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審神者先生は斯く語りき 5

前置き

 おさらいである。
本シリーズの前回作で、「『感情』と『気持ち』はどう違うのか」というテーマを掘り下げた際、「『感情』には一次感情と二次感情がある」「一次感情を受けて生じた二次感情の言語化を目指す状態や、その表現に用いた言葉を『気持ち』と呼ぶ」「一次感情を二次感情として表出、言語化する過程で、誰もが一旦怒りを通る」「長谷部は可哀想可愛い」「極んばは出陣前お急ぎOVER KILL」「じじい凄ぇ」という話をした。

 このエッセイは、そのおまけである。(後注:愛が溢れすぎておまけで済むような熱量と文字数では到底ない。)
 去年の今頃にノートに書いていたエッセイを、一年後の今読み直さずそのまま打ち直しているものである。因みに後述するが、この一年の間に題材に用いた作品は最新巻が出ている。まだ読めていないし、読んでももう加筆修正せずにそのまま出したれ、という心積もりでいる。何ならこれを書き終えたら満を持して読み、そのまま作品愛を語り尽くす感想文が爆誕する気配もある。

 あ、あらすじやネタバレを回避出来なかったので、各自ご了承願いたい。ごめんな。

創作物における二次感情の描かれ方

 事前に断っておくが、全体的に敬称略である。また、現在の私が一年前の私にツッコミを禁じ得なかった場合、加筆修正はないが注は入る。という訳で、以下本編である。

 黒井よだかという作家は、TwitterのTLにちらほらいる天才の一人であると思う。鈴丸みんた、澄谷ゼニコ、重い実、はらだ、ゆいつ、おげれつたなか、(注1:私はこの時、提出先の趣味に合わせてBL作家に絞って列挙したが、実際にはこの数十倍、列挙に暇がないほど神々は居る。) ……列挙するとどうしてこう不思議な作家名の方が多いのだろうか。
 して、黒井よだか、「くろいよだか」、脳内で連想されるのは、黒い夜鷹である。矛盾、そも夜なのだから、夜鷹は黒いに決まっている。だって夜だもの。でもきっと元々は、昼は、陽の光の下では、鷹は全く違う色で、全く違う顔をしているのかも知れない。
 人には、昼と夜で違って見えるように使い分ける顔があり、光と影がある。その暗部の闇を独自の視点で暴き出すのが上手い。丁寧に紐解くのではなく暴き出しているのに、破綻がない。繊細で緻密、精度に乱れがない。そんな黒井よだかは、私が作家買いをしている天才の一人である。

 黒井よだか作品には、夜や闇を連想する作品が幾つかある。その一つが『魔女と猫』『魔女の犬』など、通称魔女シリーズである。魔女と呼ばれる存在は、猫や犬を使い魔として使役する。他に鴉と蛇が居るが、共通するのは元人間であり、「残機」と呼ばれる複数の命を持つ点である。
 魔女を喰うことで食事をする使い魔は、魔女が死ぬと共に死ぬ。喰うとは実際どうするのかは、BLというジャンルから察して欲しい。それぞれの魔女たち、その使い魔たち、それらを様々な思惑で利用しようとする人間たちなど、暗躍するそれぞれの闇が交差し合い、一つの物語を構築する。
 この設定や発想、展開も描き方も、見事なのである。

 その『魔女と猫』で、寿一という魔女に仕えている猫が、須藤という男である。ある日この作品を読み返し、巻末のキャラプロフに、「二次感情(怒り)を避けようとする」という一文を発見した為、この文章を書くに至った。「二次感情」はこの創作物の中で、どのように描かれているのだろうか。

 須藤は、配達員をしている。その仕事の何割かは非合法のもので、犯罪者らしき者の護衛や囮、死体や武器らしきものの運搬である。不思議な怪我が多く、忙しい時にいつもいない須藤は、周りの同僚たちに疎まれている。それ故か、須藤はいつもへらへらと笑っている。
 この須藤は、幼少期から親に虐待を受け、あまり愛情を感じずに育つ。幼少期は泣くと怒られて育ち、父親からの暴力も常態化していた。愛され認められたい須藤は、中学の部活で成果を出そうと努力するが、他の部員からレギュラーの座を渡せと言われる。しかし、レギュラーの座から転落すれば、母から失望され叱責を受ける為、譲れずにこれを拒否。その争いの際、部員の一人を事故で死なせてしまう。
 息子が人殺しであることに堪えられず、父は母を激しく責め、暴行。これを止めようと、須藤は今度は明確な殺意を持って父を殴る。母は驚き父を庇い、須藤を激しく責めた。母を守ったつもりだった須藤の中で、この時から行動の選択肢に殺害が加わり、感情の表出をしなくなる。
 これを指してか、巻末のキャラプロフに書かれているのが、「二次感情(怒り)を無意識に避けようとする」という文言である。

