パーティーはいつか終わる《2》【#創作大賞2025】
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最終出勤を終えて、青羽さんから事前に伝えられていた住所に到着した私は、先ほどから何度も辺りを見回している。
〈あの、集合場所の住所間違っていませんか〉
不安を覚えた私は、念のため青羽さんに確認の連絡を送る。するとすぐに青羽さんから返信が来た。
〈いえ。再確認しましたが、間違いありません〉
〈この『ブッダ シブヤ クラブ』というお店で間違いないでしょうか〉
〈はい、それです! お手数ですが、受付でお名前をお伝えください〉
私はスマホから一旦顔を上げて、目の前の店を改めて確認する。雑居ビルが立ち並ぶ大通りから一本入った裏道に突如として現れる、巨大な黒いキューブ型の建物。エントランスの真上に掲げられた『Buddha Shibuya CLUB』というロゴが真っ赤なライトで煌々と縁取られていて異様な存在感を放っている。エントランスのガラス扉には『DJ』や『ラッパー』という単語が目立つ大きなポスターやフライヤーが一面に貼られていて、真っ暗な店内からはズンズンと重低音が聞こえていた。
これまでの人生で一度も足を踏み入れたことがない私でも、ここが店名にあるとおりの”クラブ”という類の店だと分かった。けれども、青羽さんが今日私を誘った理由も、そしてよりにもよってクラブをチョイスした理由も、私には全く分からない。
会社の昼休み。退職の挨拶も兼ねて菓子折りを部署の人たちに手渡しで回っていた時に、青羽さんとぎこちない会話をしたことを思い出す。
◇
「青羽さん、これまで大変お世話になりました。こちらお口に合うか分かりませんが、お好きなものをどうぞ」
個包装された五色のマドレーヌが詰められた箱を差し出すと、「わざわざありがとうございます」と青羽さんは小さく頭を下げて、「どれにしようかな」と口の前で拳をつくりながらしばし熟考した。五秒ほど経ってようやく緑色の宇治抹茶味のマドレーヌを恭しく手に取ると「あの、今日のことなんですが……」と青羽さんが唐突に本題に入る。
「あ、はい。先週いただいた連絡の件ですよね。私は何時でも大丈夫ですよ」
「ありがとうございます。あの、誘っておいて申し訳ないんですが、僕ちょっと寄るところがあるので現地集合でも大丈夫ですか? お店の住所は後ほどお送りしますので」
「別に構いませんよ。それよりあの、私に声をかけていただいたのって、ひょっとして何かお困りなことでもあるのでしょうか」
手にマドレーヌを持ったままの青羽さんが、一瞬固まったように見えた。
少し間を置いて、「……すいません、ここで話すのはちょっと。後ほどしっかりお話しますので、今はどうかご容赦ください」と青羽さんに深々と頭を下げられた私は、そこまでされるとは思わず咄嗟に二の句が継げなくなって、私たちの間に少しだけ静寂が訪れた。
この時の私は、青羽さんに誘われたことを未だに不審がりながらも、目の前の彼に対しては警戒心や危機感のようなものはまったく感じていなかったように思う。雄々しさは全く感じられない中肉中背の見た目に、年齢の割には随分と落ち着いた、もっと言えばおじいちゃんのようなゆっくりと柔和な口調。一挙手一投足が全体的におっとりとしていて、人畜無害そうな顔も含めて何だか亀に似ている。なんてぼんやりと考えながら、万が一青羽さんに襲われたとしてもギリ逃げ切れそうだと思ったので、私は青羽さんの誘いに応じたという節もあった。
青羽さんの懇願を斟酌した私はこれ以上詮索するのは諦めて「分かりました。では後ほど、よろしくお願いします」と答えると、青羽さんは再度深々と頭を下げて「こちらこそ、よろしくお願いします」と言って、彼との会話は終了した。
職場での青羽さんとの会話はこれきりだった。
◇
そうして今、青羽さんからチャットで送られてきた住所にたどり着いた私は、ひとりでクラブの前に立ち尽くしている。まだ月曜日の夜の七時前だというのに店内からは騒がしい重低音が聞こえていて、目の前の光景が不気味と恐怖以外の何物でもない。
そもそも昼休みの会話でもクラブという言葉は一切出てこなかったし、あの平和そうな青羽さんが、若者がうじゃうじゃと犇めいているようなクラブという場でよりにもよって私みたいな四十歳独身女性と踊りたいという酔狂な願望があるようには思えない。
