見出し画像

時間をかけた赤/アメリカンチェリーのティラミス🍒

最初は、
チョコレートをどう削ろうかと考えていました。

細く削るのか、
少し大きく残すのか。

不揃いに散らした方が、
このティラミスらしい気がして、
何度も削っては並べ替えていました。

そのときはまだ、
「どんな景色になるだろう。」
そんなことばかり考えていた気がします。

ピーラーと抜き型で。
🍒
みんな、揃った。



ティラミスは、
最初から崩れるお菓子です。

だから今回も、
器へ盛り付けるときには、
スプーンでそっと掬いました。

でも不思議なことに、

「壊している」

という感覚はありませんでした。

どちらかというと、

最後の景色を思い浮かべながら、
スプーンを入れていました。

どこを一緒に掬ったら、
チェリーも、
クリームも、
ココアシートも、

最後のひと匙まで、
きれいな景色になるだろう。

そんなことを考えながら。

そっと、掬い上げて。
ひと匙ずつ、違う景色が生まれる。



そのあと、
偶然目にした橋の記事を読みました。

そこには、

現代の橋は、
「壊れない橋」を目指しているのではなく、

大切なものを守るために、
壊れる場所まで設計することがある。


そんなことが書かれていました。

最初は、
「壊れ方を設計する橋」

という言葉が面白くて読み始めたのですが、

読み進めるうちに、
本当に設計していたのは、

壊れることではなく、

何を守るか。

だったことに気づきました。

守るための設計。



例えば橋には、

「ヒューズ」

のような役割を持つ部品があるそうです。

巨大な地震が起きたとき、

橋全体が壊れてしまわないように、

あえて特定の部品だけが先に壊れる。

それは、

弱い部品ではなく、

一番大切なものを守るために、
役割を持って設計された場所でした。



その考え方を知ったとき、

ふと、
自分がティラミスを掬っていた感覚と重なりました。

私は、
ティラミスを崩したかったわけではありません。

最後まで、そのお菓子らしさを残したかった。

最後のひと匙まで、
その人だけの景色が生まれるように、
どこで切り離すかを考えていました。

崩れることは、

終わりではなく、

次の景色が生まれる瞬間だったのです。



人も同じなのかもしれません。

今まで私は、

「強くならなきゃ。」

そんなふうに思って生きてきました。

でも橋は、

強くなることよりも、

守りたいものを守れるように設計していました。

壊れないことではなく、

壊れても、

大切なものは残せるように。



このティラミスを作りながら、

私はもう一つのことにも気づきました。

私が作りたかったのは、

お菓子そのものではなく、

立ち止まれる時間だったのかもしれません。

カフェで過ごす時間が好きなのも、

きっと同じ理由です。

コーヒーを飲んで、

お菓子をひと口食べて、

少しだけ息をつく。

その数分で、

「私は何を大切にしたいんだろう。」

そんなことを思い出せることがあります。



最近は、

そんな時間は、

お店だけじゃなくても生まれるのかもしれないと思うようになりました。

一枚の写真でも、

一つのお菓子でも、

一篇の文章でも。

誰かが少しだけ立ち止まり、

自分の心の声を聞ける時間。

そんなあわいを作れたら。

答えが出るまで、少し、ここで休んで。



私は、

お菓子と言葉をつなぐ

小さなヒューズのような人でありたい。

答えを渡すのではなく、

立ち止まって、

自分を思い出せる時間を、

そっと灯せるような。

その時間が、
また誰かが自分の大切なものを思い出すきっかけになれたら。

最後のひと口は、あなたの景色なりますように。

Protect what matters.
Let the rest change.


大切なものは守る。

あとは、変わってもいい。
.
.
.

以前、「強くならなくても、生きていく練習」という文章を書きました。
あのとき考えていたことの続きを、少し違う場所から見つけたような気がしています。


-写真は全て筆者撮影-

いいなと思ったら応援しよう!