 泣くと怒られていたというのは、二次感情を表出させないという、精神的虐待の一種であった。優秀で居ることを親から強いられ、良い子で居ることを笑顔で居ることへと転化していった結果、へらへらと笑っている不気味さから人に避けられ、親から愛されず、須藤は孤立し闇の住人へと染まっていく。
 その須藤にとって、初めて自分を認め、愛し、信じてくれたのが、猫の魔女である寿一だった。これは、須藤が寿一と出会って感情の表出を思い出した、とも言えそうだ。寿一と過ごす須藤は、笑顔以外にも様々な顔を見せるようになる。
 二人の関係性から思うに、人が感情を表出するのは、受け止めてくれる相手が居るからであり、そこにはある種の信頼がある。仮に相手が、初対面やそれに近い相手でも、である。須藤は親からの虐待で感情に蓋をし、信頼出来るパートナーとの出会いで、人外である猫になってからの方が却ってより人間らしく生きられるようになった。
 「感情を殺す」という言葉があるが、須藤は寿一と出会い猫となったことで、初めて「生きた」のかもしれない。感情を取り戻すことは、人としての尊厳を守ることと同義だったのかも知れない。


え!?終わり!?

 2025年5月末の私に向けて、2026年6月の私の、最大級のツッコミが出た。終わりである。だって創作ノート、もう次のエッセイに入ってるもん。「人は何故化粧をするのか」じゃねえんだよ、お前の面の皮引っぺがすぞ。

 おまけ作品だったので、こんなものだろうか。また、本題からズレてしまうので、当時の私は相当控えめに感想を述べたのだろうか。

 (読み応え的な意味で)事情が変わったので、ここから現在の私が書き出してみて思ったことを述べる。
 ちょっと魔女シリーズ読み返してくるね!!(この間数日経過)

読み返し後の『魔女と猫』の再提出感想文

 まず、須藤正輝と宇野寿一が『魔女と猫』という作品のメインとなる猫陣営である。この続編にあたるのが、先日最新巻が発売された『魔女の犬』という作品で、こちらは犬陣営の浅倉啓悟と飯田夏美が中心となっている。
 この二組は、『魔女と猫』の作中では敵対しているので、続編が出た時のタイトルと表紙の二人を見て、心底驚いたのを覚えている。と同時に、「もしかしてこれは、猫→犬→鴉か蛇かその他の魔女…と順番に謎が解き明かされて行くやつですか!?」とテンションが爆上がりしたのも覚えている。

 実は私の推しは猫陣営ではないのだが、その理由は一貫して自分が推せる属性を彼が有していたからであり、不遇な境遇・黒髪の苦労人・不完全な人間…と、何とも言えない幸せになりづらい属性と言える。で、これが犬を使役する魔女、浅倉啓悟である。
 お気付きだと思うが、この感想文でシリーズ全体について触れてしまうと、二次感情に着目してなどいられないのである。主題なのに。魔女犬まで含めてしまったら私の両目は浅倉啓悟しか映さなくなるので、これは非常にまずい。主旨から大幅にズレる上、恐らく三万字では効かない。
 苦肉の策で、このエッセイでは『魔女と猫』の感想に集中するものとしたい。全て浅倉啓悟の魅力が私を狂わせた結果である。すまんな。


 須藤が「二次感情を無意識に抑えようとする」というのは、実は結構深刻な状況であると思う。

 あ!ここからゴリゴリの心理学の話をし出すので、もしよろしければ、興味がおありの方だけでもこのシリーズの前作「感情と気持ちはどう違うのか」を軽く流し読んで頂けると有難い。もう一回リンク貼っちゃう。ぺい。


大筋の事前確認

 さて、須藤が置かれている状況は、本人がへらへらと笑顔で居られるのが大層心配になる程度には、かなり深刻な状況であると言える。
 プルチック並びにアドラーを参考に前回構築した仮説に照らせば、人間の一次感情を表出するには、全員一旦怒りを通るのである。しかし、彼には喜怒哀楽の全部ないように見える。例え笑顔でも、あれを喜とは認めない。
 前作エッセイ内では感情が表に出ることを「感情の表出」「感情の発露」と両方の表現を使用したかも知れないが、須藤は意図的に「感情の発露」を抑制しているので、ここからは表記を以下の意味で使い分けようと思う。
感情の表出:感情を自覚して相手に意図して伝えようとする行為
感情の発露:伝える予定になかった感情が堪え切れず自然に漏れ出る状態

