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【前編 〜温故ver.〜】 アジカンというロックバンドの魅力をdig outする|温故知新

はじめに ―― アジカンと洋楽ロックのつながり


フジロックで、久しぶりにASIAN KUNG-FU GENERATIONを観た。
そして、改めて感動した。

何度も聴いてきた曲なのに。
何度も観てきたバンドなのに。

ステージを観ながら、やっぱりアジカンってめちゃくちゃ良いバンドだな、と思った。それをきっかけに、今さらながらアジカンの魅力について、ちゃんと言葉にしておきたくなった。

ただ、アジカンについて語ろうとするとき、自分がそうだったように、彼らが通ってきた洋楽ロックのルーツをなんとなく知っておくと、その魅力により深く潜れると思う。

アジカンに限らず、彼らと同世代のロックミュージシャンたちは、洋楽ロックから多大な影響を受けている。

テレビをつければ『BEAT UK』が流れ、CDショップには海外のギターロックが当たり前のように並んでいた。
Nirvanaの登場とカート・コバーンの死に、衝撃を受けた人も多かったはずだ。

そんな時代に青春を送ったバンドマンたちが、洋楽ロックをまったく通らずに日本のロックシーンへ出てきたとは、なかなか考えにくい。

もちろん、アジカンも例外ではない。

というより、アジカンほど自分たちのルーツを隠さず、それを自分たちなりの方法で日本語ロックへ昇華してきたバンドも、そう多くないのではないかと思っている。

今回はその中でも、アジカンと洋楽ロックのつながりについて、これから後追いしていく人にも向けて、できるだけ広く浅く書いてみたいと思う。



1. アジカンの源流、Weezer


アジカンのルーツを語るなら、まずWeezerを外すことはできない。
そして、そもそも僕がWeezerを知ったきっかけが、ほかでもないアジカンだった。

アジカンとWeezerの関係は長くて濃い。

アジカンの主催するフェスにWeezerが出たこともあるし、
アジカンの立てた音楽レーベル「only in dreams」はWeezerの楽曲名から来ている。
『ホームタウン』では、Weezerのフロントマン、リヴァース・クオモとの共作まで実現している。

では、具体的にアジカンの音楽性に対してどう影響してるのか、両者をこよなく愛する立場から紐解いてみたい。


ポップでラウドなのに弱々しい


Weezerの音楽をかなり乱暴に説明するなら、

分厚いギターサウンドに、
口ずさみたくなるキャッチーなメロディ。

いわゆる「パワーポップ」というジャンルだ。

そして、そのWeezer的な要素がアジカンで特に分かりやすく表れているアルバムが、『サーフ ブンガク カマクラ』だと思う。

『サーフ ブンガク カマクラ』は江ノ電をモチーフにしたアルバムだが、全体的にポップな曲調の曲が並ぶ。

ちなみ、タイトルはWeezerのデビューアルバム「Surf Wax America(サーフワックスアメリカ)」を捩ってるのは間違いないだろう。

ただ、Weezerから受けたものは音楽性だけではない。

キャッチーなのに切ない。
爆音なのに弱々しい。
叫んでいるのに内向的。

その矛盾した魅力の源流にも、かなりWeezer的なものを感じる。

決して過剰に着飾らず、
ロックスター然としていない、
どこか冴えない佇まい。

後述するOasisのように、
「俺たちは最高にクールなロックスターだ」
と振る舞うのではない。

不器用で、冴えなくて、内向的な自分たちを、そのまま音楽にしてしまう。

アジカンは初期の頃、「和製Weezer」と評されたのも、単にメロディが似ていたからだけではなく、青臭さを隠さず、むしろその青臭さごと大音量で鳴らしてしまうというスタンスも含めてだろう。

曲構成の妙


少し語弊のある言い方になるが、アジカンは、圧倒的な演奏技巧を前面に押し出すタイプのバンドではないと思う。

ここについては、後藤正文自身も、Weezerから受けた影響について興味深いことを語っている。

全体としてはWeezerってそんなに演奏上手じゃないので、どこで聴かせてるかっていうと、曲の構成の面白さなんですよね。全体の積み重ねというか、曲の展開を面白いほうにもって行くとか、そういうところで差を作ってかないと勝てないんだと大変影響を受けました。

後藤正文がWeezerへの愛を語る! 「究極のアウトロ」と絶賛した一曲は?

