押井守「天使のたまご」は名作か?迷作か?
今回は、押井守監督作「天使のたまご」について少し語ってみたい。
なぜ、これを今さら取り上げるのかというと、今年11月に4Kリマスター版が劇場公開されるという話だから。
どうやら、今年が公開40周年ということらしい。
・・そう、これって40年も前の作品なんだよね。
「天使のたまご」

よくこれを劇場用映画だと誤解してる人もいるんだが、実はそうではない。
1985年に販売されたOVAである。
80年代、「ビューティフルドリーマー」で一躍時代の寵児扱いをされて調子こいてた若き日の押井さんが、前作「ビューティフルドリーマー」より更にワンランク上の「俺の本気」を見せてやる、みたいな意気込みだった作品がこれなのよ。
この頃の押井さんはテレビアニメ「うる星やつら」降板(←色々あったとも聞く)とともにスタジオぴえろを退社。
フリーになって居場所がないもんだから、宮崎駿の事務所(二馬力)に居候してたという。
ただ、この点が少し疑問ではある。
この頃の押井さんは確か妻帯者だというのに、この浪人/居候時代に奥さんは一体どういう扱いになってたんだ?
・・実は彼、家庭人としては超サイテー男(笑)?
で、一説によるとこの「天使のたまご」は師匠/宮崎駿に「どや!」と実力を見せつけることを最大の目的にしてたという話で(巨匠はそれまで押井作品をほとんど褒めてなかったらしい)、OVAとはいえ、とにかく渾身のチカラを込めて作った力作だったらしいのよ。
しかし、その肝心の巨匠が「天使のたまご」を見て、
「よくこんなものを作れた。
あなたはアタマがおかしい」

と辛辣な言葉を直接押井さんにかけてきたという(笑)。
・・いや、これはあくまで押井さんが言ってることだし、必ずしも真実とは限らんよ?
この人、結構話を盛っちゃうタイプだから。
だけど総じてあまり評判がよくなかったのは事実で(ごく一部に絶賛する人もいたんだけどね)、その後数年間、押井さんへの仕事のオファーは今までが嘘のように途絶えたという・・(笑)。

・・じゃ、押井さん自身が本作を失敗作だと総括してるのかというと、実はそうでもない。
いや、それどころか、
「これから先、巧い映画を作ることはできても『天使のたまご』を超えることはできない」
「言ってしまえば僕の倉庫のような作品であり、好き嫌いを超えた特別な作品です。実際、時々意識的に引っ張ってはアレンジしています」

とまで述べ、つまり事実上「自分の最高傑作」と言わんばかりの自画自賛をしてるのよ(笑)。
また、彼はこうも言っている。
「『天使のたまご』を作ったらアート扱いされて干されたけど、『機動警察パトレイバー』を作ったら、大衆的で周囲が応援してくれた。
ほんのわずかな違いしかなくて、やってることは両方とも聖書のアナロジーなのに」


どうやら、押井さんのこれまでの作品の多くは「天使のたまご」のリテイクというニュアンスがあるらしく、ようするにそれらは皆「聖書のアナロジー(ある事柄をもとにして他の事柄を推し量る思考方法)」である、と。
・・言われてみりゃ、確かにそんな気もするんだよな。
「天使のたまご」さえ読み解ければ、あとの押井作品を読み解くのは造作もないことなのかもしれん。
で、この作品の制作手伝いとしてガイナックスから駆け付けたのが、他でもなくこの御二人なんですよ↓↓
庵野秀明

貞本義行

庵野&貞本。
そう、この10年後に「エヴァンゲリオン」制作の中核になったコンビですよね。
そして皆さんもご存じの通り、このコンビが「エヴァ」でやっていたことも他ならぬ「聖書のアナロジー」である。