 本題に戻るが、人は笑っているから楽しい・嬉しいとは限らない。須藤の笑顔を見ても、楽しそうだと感じる描写が寿一と出会う前には存在しないように思う。達観や諦めから笑ってはいるが実際の感情は無……?
 それで一年前の私は、「感情を殺した状態」と表現したのだ。感情を殺さないと生きてこられなかったくらい、須藤の生い立ちが壮絶なものであるのは、本編を読み進める過程で明かされていく。
 しかし、喜怒哀楽のどれかが欠けているという設定の創作物は他にもあるが、須藤について言えば原因はまさに「怒り」を避けていることである。そこをわざわざ明言している点が、他の作家と黒井よだかの違いだと思う。

 全ての感情の表出は全員一旦怒りを通るので、その怒りを避けるということは、意図して二次感情の表出を抑制しているということだ。これは、感情の行き場がない状態でずっと生きている、ということだと思う。
 これがかなり深刻なことであるのは、この漫画の読者であってもそうでなくても明白だと思う。

疑問「彼はいつまでこの状態なのか」

 ここで、二点の疑問が湧く。「彼はいつまでこの状態なのか」と「彼には感情以外の内部変化は存在するのか」である。

 前者はちゃんと作中で解りやすく描かれている。というのも、前述の通りこの作品で須藤は、寿一と出会うことでその真っ直ぐさ・優しさに惹かれていき、自分にも笑顔を向けて欲しいと思うようになる。この段階で作品のかなり序盤の話だ。
 また、中盤で寿一が須藤を受け止めて理解を示してくれて以降、幾つかの変化が起きる。主なものが三つ、「落涙」「激怒」「照れ」である。

 寿一が敵である夏美に手を出されかけると、明確に殺意に似た何かを衝動的に向ける場面がある。これが「抑え込める範疇を超えた怒り」であり、須藤には大変珍しい「激怒」の発露だったのではないか、と考える。安直だろうか。感情の表出を抑制しているのに、それでも零れ出ちゃった感情、これはもう「感情の発露」と判断しても差し支えないように思った。

 本編中、須藤が涙を流したり、寿一を奪われると無意識に怒りを発露したり、寿一から好意的感情を向けられると盛大に照れたりと、徐々にではあるが様々な感情の変化を見せるようになる。

 ここで気付く。
普通は一旦怒りを通る筈の全ての二次感情の発露が、須藤の場合は一旦寿一を通るのである。プルチックもアドラーもびっくりだ。
 須藤の感情は寿一が愛情を向けてくれた時、寿一が自分を想って泣いてくれた時、寿一が敵の手に落ちた時、大きく揺さぶられその勢いでそのまま発露するのである。
 制御出来ない感情……というところに、一般的な恋愛作品における愛情・恋情に近いものがあるとも言えるかも知れないが。

疑問「彼には感情以外の内部変化は存在するのか」

 次に、後者についてである。須藤の感情以外の内部変化はどうなっているのか。これについて考える時、私は「欲」に着目して読み返した。
 寿一を感情の起点と置くことで、猫(人外・使い魔)になってからの方がずっと人間らしく描かれている須藤だが、元々の須藤にも欲はあった。「父や母に認められ、褒められ、愛されたい」。これが叶わなかったので感情を失ったのだと思う。厳密には感情の表出を諦めた、というのだろうか。そのまま生きてきて寿一に出会ったばかりの頃の須藤が、明確に自分の欲を自覚する場面がある。
 それが鍋パである。

 寿一が須藤の怪我を手当てしてくれたので、鍋を振舞ってお礼をすることにした須藤。この鍋パは寿一にとって、後々語られるくらいには大事な思い出の一つになっているのだが、寿一はこの時まだ出会ったばかりの他人である須藤に対して警戒を解いておらず、「鍋作ってくれた」「美味い」という感情は最低限しか表出しなかった。
 これを受けて須藤は「このくらいじゃ笑ってくれないか」「俺は笑って欲しいのか」と、自分が寿一に「笑顔を向けられたい」のだという明確な欲求を自覚する。
 これより前に猫を撫でる寿一を見て「いいな」と呟く場面があった。この時には、これが何なのかを本人は理解していなかったが、この鍋パで初めて「他人からどうされたいか(意訳:どうされたら嬉しいか)」という、見失った感情の欠片を須藤はようやく見つけたのだと思う。

感情の発露に「怒り」、その前にまず「欲」が要る?