特に個人的にそれを感じるのが、「El Scorcho」。

Aメロでは妙にしゃべるように歌が進んだり、全体的に予定調和を崩しまくっているのに、最後にはなぜかドラマチックに着地して、ものすごくポップな曲として成立しているのが面白い。

こんな感覚は、そのままアジカンにもつながっているように思う。単純な8ビートのギターロックだけでは終わらない。

特に、その面白さを顕著に感じるのが『ファンクラブ』だ。

1曲目の「暗号のワルツ」では、そのタイトル通りワルツ的な3拍子感を持ち込み、4拍子に慣れた耳をいきなり揺さぶってくる。

シングルカットされた「ブラックアウト」も、サビへ行きそうなところを、「ここで来るだろう」と思った瞬間に外してくるような感覚がある。

最近LIVEでよく演奏する「センスレス」は、長い長い長い癖のあるイントロからじわじわと曲の温度を作っていき、最後に一気に畳み掛けるように盛り上がりを見せて、ドラマチックに着地する。

そういう、曲の展開そのもので聴き手を引っ張る引き出しが、アジカンにはかなり多い。

「演奏技術だけではなく、曲そのものの構造で面白くする」。

その発想において、アジカンとWeezerはかなり近いものを感じる。


2. アジカンといえば、やっぱりOasis


そして、アジカンの洋楽ルーツを語るうえで、絶対に欠かせないのがOasisだ。

後藤正文にとってロックの初期衝動となった曲の一つが「Live Forever」であり、初めてカバーしたOasisの曲が「Wonderwall」。
オアシスによる影響の大きさについて、本人がこれまでさまざまな場所で語ってきたのは有名な話だ。

また、去年の再結成のライブで前座を務めたことも記憶に新しい。そのライブを観に行ったのは一生の自慢ものである。


ただ、個人的に面白いと思うのは、音楽的な影響だけではない。
アジカンというバンドのキャリアそのものが、どこかOasisと重なって見える瞬間がある。

アジカンで言えば、
『君繋ファイブエム』

『ソルファ』

『ファンクラブ』

Oasisで言えば、
『Definitely Maybe』

『(What’s the Story) Morning Glory?』

『Be Here Now』
バンドが世間へ浸透していく「物語」として見ると、不思議なくらい似ている。


初期衝動と爆発的な大ヒット

まずは、1st。メジャーデビューアルバム。

『君繋ファイブエム』には、「未来の破片」「君という花」といった強力な曲があり、
「電波塔」や「無限グライダー」のようなアルバム曲まで含めて、後年まで愛される作品になった。

『Definitely Maybe』も同じだ。
「Rock ‘n’ Roll Star」や「Live Forever」といった代表曲だけではない。
「Bring It on Down」や「Slide Away」のようなアルバム曲も、キャリアを通じて愛され続けており、再結成後のライブでもセトリに挙げられている。

音は荒い。
ギターは過剰なくらい鳴っている。
若さゆえの勢いがある。

初期衝動の塊のような質感と、コアなロックファンからの強い支持。
その意味で、『君繋ファイブエム』と『Definitely Maybe』にはかなり重なるものがあると思う。


そして、2ndで爆発を迎える。
アジカンなら『ソルファ』。
Oasisなら『Morning Glory?』。

アジカンには「リライト」という圧倒的な代表曲が生まれ、ロックファンだけが知っているバンドではなくなった。
Oasisにも「Wonderwall」「Don’t Look Back in Anger」という決定的な代表曲が生まれ、一気に巨大なバンドになっていく。

そして、アルバム全体を聴いていても面白い。

『ソルファ』の1曲目は「振動覚」。
『Morning Glory?』の1曲目は「Hello」。

どちらも、バンドがまさに勢いに乗っている時期の疾走感を、そのまま叩きつけるようなオープニングだ。

そしてアルバムの最後。

アジカンの「海岸通り」。
Oasisの「Champagne Supernova」。

ここも個人的にはすごく重なる。

浮遊感。
ノスタルジー。
ギターの余韻。

そして、同じモチーフを反復しながら、徐々にスケールを大きくしていく構成。
分かりやすいアンセムを最後にもう一発置くのではなく、むしろ時間の流れをゆっくりにして、どこか遠くへ連れていくような曲で終わる。
このエンディングの感触も含めて、かなり近いものを感じる。