猜疑が頭をよぎる。もしかして、職場の人たちに遊ばれているのではなかろうか。青羽さんを使って私をクラブまで誘き出し、困惑する私の様子を遠くから観察しながら楽しんでいるのでは? 今この瞬間にもどこかで私をモニタリングしていて、私がこのまま帰るかクラブに入るかどうかの賭け事が行われているかもしれない。あるいは、クラブの中に仕込まれた演者がいて、言葉巧みなその男にまんまと魅了された私が、誘われるがままにクラブを抜け出してホテルまで付いて行ったところで盛大なネタばらしを食らうというユーチューバー顔負けの手の込んだドッキリが仕掛けられている可能性だって捨てきれない。
当然、私ひとりのためにそんな時間やリソースが割かれるはずはなく、馬鹿馬鹿しい被害妄想はやめて私が今すべきことについて考えてみる。理由は全く分からないが、青羽さんがわざわざこの店を予約してくれたのだ。ひとまず、言われたとおり「受付で名前を伝える」他ない。だがしかし受付は一体どこにあるんだ。
幸か不幸か、入口付近には怖そうな人はおろかスタッフらしき人間も誰もいない。勝手が全く分からず、とりあえずエントランスらしき大きな扉に近づいてみるとそれは自動ドアだったようでウイーンと勝手にオープンした。中は仄暗い空間で、奥からは絶えず重低音が響いてくる。わずかな照明に照らされた廊下のような一本道が暗い奥の方へと続いていて、突き当たりには再び扉が見えたが、それ以外については受付スペースはおろか、やはり周囲に人の姿すら一切見えない。
私は勇気を振り絞って恐る恐る歩き出す。奥へと歩みを進めるにつれ、聞こえてくる重低音と自分の心音が重なっていく。
ようやく突き当りにある扉の前まで来て、ドアハンドルをがしっと掴む。
重厚な扉を力いっぱいに開けると、突如として流れ込んできた爆音と鮮烈な閃光に身体が吹き飛ばされそうになった。
反射的に瞑ってしまった目をゆっくりと開くと、目の前には巨大な地下空間と異世界が広がっていて思わず息を呑んだ。
天井に取り付けられた真っ赤なスポットライトが、音楽に合わせて首を縦横無尽に動かしながら激しく明滅している。その赤や青の光に照らされた大勢の人間たちが、高波のように盛り上がる音楽や噴射するスモークに合わせて甲高い声や野太い声を発しながら暴れ狂ったかと思うと、突如として訪れた凪のようなゆったりとした音楽に切り替わった途端、それに呼応するように身体の動きも一斉に滑らかになり、まるで全体として一つの生き物を見ているようだった。
魂を奪われるようにその光景を見ていた私は、ハッと意識を取り戻して、必死に思考を整理する。そうだ。青羽さんに受付で名前を伝えてくれと言われていたのだった。
今まさに地下のフロアで犇めき合っている未知の生物のような人間たちのことは一旦置いといて、きょろきょろと辺りを見回して必死に受付を探す。暗くて分かりづらいが、地下のフロアへと下る吹き抜け階段のそばに受付らしきスペースが見えた。
『Buddha Shibuya CLUB』という店のロゴが書かれた黒いTシャツを着ているスタッフらしき長髪の女性を見つけて、声をかけてみる。
「……あの、受付ってここで合ってますか」
「あぁ!?」
私は思わず「ひぃ」という声が出た。女性に見えたその人物は、顎に髭を生やした細身の男性で、小枝のような細い身体から急に発せられた野太い声に圧倒された私は、狂犬に吠えられたチワワのように怯えて固まっていると、その男性は鼻ピアスを揺らしながらへへっと笑った。
「あぁ、受付ね! ごめんねえ、びっくりさせちゃって。姉ちゃん、ここ騒がしいからもっと声張らないと」
「すいません……」と謝る声でさえ注意されそうな気がして、今度は一息吸い込んで「あ、あのっ、わ、ワタシシオタトモウシマス!」と気張った片言で伝える。
「ワタシシオタ? あっ、姉ちゃんが”潮田さん”ね」と含みのあるような感じでその男性がハイハイとニヤつくと、「姉ちゃんの席はこっち」と指さして、地下フロアへと繋がっている吹き抜け階段ではなく、受付スペースの後方にある隠し扉みたいなエレベーターにそのまま乗せられて、あっという間に上階のフロアに連れて来られた。
その場所は吹き抜け構造になっているこの建物の最上階のフロアで、瀟洒な照明やバーカウンターの他に、先ほどまで私が見ていた地下空間が一望できるテラス席もあって、階下とは打って変わってラグジュアリーな雰囲気が漂っている。