 ここでまた、気付く。
キャラシートによれば、須藤は二次感情(怒り)の表出を抑制している。そこに一次感情の欠落については表記がない。つまり、須藤は自然発生した一次感情(一次感情は言語化前の感情であり、発生自体を抑制は出来ないからね。)、これ自体は抱えたまま過ごしている。
 鍋パ前、猫撫で寿一目撃の場面は、「(猫に対しては)そんな優しい顔で笑うんだ、いいなぁ」「いや、いいなって何が」という、言語化まで至らなかった感情の種=一次感情の輪郭を初めて須藤が捉えた、かなり重要な場面だったのだと思う。
 つまり、須藤が自分の中の言葉にならない欲求を自覚した場面がこれで、物語中ではとてもさらっと描かれていたが、物凄く重要なスイッチだったのではないか。感情を表出 出来ない→自分の感情の種に気付く→寿一と関わりながら徐々に感情を表出するようになっていく。
 この感情の種・一次感情が、つまり「欲」なのでは?
一次感情を自覚するとは「欲」を自覚することなのでは?
もっと言えば、自分の中にある「欲」を自覚し、その欲求が叶わないことによる「怒り」を一旦通り、その「欲」を叶えようとする手段が「二次感情の発露・表出」なのでは?

 え、すごない?何この作品。
「感情と気持ちの違い」の前作エッセイだけでは、どれだけ調べて論文読んで考えに考えても、ここまで辿り着けなかったぞ?
 天才か?ああ、天才だった。黒井よだかだもの。天才だったわ、そうだ。

 話を元に戻すが、言語化前の一次感情を、別の言葉に置き換えたものが実際「欲求」「欲」「欲望」なのではないか。全くの=にはならなくても、かなり近い互換可能な範疇に居る言葉ではないかと気付く。
 感情のみならず、それは意志の種でもあるのかも知れない。須藤は「寿一から笑顔を向けられたい」「寿一を助けたい」「寿一に他の誰も触れさせたくない」「寿一に生きてて欲しい」「寿一の隣で生きたい」「二人で穏やかに暮らしたい」……こうして時系列で書き出してみると、寿一との出会いに起因して様々な欲が須藤に湧いていったのが解る。

性欲も欲だが??

 察しの良い読み手の方は、私が今意図的に排除した欲求にもお気付きかと思う。また、排除したせいで輪郭がより際立ってしまっていたら、申し訳ねぇなとも思う。うん。須藤にも性欲はありましたね。
 でも、この作品は一応BL作品である。ボーイズがラブする作品である。大枠で言えば、主題の根幹は恋愛である。となると、その作中の「欲」について語る上で無意識に全読者がふわっと序盤でイメージする欲は、そもそもエロであり性欲だと思うんだよね。そういうジャンルだと世間一般に認識されていると、少なくとも私自身は見ているので。
 それで、感情の発露に関わる欲を真面目に列挙し整理しているその並びに、性欲をしれっと列挙したら際立ってしまうじゃないですか、余計に。なので別に分けました。
 須藤にも「寿一に入りたい」欲は多分、本人自覚なくてもあったようだよ。興味深くはあるよね。感情なくても性欲はあるんだ、みたいなね。でも、今回の主題が「二次感情の創作物での描かれ方」なので、「BL作品におけるリビドー」ではないので。一旦先の章では除外した訳でね。

 じゃあ、一旦外した性欲の発露に今特化してわざわざ章分けしてまで言及しているのは何故ですか!
 ……それは、須藤が初めて自分の欲求を具体的に寿一の前で表出した、口に出して言った直後に、最初に表出したものが物語展開上よんどころない事情から「性欲」だったからです。

初めて欲を言語化した須藤

 この須藤が初めて自分の欲に言及するという展開上非常に重要な場面は、紆余曲折を経て物語を時系列で見ていった時に、2人の出会いから時間がかなり経過した段階で起こる出来事である。
 では、作品の何処でそれに言及されるか。
それは1ページ目である。

 この漢字の特殊設定SF作品で、初っ端クライマックスから始まること、あるんだ。いや、あるけど他にも。

 繰り言になるが、須藤は一次感情・欲を自覚しておらず、無意識に怒りと二次感情の表出を抑制して生きていた。その須藤が作品の1ページ目から、まだ2人が何者かも明かされてない段階での、寿一とのやり取りが下記の通りである。

寿一「答えろ、まだ生きたいか」
須藤「解らない」
寿一「やり残したことは」
須藤「笑って欲しい、俺にも。あと、できたらキスがしたいです。」

 この時須藤は死にかけている(むしろ一旦死んでいる)ので、そのまま力尽きてしまうが、このキスがこの世界では奇しくも魔女との仮契約に必要な手続きだったことで、今際の際の願い事に留まらず奇跡的に須藤は生き延びている(正確には一旦死んでいるので助かっていると言えるかは置いといて、生き延びて使い魔に転生している)訳だ。

