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私が40代で通信制大学に入った理由 

大学に入りたかったふたつの理由

大卒資格が欲しかったこと。
自分の考えをしっかり持ち、それを言語化できるようになりたかったこと。

このふたつが、私が大人になってから大学に入った理由です。
学歴コンプレックスは常にありましたが、どちらかというと後者の理由の方が私の中では大きかったです。
なぜそんな風に思うようになったのかを書き連ねていきますので、お付き合いくだされば幸いです。

愛犬との別れ

世の中がパンデミックに突入する少し前に、介護の末に愛犬が虹の橋を渡りました。
ちょうどぴったり19歳と1ヶ月での旅立ちでした。
とても深い喪失感に襲われましたが、癒してくれた約20年のことを思うと感謝の気持ちでいっぱいです。
私がいつまでも悲しんでいると愛犬蘭丸も悲しむだろうから、前を向いていこうと思っていました。

母の異変

蘭丸の百箇日を終えた夜、その日は実家に泊まりました。
夜、お風呂上がりにお手洗いの前を通ると、中から苦しそうな呻き声がしたのです。
母が腹痛で苦しんでいました。
ちょっと異様とも思える痛がりようでしたが、少し経つと、だいぶ落ち着いたと母が言うので、お互いに床につくことにしました。
10分ほど経過した頃でしょうか。
母はまたお手洗いに行き、うめき始めました。
これはおかしいと感じざるを得なかったです。
すぐに救急車を呼びました。

思い当たることがひとつありました。
それは2日前に受けた人間ドッグで飲んだバリウムを出すために、下剤を飲んだことです。
その時の私は、母には下剤が強すぎたのではないだろうかと考え、来てくださった救急隊の方々にもそう説明しました。

S状結腸に穴が開く

病院に着くと母は診察受け、私は内科の先生に呼ばれました。
ここでも下剤の話をしたのですが、先生はあまり興味がないようでした。
もしかして下剤は関係ない?という考えが頭をよぎります。
今、痛み止めの点滴をしているが、効かなかった場合は外科に切り替えると言われました。
何だかとても嫌な予感がしました。

案の定、母の痛みは治らず、外科の先生がやってきて検査が始まりました。
その結果、検査でははっきりとは見えなかったが腸か胃に穴が開いている可能性があるとのこと。
胃ならそれほど大きな問題ではないが、腸の場合は中のものが体内に流れていると思われるので命の危険があると言われました。
いずれにせよ、これから緊急手術をしますと告げられ、代理でたくさんの書類にサインをしたのを覚えています。

父の末期がん発覚

深夜に始まった手術は翌朝8時くらいまでかかりました。
やはり穴が開いていたのは腸で、母はICUに入りました。
一睡もしていないので疲労困憊でしたが、一度実家に戻り、また出かけなければなりません。
実は、父にがんの疑いがあるから来てくれと病院に呼ばれていたのです。

父と共に、地元の泌尿器科に行きました。
そこで、膀胱がんの疑いがあるので大きな病院で検査した方が良いと言われます。
あちこち行くのは大変なので、母が運ばれた大病院に紹介状を書いてもらうことにしました。
数日後、検査の結果、父はステージ4の癌であることが判明しました。

父との別れ

数ヶ月に及ぶ治療の甲斐なく、新型コロナウィルスが日本に蔓延し始めた頃、父は亡くなりました。
私はと言えば、次々に起こる悲しい出来事に心がついていかず、だんだんと自分が何をしたいのか、何を好きなのかを見失っていきました。
日々、病気や死の話題しか周りにないし、何をしても楽しくなくなりました。

それでも生きていく

その後、母が回復し、自分自身にも少し余裕が出てきた頃、なんとか自分を取り戻すために行動したいと考えるようになっていきました。
そのためには、文章を書くことが助けになるのではと閃いたのです。
若かりし頃に英語の勉強をしていた私は、英文を書くことでスピーキング力が上達するということを経験していました。
日本語でも同じ効果があるのではないかと思いついたのです。

文章をたくさん書くには何をすればいいか。
悩んだ末にたどり着いた答えは、大学に入ればたくさんレポートを書くに違いないということ。
それから、私でも入れる大学を、コロナ禍だったので通信制に絞って探し始めたのでした。

長くなりましたが、これが私が大学に入学した理由です。
次回は、私がなぜ京都芸術大学芸術教養学科を選んだのかを綴ります。

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