成功のあとの歪み


そして、その成功によって世間からの期待値が一気に上がる。

Oasisで言えば、その直後にやってくるのが、3stの『Be Here Now』だ。

大成功した前作。
高まりきった世間の期待。

その期待を背負ってスタジオへ入りながら、前作の成功をそのままなぞるのではなく、より過剰で、より巨大で、より濃密な方向へ進んでいく。

曲は長大になり、ギターの壁はさらに分厚くなる。
そして、何を血迷ったのか、アルバムの1曲目「D’You Know What I Mean?」から7分を超える大作を持ってくる。

そこから先も、音を足して、
さらに足して、また足す。

「今の俺たちはこれくらい巨大なんだ」
と言わんばかりのスケール感。

もちろん、それが『Be Here Now』の魅力でもある。
ただ同時に、前作までの初期衝動の残り香を楽しみたいリスナーにとっては、あまりにもtoo much過ぎる内容だった。

裏を返せば、「もっと大きくしなければならない」という成功後のプレッシャーが、そのまま音になったようにも聴こえる。


アジカンで言えば、
『ソルファ』の次にやってきた、3stの『ファンクラブ』だ。

『ソルファ』で一気に広がった華やかさやポップさをさらに巨大化するのではなく、むしろ内側へ潜っていった。

前作の大ヒットとは裏腹に、より内省的で、鬱屈していて、実験的。
曲構成も、分かりやすいAメロ・Bメロ・サビのポップソングから少しずつ離れていく。

一癖も二癖もある楽曲が並び、『ソルファ』のような即効性を期待していたライト層にとっては、決して取っつきやすい作品ではなかったと思う。

Oasisは成功後に、音を外側へ外側へと巨大化させた。
アジカンは逆に、内側へ内側へと潜っていった。
方向性は正反対だ。

でも、
爆発的な成功のあと、その成功ゆえに少し不器用な作品を作ってしまう。

そんなバンドの物語として眺めると、アジカンとOasisはやっぱりどこか重なって見える。


ただし、年月が経ち、当時酷評だった『Be Here Now』はリマスターの発売を受けて近年は再評価を受けており、
アジカンについては、数年前に行われたファン感謝祭のリクエストファン投票のTOP10の曲のうち3曲が『ファンクラブ』から選出されており、
結果的にいずれも後に評価される名盤になった。

こうしたバンドの物語の変遷を眺めてみても、どうしてもどこかOasisを思わざるを得ない。


3. ルーツを辿れば、The Beatles


Oasisに影響を受けているなら、そのさらに奥には当然The Beatlesがいる。
Oasisほどビートルズを愛し、その愛を公言し、音楽そのもので体現してきたバンドも珍しい。

そしてアジカンにも、ビートルズとの接点はわかりやすくある。

元々ビートルズが好きという共通項で組んだバンドでもあるし、メンバーが初めて音を合わせた曲が「Help!」だった、というエピソードなんて、なんとも初々しい。

ただ、「ビートルズに影響を受けています」という話だけなら、
世界中ほとんどのロックバンドに当てはまってしまうので、

アジカンに関してどの部分にその影響が見えるのか、その一部を書いてみたいと思う。


アルバムを「一つの作品」として作る


ビートルズの影響として、アジカン文脈で分かりやすいのは、『ワールド ワールド ワールド』や『サーフ ブンガク カマクラ』だと思う。

どちらも、単なる楽曲の寄せ集めというより、アルバム全体で一つの世界を作ろうとしている。

いわゆるコンセプトアルバム的な発想だ。

『サーフブンガクカマクラ』は、江ノ電沿いの駅名を曲名にしながら、湘南の優雅な雰囲気を彷彿とさせるパワーポップの曲調をコンセプトにして作られたアルバムだが、
『ワールドワールドワールド』も、文学的な表現が多々あり、その解釈の仕方は様々だけれども、

「アフターダーク」で夜に入って、
「ネオテニー」や「No.9」で暗い世界に入り込み、
「ワールドワールド」で夜が明けて、
「新しい世界」で飛び立っていく。

そんな一つのストーリーがアルバムに刻まれている。

そして、この考え方をロックの世界で大きく押し広げた作品の代表格が、『Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band』だろう。