 この1ページ目に来ても何のこっちゃ解らない描写、物凄く重要な場面なんだよな、ということに今だから気付く。
 仮に前述の通り一次感情=欲とするなら、この場面は一次感情の言語化、つまり二次感情の表出に他ならない。

「あの須藤が!人に!感情(欲)を!喋った!!!」

 これは実に、アルプスの少女ハイジの1話でクララが立ったような衝撃である。この時には、これがクララかどうかも、横に居るのがペーターかハイジか誰が誰かも解っておらず、何か緊迫した場面がしれっと流れていったに過ぎないのに、1話で何とクララが実は既に立っていたのである。

 ねぇ、どういう情緒で読めば?????

 とりあえず言えることは、人が死に直面すると種族維持本能から性欲が発露するというのは、実際起こりうることなんだろう、ということで。他作品でも多く描かれてきたから、そこに疑いは持っていないとはいえ。
 それに、「笑って欲しい、俺にも」は、かなり序盤から須藤が持っていた欲だ。自覚したのは鍋パでも、多分ずっと出会った頃から須藤が持っていた欲だ。それと並んでこれが最後になるなら叶えたいと出て来た欲が「キスがしたい」だった訳だ。

 この時の須藤にとって、本能的に何か察知するものがあったのかも知れない。実際この望みは、種族維持本能と言うのか、魔女と一緒に生きる者としては、死の境で生き残る唯一の手段だったから。
 それまでの須藤を振り返るに、「自分なんか」という表現が多用され、自己肯定感が極めて低く、自己犠牲を厭わず寿一を逃がすことを最優先している。その須藤が発した「笑って欲しい」と「キスがしたい」は、初めて自分の意志で何かを望んだ瞬間であり、これもとても貴重な場面である。

 だからか?
だから一番最初に語られたのか?
ディベートでは結論から話すのは鉄則だもんな?

 とりあえず言えるのは、この場面を境に須藤は一度死に、魔女の使い魔である猫としての生を生き直し、その結果様々な感情の発露に成功しながら、寿一との関係も絆も深めていくこととなる。


みんな自分の欲の為に魔女が欲しい

 これは、敵陣営である犬の使い魔、飯田夏美の作中の台詞である。
この作品において、「感情」と「欲」の行方について追い掛けながら読むことは、物凄く学びが多いのだ。

 この言葉を聞いて、須藤は夏美に「寿一くんは渡さない」と自分の決意を述べる。決意だって感情と欲と意志を捏ねて固めたものだ。須藤が人じゃなくなってから、本来の人間が持ち合わせるべき大事な何かを急速に獲得していく過程が、とても顕著に描かれている。

 言及せずにスルーすることも出来るが、私の最推しが啓悟である以上、避けて通れないやり取りが、ここに一瞬発生して消える。
 須藤が「お前も自分の魔女を食い物にしているのか」と問うたところ、夏美は「さぁ、お前もそうなんじゃねぇの」と答える。否定も肯定もせずはぐらかす。この一言が、続編を読み込んで戻ると、最高に夏美と啓悟の関係性を色濃く漂わせるので、とてもグッとくるのだ。今ここから3万字語り尽くしたら収拾がつかないので泣く泣く省く。

 夏美は恐らく、自分が啓悟を食い物にして生きている自覚があって、自信が従順かつ出来の良い使い魔ではないのも解った上で、それでも啓悟を自分の手元に置きたいのではないのか、ということが一瞬透けて見えるのが堪らない。割り切ろうとするほど、反発するほど結び付きが強くなる、そういう2人なのだろうと思って続編も読んでいる。
 啓悟と夏美は、寿一と須藤のような、背中を預けてお互いを守り尊重しながら共に生きるバディではなくて、言うなれば勝手に野垂れ死んだら骨は拾ってやるような、お互いが筋を違えた時にはお互いが止めを刺して始末をつけるような、そんな真逆のバディなのにどっちの組も支配欲と独占欲はあるんだよなぁ、という……待ってこれ全然省けてなくね!!??

