【日常エッセイ】上野さんぽ②─噴水広場に集う人生たち
こちらの記事は
【日常エッセイ】上野さんぽ①─背の低い緑に囲まれたのはいつ以来か
の続きです。
背の低い緑に囲まれたトンネルのような空間を抜け、公園の奥にあるボート池に辿り着いた。池の周りの整備された道を、反時計回りに1周することにした。
4分の1ほど進んだところで、体の右側から生き物の発する甲高い声が響き、耳の奥を刺激した。柵の向こう側が上野動物園になっており、どうやら鳥類のエリアのようだった。姿こそ見えなかったものの、不気味な声とよく晴れた空は少しミスマッチな気がした。
左側に顔を向けると、池の上には白やピンクや青のスワンボートが所狭しと群がっていて、本当に白鳥の群れを見ているみたいだった。ボートに乗る者たちの余裕は、白鳥の優雅な姿に少し似ていた。

この日、上野公園にやってきた裏テーマは「自然の中で読書をすること」だった。一通り公園を見回って理解したが、ここには色々な世界がある。結果的に、目的を遂行するには適した場所だったと思う。
イベントが行われている白いテントに囲まれた世界。ショートケーキのいちごようなチューリップに囲まれた、時々その中心から水が噴き上がる世界。背の低い緑に囲まれた世界。カラフルな白鳥たちが優雅に泳ぐ世界──。
その中で僕が戻ってきたのは、噴水広場だった。
水が張ったグレーの囲いの外側にあるベンチに腰をかけ、天に向かって高く伸びる噴水を見つめながら、バッグから取り出した文庫本のページを開いた。

日差しから逃れられるような場所はすでに誰かの陣地となり、僕は太陽の攻撃を肉体で浴びることを余儀なくされた。鬼滅の刃に登場する鬼のように、日陰を探して逃げ出したくなるような場所だった。
そんな場所で僕は文庫本の世界に入り込みながら、時折、周囲に集う人生の影を感じていた。噴水から届く水の飛沫が、現実世界との接点を感じさせるように、通り過ぎていく人生の数々が生を実感させた。
僕のすぐ横に3人組の女性がやってきて腰をかけた。小さなバッグからは鉛筆と、手帳ほどのサイズのスケッチブックを取り出し、白いキャンバスを目掛けてパラパラと紙をめくる。
僕が視界に捉える世界を文字によって切り取っているように、彼女たちはスケッチによって世界を切り取ろうとしているようだった。
改札を抜けた時に東京文化会館の扉から漏れ出していた“文化”の気配は、ここまで届いているのだなと思って、なぜだか安らぎを感じた。
少し時間が経つと、鉛筆をシャカシャカと動かす彼女たちの元に別の女性が近づいてきて、声をかけていた。
左耳になるべく意識を集中させて会話を聞き取ると、どうやら新たに近づいてきた女性は知り合いなどではないらしく、イラストの練習をするため彼女たちにモデルになって欲しいと頼んでいるようだった。
風景をスケッチする彼女たちをモデルに、イラストを描かせて欲しいとお願いする4人目の女性。見知らぬ人と人の人生が交差して、“文化”の連鎖が生まれたその瞬間、何か歴史的な発見をしたような晴れやかさを心に感じた。
3人組は頼みを了承したらしく、噴水の方を向いて風景をスケッチする彼女たちの正面に、4人目の女性があぐらをかいて地面に座った。顔をスケッチするため、身体の方向は3人組の方に向けており、地面に直接座っていたためアングルは低かった。
その後も僕の意識は手の中にある文庫本に、左耳だけは彼女たちの会話に向けられていた。
どうやら3人組はすでに社会人で、企業でパッケージデザインなどの仕事をしているらしく、スケッチは趣味で行っているのだという。
一方で4人目の彼女は学生のようで、イラストの勉強中とのこと。将来はイラストレーターを目指しているらしい。
年代は違って、でもどこかに共通項がある人々が、噴水を囲んで人生を交差させているその瞬間に、僕の気分は高揚した。
「この場所には人生が集う」
そう確信した僕は文庫本を片手に、時折顔を上げながら、その度に人生を目の当たりにした。
制服を着た学生たちが噴水の前で写真を撮り、「集合時間までまだ時間があるからゆっくり行こう」と男子をコントロールする女子。
階段の段差に腰掛ける男性が連れる小さな犬に興味津々といった様子で近寄る、犬のちょうど倍くらいの小さな男の子。
体を乗り出して水をパシャパシャとてで弾く女の子と、それを心配そうに、いつでも手を差し出せるという様子で見つめる母親。
美しい「人生」たちがそこにあった。
その空間に触れながら読書をした僕の両腕は、日差しによる攻撃を痛いほど喰らっていた。ページを開き続ける右の腕は裏側が、ページをめくる準備をする左の腕は外側が、それぞれ赤く染まっていた。
僕もまた、美しい「人生」の一部であることを実感した。