敢えて言うまでもないが、ロックの歴史の「前」と「後」に線を引くくらい、大きなインパクトを与えたアルバムだと思う。


ビートルズに強烈にハマったきっかけの一つが、このアルバムだった。

ビートルズのアルバム解説なんて野暮なので省略するが、
このアルバムを初めて聴いたときの感想感覚を、飾らずに言うなら、

「映画を音だけで観ている」

ようだった。

曲ごとに景色が変わるのに、不思議と全部で一つの作品に聞こえる。

『ワールド ワールド ワールド』を通して聴いたときの高揚感にも、少し似たものを感じる。

曲単体の良さだけではなく、「アルバムそのものを一つの作品として設計する」。

ここにも、ビートルズ以降のロックの系譜が間違いなくある。


ゴッチという小さな「ジョン・レノン」


そして、ビートルズの中でも特にジョン・レノンの影は、後藤正文という人を見ているとかなり分かりやすい。

これはアジカンというバンド全体というより、ゴッチ個人の話に近いかもしれない。

ジョン・レノンを連想させるギターへの憧れ。
丸眼鏡というルックス。
そして、後述する社会や政治に対する発言。

少なくとも、そのアティチュードにジョン・レノンを連想する瞬間は多い。

それは作品の中にも現れている。
例えば『Wonder Future』。

まず、真っ白なジャケット。
どうしたってビートルズの『White Album』を思い出す。

そして、その中には「小さなレノン」という曲まである。
歌詞には「イメージ」という言葉も登場する。

ここまで来ると、ジョン・レノンを連想するなというほうが難しい。

また、あるフェスでは、
ゴッチが教授(YMOの坂本龍一)と
ジョンの代名詞でもある「image」をセッションしていた。

アルバムという単位で世界観を作ること。
ポップソングの中に実験性を忍ばせること。
そして、ロックミュージックを通して社会や時代を見ること。

そういう部分には、ビートルズから連なるロックの系譜が確実に息づいていると思う。


4. ロックバンドとしての「政治的な態度」


そして最後に触れたいのが、政治や社会に対するアジカンの姿勢だ。

先日のフジロックのステージで、
手書きの「Stop The Genocide In Gaza」や「NO WAR」の
サインが見られたことが少し話題になった。

ゴッチが政治的と捉えられるムーブメントや発言をする度にネットが騒つくのはもう季節の風物詩にもなりつつあるが、
アジカンというバンドを洋楽ロックの流れの中で見れば、これはかなり自然なことにも思える。


ロックには、もともと社会を見る視線がある

そもそもロックという音楽自体が、社会への違和感や反抗、時代に対する態度と切り離せない歴史を持っている。

1960年代には、Bob Dylanが反戦や公民権運動と結びついたプロテストソングの象徴的な存在になった。

アジカンの「転がる岩、君に朝が降る」というタイトルは、「Like a Rolling Stone」から来ているに違いないだろう。

また、アジカンとしてはかなり社会的なメッセージ性の強いアルバムの『ランドマーク』のツアーに行ったときに、
終演後にBob Dylanの「風に吹かれて」が流れていたのはいまだに鮮明に覚えている。

「歌は個人的な感情の吐露だけにとどまらず、社会や時代に向けることもできる」という、ロックが本来持っていた広範な眼差しや気高さを、強く受け取っているように思う。


そして、その文脈でよく出てくるのがU2。

U2は、曲の背景を知ると、そこには本当に様々な社会や歴史の問題が立ち上がってる。

彼らの曲に共通しているのは、
「ロックバンドだからこそ、自分たちの生きている時代について歌う」
というスタンスだと思う。

アジカンにも、それに近い感覚を感じる。
実際にゴッチの日記や文章を読んでいると、U2の話題はよく出てくる。

そしてゴッチ自身もまた、社会について語るときにミュージシャンという立場から降りようとはしない。
また、政治は大上段で語るものではなく、本来もっと身近で日常の地続きにあるということを強調して発信しているのも印象的だ。