 という訳で、啓悟にせよ寿一にせよ、とても希少価値が高く様々な組織の人間から狙われている、超貴重な男の魔女であるのにも関わらず、彼らは大人しく守られていてくれない。

 夏美が寿一に「こいつの詰めの甘さはお前のせいか」と問い掛ける場面がある。これは須藤が身を挺して寿一を逃がしたのに、寿一が戻って来て夏美に銃を突きつける場面だ。
 そこに至る直前のやり取りで寿一が発した言葉が、「俺はお前を死なせるために生かしたんじゃない、ただ、」ここで言い淀む。
 ……寿一は、ただ好きで傍に置きたかったから、一緒に生きたかったから、須藤を生かしたのだろうと私には読めた。それを夏美は「須藤の甘さはお前のせいだ」と言う訳だ。
 魔女は狩られる生き物で、逃げ延びるのに使い魔を使う。時に冷徹な判断を下さねばならない場面に遭遇するのを夏美は知っているから、敵陣営に塩を送るだけなのに見ていられずにこんな一言を放ったのだろうと思う。
 自分たち使い魔を見捨てて逃げる判断を0.1秒で下せなければ、どのみち魔女も使い魔も死ぬのだ。それを思えば瀕死に追い込んだ夏美の残機を削らずこうして逃がしたから、後々襲われる羽目になるのだって判断ミスだ。
 何故、猫陣営に甘さが目立ち判断ミスが相次ぐのかと言えば、これは夏美の言い分が正しい。宇野寿一という人物は、そういう存在として描かれているのだと思う。

宇野寿一という魔女

 彼は他人を巻き込まない為に、普段から他人との接触を避けて生活している。それなのに関わってきた人物が須藤である。そして、自分に関わったせいで夏美の追跡を受けて案の定、まだ他人・ただの隣人だっただけの須藤は死んでしまった。これを使い魔として蘇生したのが、現在の猫陣営である。
 この忌々しい敵である犬陣営の夏美の肩口を鉄パイプで貫き、やりようによっては止めを刺せた場面が作中の中盤にある。この時、「止めろ、殺すな」と指示したのも寿一本人である。
 これを、甘いと言わずして何と言う、という状況ではある。この結果、アスファルトに串刺し状態で発見された夏美を見下ろして、嘆息混じりに叱責する啓悟の美と言ったら筆舌に尽 危ねぇ3万字が5万字に化けてしまう。

 夏美の指摘通り、須藤が使い魔としての戦い方をなかなか身に付けられずに居た原因の一つは、間違いなく寿一であったと思う。敵の、しかも残機のある即死しない使い魔の、人間ではない人物の命を奪うことを良しとしない。残機が減ることをたった一つの命を奪うことと同義に受け止めて、これを自身の使い魔にさせない判断を下す。
 この結果夏美は啓悟と合流、食事を経て回復、すぐに潜伏場所を突き止めてこれを襲撃、思いの外あっさりと須藤は銃撃されて階下へ落され、寿一は捕らえられてしまう。これはどう考えても最悪の事態である筈だ。
 敵陣営に捕縛された寿一は、夏美から暗に多重契約を迫られる。これに「くたばれクソ野郎」と唾棄する寿一が流す涙は、犬よりも残機が多い自分の使い魔の猫が、恐らく今残機を削られているだろうその命に対する落涙なのだろう。寿一はずっと他人の痛みに敏感過ぎるほど敏感で、およそ魔女には向いていないような、須藤の言葉を借りれば「良い魔女」過ぎる人間だ。

 寿一がそんな人物だからこそ、そんな寿一と関わったことで須藤は感情を取り戻しつつある、とも言える。その須藤の感情が驚く結果を招く場面がある。敵の銃撃でビルから落下、敵に囲まれて残機を削られ、蘇生したら頭を撃つよう指示された下っ端に銃を突き付けられていた筈の須藤が、走馬灯のような回想を経てタクシーで目的地へ向かうシーンがある。

 え!?その状況で逃げられることある!!??

生きる執念という、燃える感情の最高峰

 おさらいである。
敵陣営の強敵である夏美を半殺しで逃がしてしまった結果、潜伏先ホテルを襲撃され、目の前で寿一を拉致されてしまう須藤。須藤自身も頭部を近距離で狙撃されており、寿一の応急処置(キス)がなければ即死していたような瀕死の状態で高層階から落下。
 外に待機していた敵の下っ端連中がこれを拉致、倉庫らしき場所に監禁し拷問。その過程でまず残機がー1。概算残機は8か7である(最初の死を含めるか否かの余剰)。これを、「生き返ったら頭撃てば良いんだよな」「回復速度は生きる執念によるとか」など話しながら、敵が須藤に銃を向けたまま待機。

 この状況から、数ページの回想を挟んで須藤はタクシーで目覚める訳である。そのタクシーの臨時ニュースでは発砲事件が伝えられており、恐らく須藤の拷問と処理を担当していた3人が意識不明の重体で発見されたことを告げるものだった。
 そう、こんな状況なのに寿一の言いつけを守って、3人とも殺してないのである。須藤の残機が1減って再生したということは、この3人は拷問殺人の現行犯であるにも関わらず、須藤はこの3人を殺さずに脱出した。寿一を助けることを最優先する場面においても、須藤は寿一の言いつけを破らない。この従順さも犬陣営との対比を際立たせる。