思考停止状態で突っ立ていると、黒スーツを着た背の高い女性がスッと現れて「お待ちしておりました。こちらへどうぞ」と私を案内する。手足がすらっと長く伸びていて、黒のメンズライクスーツを着こなしている姿はまるで漫画の登場人物のようだった。姿勢よく歩く彼女の背中に置いて行かれないように少し早歩きで付いて行くと、彼女は私をテラス席まで案内して「こちらにおかけください」と大きな黒いソファをぴんと伸ばした指先で指し示した。
小さく頭を下げてから腰を下ろすと、いかにも高級そうな革張りのソファがまるで私を拒むかのように固く反発する。遠慮がちに座る私を見て、黒スーツの女性が「飲み物はいかがいたしましょうか」と早速聞いてきた。
あのすいません私やっぱり帰ります、と真っ先に言いたかったが、とてもそんなことを口に出せるような雰囲気ではなく「……とりあえず、ウーロン茶を」と申し訳なさそうに答えると、黒スーツの女性が「かしこまりました」と言い残して颯爽と席を離れていった。
ひとりになった私は、光の速さでポケットからスマホを取り出す。
青羽さん? なんですかここ? というか私をこんなところにひとりでいさせてあなたは今一体どこで何をしているんですか? 苛立つ気持ちをグッと堪えて
〈お店入りました〉
〈あの、ここはどういうお店なのでしょうか〉
〈とにかく非常に居辛いので、早く来ていただけると助かります〉
〈今どの辺ですか?〉
〈あと何分くらいで着きそうですか?〉
とメッセージを連投する。
するとすぐに既読が付いたが、一向に返信が来ない。なぜだ。すぐ近くまで来ているということだろうか? テラス席から首を伸ばして受付スペース辺りを見下ろしてみても、それらしき人影は見当たらない。
そうこうしている内に先ほどの黒スーツの女性が「お待たせしました」と再び現れて、私の目の前にある大理石のような天板のテーブルに恭しくグラスを置いた。
「追加のご注文がございましたら何なりとお申し付けください」と言われ、私が小さく「……ありがとうございます」と頭を下げると、”中年女性がこんな場所にいるなんてまじウケるんですけど”とか思ったのだろうか、黒スーツの女性は意味深に唇の端を上げて何も言わずに席を離れていった。
あまりにも場違い過ぎて猛烈にこの場から立ち去りたい。本気でそう思って辺りを見回す。しかし逃げようにも、フロアに一つしかないエレベーターの付近にはセキュリティらしき男スーツの男性二人組が立っていて怖くて近づけない。しかも心なしか、先ほどから私のことを見張っているような気がしてくる。
私は急に、自分が置かれている状況に明確な恐怖を感じた。こんなに広いフロアなのに客らしき人間は私ひとりしかいない。まさか、このウーロン茶に変な薬でも入っているのではなかろうか。実は青羽さんが裏社会と繋がっていて、睡眠薬で昏睡状態にさせた私から臓器を取り出して闇市場で売り捌こうとしているのでは? 青羽さん単体なら大丈夫だと侮っていた私が大いに浅はかだったと気付かされる。もしこれが組織ぐるみの犯罪だとしたら、ここに来た時点で私は詰んでいたのだ。
これからきっと殺される。そう思った瞬間、メインフロアから突如として空襲警報のようなサイレンが鳴り響いて心臓が止まる思いがした。
「それではここで本日のメインアクトに登場していただきましょう! ヒップホップユニット、カルマァ!」
"カルマァ!"のルの部分をバグったようにルルルルと巻き舌で異常に引き伸ばしながらMCらしき人物が奇声を発すると、会場の照明が急に暗転してフロアからは歓声が沸き起こった。
爆音と同時にスポットライトが光りを放ち、ステージに立っている人物を照らし出す。
最初に目に飛び込んできたのは、ターンテーブルを回すDJの姿だった。ミラーボールの加工が施された銀色のヘルメットを被り、顔は真っ黒いバイザーで覆われていて全く見えない。厳重な頭の装備とは対照的に上半身は丸裸で、首から下の見える部分すべてに黒々とタトゥーが入っている。
そしてDJパフォーマンスの途中で、ステージ袖から出てきたもう一人の人物が彼の隣に仁王立ちで現れた。こちらは目と口部分のみに穴が開いている強盗のような黒いニットキャップで顔を覆っており、隣にいる上半身裸男とは対照的にがっしりとした身体つきにも関わらず超細身の黒スーツを着ているせいで、全身のあらゆるパーツがパッツパツで今にも張り裂けそうだ。
