ラベルをつけられて、むしろ安心するとき。
ラベリングされるのって、イヤですよね。
「女だから」 「若者だから」 「ひきこもりだから」
だから、あなたはそんな風なんだ。
それがポジティブな文脈でも、嬉しくない時があります。
例えば、
「女性はやっぱり細かいところに気がつくねぇ」
昔は年配の方からよく言われましたが、あんまり、嬉しくありません。
私が努力して「気づいて」いることを、「女性」という理由で片づけられると、私個人の能力や努力を否定されている気持ちになります。
「若者の発想力で、アイディア出して」
これもあまり嬉しくはありませんでした。
若いから発想力があるのかどうか、今以上に年を取ったことがないので分かりません。けれど、発想力に関しては個人差が大きいはずです。「若さ」という言葉で期待されても、困ってしまいます。
あるいは、デパートの食品売り場をウロウロしていたら、「お母さん、ちょっと見ていって」と干物売りの女性に声をかけられました。
これもまた、微妙な気持ちになります。
「お母さん」が悪いと言ってるんじゃないんですよ。
でも、私には子どもがいませんから、なんで「お母さん」だと思われたのか、分かりません。
もっと年配の女性に慣習的に「お母さん」と声をかける風習があるのは知っているのですが、私はそういう年齢ではありませんし、疑問で頭がいっぱいになります。
でも、逆に「ラベル」がないと、いつまでも「私って何者なんだろう」とか、「どうして私はこうなんだろう」と不安になってしまうことがあると思うんです。
私はHSPではありませんが、フォロワーさんにはHSPを自認されている方が多い気がしています。
HSPの方が、しばしば「HSPという名前があって良かった。安心した。一人じゃないと思えた」とおっしゃっているのを目にする機会があります。
「HSP」というラベルを見つけて、安心できたというご経験があるのですね。
HSPは医学的に正式に採用された疾患名ではありません。
でも、私の個人的な経験では、もしかしたら疾患も同じかもしれないと思いました。
なんだか調子が悪くて、ずっと落ち込んでいる。
「適応障害」とか「うつ」とか「双極性障害」といった言葉を当てはめられると、色んな気持ちが心の中を通り過ぎていきます。
もちろんショックはあります。
けれど、「ああ、私は病気だったんだ」「私がおかしいのではなく、病気のせいなんだ」と、逆に安心感を覚える気持ちも、確かにあります。
「原因不明の謎の病気」ほど怖いものはありませんから……。
発達障害も、もしかしたらそんな側面があるかもしれません。
昔、友人が「私はADHDなんでしょうか」と、医師に問いかけたそうです。
その当時、ADHDや発達障害という言葉が人口に膾炙し始めた頃だったんですね。
友人は、生きづらさを不安に思い、それを解消したいから聞いたんだと思います。
でも、医師は怒りました。
「あなたもそんな風に言う。自分でそうだと思っているなら、そう思っていればいいじゃない」
冷たい言葉に感じます。
恐らく、当時、医師に同じことを聞く人が増えていたのでしょう。
ADHDの実態よりも、言葉のイメージだけが先行していくことに、医師として忸怩たる思いもあったのでしょう。
事情はあったと思うのですが、ラベリングで安心する人がいるなら、きちんと話を聞いて、検査して、「あなたはそうだろう」「そうじゃないだろう」と判断してあげるのも、医療の大切な役割ではないかと私は思います。
こんな風に、「ラベリング」が悪いというより、「ラベリング」には功罪があって、白黒では分けられないというのが、現実かもしれません。
けれど、たいてい、「自分が納得できないラベリング」だけは、良い思いがしない場合が多い気はします。
あなたは、「ラベリング」を人にしてみたり、自分への「ラベリング」で安心した経験がありますか?
私自身も、自分の経験から、ついつい「医師っていつも…」といったラベリングをしてしまいそうになります。そのたびに、「でも、医師にも色んな事情があり、謙虚な医師もいるはずだ」と思い直しています。
私個人が目の前で起きて、観測できることには、限りがあります。
だから、偏ってしまうことがある。
きっと、それだけなんですよね。
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