 重要なのは、下っ端3人が語る、夏美が言っていたとされる「回復速度は生きる執念による」という言葉である。
 確認するが須藤は、自分の頭部に銃口を向けて速射可能な状態で待機している3人が、少なくとも発砲事件として報じられた以上自身に向けて発砲したにも関わらず、その3人ともが意表を突かれるような速度でこれを迎撃、重体に陥る程度の怪我を3人ともに負わせて脱出に成功したのである。
 どんな速さで回復して、どんな速度で攻撃したらそうなった。

 もう勝手ながら心境的には親の心である。
つらい体験から感情を見失った須藤が、寿一と出会ってまず欲を自覚し、寿一の前で死の間際に自身の欲を言語化に成功したと思ったら、寿一を奪われかけた際にはリミッターを解除し激怒の達成、かと思えば今度は奪われた寿一を取り戻す為に発生したのが見張り3人が反応出来ないほどの回復速度で蘇生し攻撃に出て、それを成したのが「生きる執念」。
 泣くよ?勝手に母気分で泣くよ???まー、本当にこんなにいろんな想いを抱えて生きられるようになって、この子は。

 以前の怒りを抑制していて感情を自覚しない無で生きていた須藤なら、恐らく蘇生に至らなかったように思う。だって、感情がなかったら生きる執念なんてどうやって自覚・表出したらいいの。
 この生きる執念を燃やして即時回復し、寿一の後を追ったこと自体も、落下前に寿一が「待ってる」と言ったからだ。寿一が自分を待っているのだから、すぐに助けに行く以外の選択はない。

 これ、一次感情と二次感情の創作物における描かれ方例として、感想文書いてんだよね。その過程で、一次感情の種として見つけた欲の表出や、怒りと感情の表出までの仕組みやらと、次々気付きと学びがあったよね。
 この感想文エッセイを書くにあたって、こうやって打ち込みながら捲ったページで寿一の拷問担当が啓悟にスイッチしたので、私の理性はもう駄目です。既に1万字を超えているというのに。こんなに端折っているのに。


浅倉啓悟と宇野寿一の関係性

 浅倉啓悟は、(全略)(5万字泣く泣く削った痕跡)飯田夏美を使役している犬の魔女である。彼らは見た目から筋者であるのが判る風体をしており、夏美は前線の鉄砲玉、啓悟はインテリヤクザの息子か何かのような見た目をしている。
 この義父が浅倉重信、余命3ヶ月の組長である。これを救う為に啓悟は寿一に多重契約を迫る。当然啓悟自身が義父と契約し、人間ではなくなっても良いから使い魔として延命をとは最初に考えたものの、この浅倉重信という人物が義理人情タイプの筋を通す昔気質の組長だった為、大事な息子と契約して自身の延命に使おうなどと受け入れなかった。
 そも、病床の啓悟を助ける為に、あろうことか魔女の心臓を高額で仕入れて移植したのはこの義父自身なので、「人間を魔女(使い魔・人外)にしてしまう」ことに対する倫理観は問われないようだ。
 ただ、自分の為に息子を利用すること自体に対する嫌悪感からか、啓悟の提案はどうしても受け入れられなかったので、啓悟は別の魔女を探して多重契約を強いるより他に、世話になった恩人を救う手立てがなかった。

「あの人を生かす為なら何でもする」と話す啓悟を見る寿一の目に、動揺と躊躇いが揺れる。同じ境遇……同じように追われ、狩られ、やり切れなさを抱えたまま、「同じ魔女が、魔女狩りをするなんて」と失望と怒りを向けていた様子の寿一は、前述の通り元来優しすぎるくらい優しい人物である。
 その寿一が、こうして啓悟が誰の為に非道に手を染めたのかを知ってしまった。救いたい誰かの為に動く、という点では啓悟も寿一も根幹が同じである点が相俟って、一抹の不安が過る。
 これでは、敵である啓悟のことも憎み切れない。須藤や自身が傷付いても、冷酷な判断なんか下せないのではないか。まして逆に、相手を追い詰めたとしても恐らく、敵対する啓悟や夏美のことも見殺しに出来ないのではないか。

