な方法です。
一方、ナス科やウリ科、マメ科、トウモロコシなど、比較的大きな種を育苗するとき、私は一セル、一ポットに一粒ずつまくことが多くあります。

一か所に複数まきして発芽率を補うのではなく、必要な苗数より少し多くセルやポットを用意し、全体の苗数で不足に備えます。
その方が種の使用量を抑えられる場合があるからです。
ただし、その分だけ土や育苗場所を使います。
どちらがよいかは、種の大きさや価格、発芽率、使える土や場所によって変わります。
ここにも、一つの正しいやり方があるわけではありません。
頭では合理的だと分かっていても、自分でまいた苗を自分の手で抜くことに、違和感がなくなるとは限りません。
自家採種した種なら、なおさらです。
その気持ちを、無理に封じ込めなくてもよいと思います。
小さな苗にも生命を感じること。
せっかく出てきた芽を大切にしたいと思うこと。
その感覚は、畑をよく見ようとする気持ちにもつながっています。
ただ、すべてを残すことが、すべての苗を大切にすることになるとは限りません。
混み合ったままでは、どの株にも十分な場所を渡せないことがあります。
複数まきした苗のすべてを収穫まで育てることはできなくても、それらが発芽したことで、必要な株を確保できた。
間引いた苗も含めて、残した株が実るまでの過程を支えていた。
私は、そのように考えることで、間引くときの気持ちが少し軽くなりました。
それでも、ためらうことはあります。
どちらを残すべきか迷うこともあります。
おそらく、これからも完全にはなくならないと思います。
けれど、間引きの前に苗の優劣だけを見るのではなく、少し先の畝の姿を思い浮かべることはできます。
今、全部残そうとしている苗に、それぞれが育つための場所を渡せているだろうか。
次に間引きで迷ったときは、この問いを思い出しながら、もう一度苗を見てみようと思います。
間引きのように、畑では「どちらを選べば正しいのか」が分からない場面が何度もあります。
すべての条件を見通してから正解を選ぶことができない中で、何を手がかりに判断するのか。
そのことについては、こちらの記事でも考えています。