この辺りの考え方や価値観は、下記の著書「何度でもオールライトと歌え」に綴られている。

つまり、
「ロックバンドが社会について、語ることを特別視しない」
という感覚は、かなりU2的だと思う。


そして、もうひとつ挙げたいのがBeck。
アジカンによるBeckの「Loser」のカバーは格別に格好いい。

原曲の持つ、資本主義的な成功神話に対する皮肉や、社会の隅にいる若者の無力感。

それをただ英語のままコピーするのではなく、日本で生きる自分たちの感覚へと置き換えて歌っている。

ここは、アジカンというバンドの本質にもつながっている気がする。

洋楽を輸入して、そのまま真似するのではなく、
一度自分たちの中で咀嚼して、日本語と日本社会の文脈へ置き直す。

これは音楽性だけではなく、社会的なメッセージにおいても同じなのだと思う。

そうしたロックの歴史を辿れば、ゴッチが政治や社会について発言することは、突然変異でも何でもない。
むしろ、自分が愛してきた音楽の系譜にかなり忠実な態度なのだと思う。


政治とアジカン作品との結びつき

そして、こうした音楽の歴史を踏まえて、アジカン自身の作品にも、政治的な姿勢はかなり早い段階から現れている。

例えば、『ワールド ワールド ワールド』は2008年に発売されているが、
収録されている「No.9」は、タイトルの「9」は憲法9条を指している。

『ランドマーク』に収録された「N2」は、「No Nukes」に由来する。

これは、こちらが勝手に意味を読み込んでいるわけではない。
ゴッチ自身が文章の中で明確に書いていることだ。

ほかにも「ワールドアパート」や「惑星」など、歌詞を深く追っていくと、かなり攻めた際どい表現が散りばめられており、
社会や時代を意識した言葉が出てくる曲は少なくない。

遠く向こうでビルに虚しさが刺さって 六畳のアパートの 実は麻痺した 目を塞いで僕は君を思い描いて 想像の世界で君を全部なくして分かったよ

『ファンクラブ』収録曲 「ワールドアパート」

揺らめく旗の星に 数えて五十二番目に 本当は誰の言いなり 気付かれぬように空を奪う 連れ立って並ぶように見えるのはまやかし

『ワールドワールドワールド』収録曲 「惑星」


よく政治的な発言だけが切り取られて、

「アジカンってどうしてこんなバンドになったの?」

と言われるたびに、個人的には少し違和感がある。

むしろ、
ずっとこういうバンドだったが正しい。



日本では、ミュージシャンが政治や社会について話すと、「音楽に政治を持ち込むな」と言われることがある。

でも、海外のロックの歴史を辿れば、前述のようにその二つを完全に切り離すほうがむしろ不自然にも思える。

ロックを鳴らすことと、自分たちが生きている社会について考えることは、本来そこまで遠いものではない。

アジカンは、そのロックの伝統を日本語の中で、自分たちなりの距離感でずっと持ち続けてきたバンドなのだと思う。


さいごに ―― 温故から知新へ


ここまで書いてきた通り、アジカンの後ろには洋楽ロックが強くある。

Weezerのパワーポップ。
Oasisのロックンロール。
The Beatlesのアルバム観。
ロックと社会との関係。

この記事に紹介したのはほんの一部に過ぎないと思う。
でも、アジカンはそれらを単純に足し算してできたバンドではない。

むしろ、面白いのはここからだ。

洋楽ロックをはじめ、様々な音楽のエッセンスを大量に吸収しながらも、


日本語だからこそできる歌詞。
日本語だからこそ生まれるリズムや韻。
日本のライブハウス文化のなかで育ったグルーヴ。


そうした「プラスアルファ」を積み重ねた結果、ASIAN KUNG-FU GENERATIONという、どこにもいないバンドになっていった。

だから、アジカンを単なる「洋楽に影響を受けた日本のギターロックバンド」だとは思っていない。

それらを一度自分たちの中に取り込み、日本語という言語と、日本のロックシーンという土壌を通して鳴らし直して、その後のシーンに大きな影響を与えた。

次回の「知新編」では、洋楽から受け取ったものを、アジカンがどう日本語ロックへ変換していったのか。

そして、なぜ最終的に「アジカンにしか聴こえないサウンド」になったのか。

その唯一無二さについて、もう少し掘ってみたい。

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