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7/24|短編小説に滲む不安



7/24|河童忌


7月24日は、大正時代を代表する小説家、芥川龍之介の忌日であり、「河童忌」と呼ばれる記念日である。

河童忌という名称は、芥川が生前に好んで描いた河童の絵や、彼の代表作の一つである短編小説『河童』にちなんでいる。また、芥川の号「澄江堂主人」から「澄江堂忌」、俳号の「我鬼」から「我鬼忌」とも称される。


芥川龍之介は1892年、東京市京橋区入船町に生まれた。家業は牛乳製造販売であったが、家系は士族で、江戸時代には徳川家に仕えた奥坊主の家柄であった。


1913年、東京帝国大学文科大学英文学科に進学した芥川は、当時数人しか合格しない難関を突破し、文学的才能を発揮する。同学科在学中の1914年、同期の菊池寛や久米正雄らとともに同人誌『新思潮』を刊行し、アナトール・フランスやイエーツの翻訳を担当。10月には処女小説『老年』を発表し、作家活動を開始した。

翌年、代表作の一つ『羅生門』を発表、1916年には第4次『新思潮』の創刊号に掲載した『鼻』が文豪・夏目漱石に絶賛されるなど、その才能は早くから認められた。東京帝大を優秀な成績で卒業し、短編小説の傑作を数多く残した一方、長編作品の完成は叶わなかった。


芥川の作品は、西洋文学の翻訳者としての経験が反映され、論理的で簡潔な筆致が特徴である。生活と芸術を切り離す理想のもとで執筆し、特に晩年の作品には反軍的な姿勢が強く表れている。

『河童』『侏儒の言葉』などでは当時の軍人の横柄な様子を鋭く批判しており、その思想は今日においても評価されている。


1923年の関東大震災時、芥川は病身ながらも世間体から町会の自警団に参加。震災後の東京はエログロ文化が盛んとなり、銀座には特殊喫茶が進出するなどの変化があった。芥川はその混乱期を生き抜き、多様な文化の中で執筆を続けた。


しかし1927年7月24日未明、芥川は睡眠薬を服毒自殺した。遺書には妻や友人に宛てた手紙が残されており、「僕の将来に対する唯ぼんやりした不安」という言葉はあまりにも有名である。

しかし彼の晩年の作品群を見れば、この言葉一つだけで自殺動機を語るのは単純すぎることがわかる。彼の心境は深い厭世と精神的な苦悩に満ちていた。


死の直前には河童にまつわる句も詠み残している。河童忌はただの命日ではなく、日本文学史における芥川の功績と、その複雑で深遠な人間性を振り返る日である。

彼の作品を読み返し、その時代背景や精神世界に触れることで、現代にも通じる普遍的なテーマや葛藤を感じ取ることができるだろう。




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