 (泣く泣く更に5万字を削った痕跡)ただ、である。
そもそも、魔女は優しいのではないか、と思うシーンが幾つか出て来る。印象的なのは、いよいよ寿一を薬漬けにして義父との契約を迫る段階になって、啓悟が寿一に掛けた「動くな、針が折れるぞ」。
 これが夏美なら予告なくプスッといった後に笑って見下ろしながら捨て台詞を吐き、そのまま担ぎ上げてさっさと連れ去っていたことだろう。それを、義父の到着までの時間を使ってまずは寿一を言葉で説得、それがいよいよ叶わないとなると薬物の使用を試み、その理由も楽だからではなく「お前がどうしても嫌なら仕方ない、気持ち良い方がお前も楽だろ」である。

 啓悟の行動理由も、他人の痛みの緩和なのである。自分のエゴのように偽悪的に振舞い、かなり冷酷な手段を取っているにも関わらず、結局啓悟も寿一同様、優しいのである。これで涙腺決壊した直後にくる寿一の台詞が「俺が契約しないと、こいつの大事な人間が本当に死ぬんだな」なのも、それでも頷く訳にいかず抵抗する際に啓悟に掛ける言葉が「ごめんな」なのも、もうこの2人は読んでいて堪らないのだ。どうして2人とも助けられないのだろうかと、やり切れない気持ちでいっぱいである。
 ここまで来たら、みんなそのまま魔女と猫を買って読み、そのままの勢いで魔女の犬もそのまま読んで下さい!!!

 ここまでネタバレしまくってて今更詳細を伏せたところでとは思うが、結末がどうなるかまでは一人一人にこの作品を読んで確かめて欲しい気持ちは変わらないので、結末に関わる幾つかは伏せるとする。
 ただ、この後寿一が啓悟に掛ける言葉が、本当に寿一過ぎて何回読み返しても何度でも初心に返ってしまい、涙腺が駄目です。
 この、「最後まで隣にいてやれ」という言葉は、義父を助けたい啓悟に寄り添った言葉でもあり、自分たち魔女の使い魔に対しての矜持じみてもいて、これがこの場面で突き付けられる展開も読んでいて込み上げるものがある。

 夏美が須藤との死闘で残機を燃やして応戦して、最後残機1で横たわっているのを見て啓悟が涙を浮かべる様が、堪らない。夏美自身も、啓悟の名を三下が呼んだだけで明確に殺意を向ける程度には、執着も独占欲もある。その夏美は、啓悟が自分を遠慮なく頼ることが誇らしいのだろうと読み取れる。この場面も、魔女犬を読んでから戻ると堪らない。ので、もう両方全員読んで欲しい。


もらったものの正体

 もう、本編終わって番外編の話に入ろうとしている。ネタバレタグを忘れずに載せなければならない。

 本編中盤、寿一が初めてはっきりと須藤に好意を伝える場面がある。これで須藤の中で何かが大きく変わったことが判る描写として、須藤との会話中に寿一が「初めて先のこと言ったな、こいつ」と気付く描写がある。
 これを伏線と言うかは一旦置くとして、死闘の後、本編後の番外編では2人が以前望んだような、定住を避けて日銭を稼ぎながら転々と逃亡生活を続ける中でも、本編中と比べれば少しばかり穏やかな時間が流れている。
 その中で、番外編の須藤は寿一に、逃亡生活で物を多くは持てないながらも、嬉しかったことや楽しかったことをこれからも一緒に増やしていこう、と語る場面がある。
 本編中、強敵からの潜伏中に須藤が「どこかに落ち着いたら…」と先の未来の予定を口走ったことに驚いていた寿一は、この番外編での須藤の、無意識に口走ったことではなく本人の考えとして正面から伝えられた言葉に、丁寧に言葉を返す。また、自分も須藤に何か送りたいと申し出ると、須藤はこう返答する。

「おれはもう貰ったよ」

 須藤は、この『魔女と猫』という作品において、また寿一という青年との出会いによって、何を得たのだろうか。寿一から何を貰ったのだろうか。

 これが、「未来への渇望」であり、「生きる執念」だったのだろうな、と思う。そしてそれこそが、残機を燃やして生きる使い魔が、少しでも長く自身の魔女と共に生きる上で、最も重要なことだった。

 これは私という一個人の読後の感想に過ぎないので、須藤は寿一と出会って何を得たのか、寿一は須藤と出会ってこれからどう生きていくのか、それぞれの目で見て判断して欲しい。

 最後に、敬愛する黒井よだかという作家は、やはり天才である。
どの作品も全て、本当に全て同じくらいの熱量で語れるくらいには面白く、本当に外れのない作家である。本編をほとんど語り尽くした為、物凄く迷惑を掛けている可能性を捨て切れないのは居た堪れないが、この作品と作者への敬愛を添えて、この大人の読書感想文を終える。

【了】

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