DJパフォーマンスでフロアのボルテージが最高潮に達したところで、熱冷めやらぬまま今度はそのパツパツスーツ強盗覆面男による怒涛のラップが始まった。英語のような、しかしよく聞くと何の関連性もない日本語を並べている彼のラップに合わせて、大勢の人間たちが思い思いに頭や身体を振り回してフロアはいよいよトランス状態に突入していた。
「潮田さん、楽しんでますか?」
嵐のように訪れた彼らのパフォーマンスを気付けば食い入るように見ていた私に突然、先ほどの黒スーツの女性が話しかけてきた。これまでの礼儀正しい接客から一転、どこか馴れ馴れしい彼女の雰囲気に微かな違和感を覚える。
「あ、あの。私今日、青羽さんっていう男性の方がここを予約してくれて、でもどういうわけかその人が一向に姿を現さないんです。もしかして何か知ってたりしませんか」
思い切って質問してみた私に、黒スーツの女性はわざとらしく肩をすくめて「さあ、私には分かりません」とまたもや意味深な笑みを浮かべた。
私はこれ以上青羽さんに振り回されることに明確な苛立ちを感じて、少し語気を強めて言った。
「青羽さんが何を考えているか分かりませんが、もし仮に何かしらの考えがあったとしても、私に対して大変失礼なことをしていると思います。青羽さんがせっかく予約していただいたお店なので勝手に帰るわけにはいかないと思い、私は今ここにいるんです。なのに本人は一向に姿を見せず、さっきから私はずっとひとりでこの場違いな空間に放置されて、ライブというかパフォーマンスというかなんて言うか分からないですけどとにかくすごいものに巻き込まれて何だかもうどうにかなってしまいそうなんですよ! あのとにかく青羽さんが今すぐここに姿を現さないなら私も今すぐ帰らせていただきますよいいんですね!? ていうかこんな爆音これまでの人生で聞いたことがなくてもう何ていうかほんとに耳と頭が自分のものじゃないみたいにおかしくなってきてるんでもしあなたが青羽さんと連絡を取れるようなら今すぐ連絡してください!」
後半にかけてヒートアップしながら一気呵成に言い終えると、はっと正気を取り戻して突如後ろめたさに襲われる。青羽さんの事情を何かしら知っていそうな雰囲気があるこの黒スーツの女性に思い切って伝えてみたはいいものの、若い女の子を前にしていかにも余裕がなさそうな言動をとってしまったことに私は急激な情けなさを覚えた。
「すいません、失礼します」と頭を下げて急いでソファから立ち上がる。すると、黒スーツの彼女が私の腕を掴んで制止した。
「ちょっと待って! 潮田さんの言うことは確かにそのとおりなんですけど、ちょっとだけ待っててもらえますか? あの、ほんとにあとちょっとなので! お願いします!」
彼女の勢いに圧倒されて私は困惑してしまった。なぜここまでして私をこの場に引き留めたいのか、まったく見当がつかない。
するとその時、会場が急に静かになるのを感じた。フロアに目を向けると、先ほどのDJとラッパーによるパフォーマンスがちょうど終了したようで、嵐のように彼らが過ぎ去ったあとは、上がり過ぎた会場の熱を一旦冷ますためか、これまでより随分と落ち着いた雰囲気の音楽がフロアに流れ始めた。
「とにかく、すぐ戻ってくるので、潮田さんはこちらで待っててください」
黒スーツの女性は早口でそう伝えると、私に一礼して風のように去っていった。私はぽかんとしたまま、ひとまずソファに腰を下ろす。先ほどから情報過多で、普段から刺激に慣れていない私の頭はそろそろショートしかけている。もう何でもいいから早く帰りたい。安全な場所に戻りたい。
そう思いながら出口にあるエレベーターをぼんやりと見ていたその時、突然扉が開いて、中から二人組が出てきた。
その姿に、私は思わず息を止めた。
エレベーターから出てきた二人組は間違いなく、先ほどフロアを熱狂的に沸かせていたあの覆面DJと覆面ラッパーだったのだ。
そしてあろうことか、彼らは私のいる方向に指を差したかと思うと、そのままこちらにずんずんと近づいてくるではないか。私は恐怖と驚きで全身が硬直したまま、まっすぐこちらに迫ってくる覆面姿の彼らに命乞いのような視線を送ることしかできない。その間にも、だんだんと彼らと私の距離は狭まっていく。
そしてついに、私のすぐ目の前で彼らが立ち止まった。
今度こそ殺される。そう確信した瞬間、二人組のうち一人がミラーボールのヘルメットを脱いだ。
その瞬間、私の息は完全に止まった。
ヘルメットを取った彼は、間違いなく青羽さんだったからだ。