ちなみに庵野さんはあまりの激務に2週間で離脱したらしいんだが、一方で貞本さんは最後まで制作に携わり、天野喜孝さんの仕事にめちゃくちゃ影響を受けたそうだ。
・・ここで、皆さんは疑問を感じません?
なぜ「エヴァ」に対してはあれほど世間が湧いたのに、その類似ともいえる「天使のたまご」には皆あれほどにスルーだったのか、と。
だって、
・キリスト教(旧約聖書)がモチーフ
・圧倒的な画力で魅せ、言葉では全てを語らない演出
という部分では、両作品は完全に同一なんですよ。
・・まぁ、「バトルシーンの有無」や「美少女の有無」というのがポイントだったんでしょうねぇ。
あとは、<時代>である。
かたやバブル時代初期の頃の作品、かたやバブル崩壊後の作品
この取り巻く環境の差は、やはり大きかっただろう。
つまり「天使のたまご」は、ほんの少しだけリリースが早すぎたのかと。



この「天使のたまご」のビジュアルイメージ↑↑は、私の中ではどうしても「ベルセルク」の<蝕>とカブるんだよ。


確かこのへんの<蝕>の連載が90年代だったと思うので、「天使のたまご」もあと数年待てば、世間の受け入れ態勢が整っていたのでは・・?
あと、デヴィッドリンチ。
リンチも、80年代当時から本国では十分に名を馳せてたんだが、ぶっちゃけ日本では「知る人ぞ知る」的な扱いだったと思う。

その彼も、90年代には「ツインピークス」効果から日本でも大人気の監督になったわけで・・。
ようは、こういうのってタイミング、時代の空気次第なんですよ。
ただし、例外的に80年代から既にこういう「??」系の作品が日本でも受け入れられていたジャンルが、実はひとつあったんです。
それが純文学の世界だね。
・・そう、村上春樹さ。
「世界の終りとハードボイルドワンダーランド」(1985年)

正直いって、「世界の終り~」と「天使のたまご」は構造がめっちゃ似てるんだよね。
じゃ、どちらかがどちらかの影響を受けたのかといえば多分それはなく、
「世界の終り~」⇒1985年6月出版
「天使のたまご」⇒1985年12月リリース
という感じにほぼ同時期に世に出てる為、お互いに影響を受けようがないんですよ。
だというのに、
・どちらも、ツジツマの合わない不条理な描写が時々挿入される
・どちらも、この舞台が「閉ざされたセカイ」であることが終盤で明かされる
・どちらも物語の構造に、現実と虚構が入り混じっていること(全ての描写が現実というわけではない、ということ)が終盤で明かされる

という感じで、プロットが異様なほどに酷似している。
まぁ、村上春樹(1949年生まれ)と押井守(1951年生まれ)は意外と世代が近いですからね。
見てきたもの、経験してきたことも多くがカブるんでしょう。
ある意味、「世界の終り~」を読んでおけば「天使のたまご」を読み解けるし、逆に「天使のたまご」を見ておけば「世界の終り~」を読み解ける、という一種の補完関係のようなものすらあると思う。

ちなみにだが、80年代当時「天使のたまご」は不発だった一方で、「世界の終り~」の方は、ちゃんと世間から評価されてたんですよ(笑)。
う~む、不平等だなぁ~。
・・じゃ、「世界の終り~」のファンが「天使のたまご」を見て評価をしてくれることはなかったのか?と思うだろうが、いやいや、ここでひとつ大事なことを理解しておいてください。
80年代当時、村上春樹読んでた人たちは「ポストモダン」を自称するような輩ばかりであり、
ぶっちゃけ、ポストモダンの奴らはアニメとか見るような人種じゃなかったのよww

80年代当時のアニメの立ち位置というのを、あまり今と同じ感覚で捉えないでおくれ。
当時のアニメは、どっちかっつーと「うる星やつら」「Dr.スランプ」などが主軸で、ぶっちゃけあのジブリですら興行収入はイマイチという時代だったんだから。
たとえば興収が「ナウシカ」14億、「ラピュタ」11億、「トトロ」11億。
ちゃんとヒットしたのは1989年「魔女の宅急便」(43億)からだよ?
よく考えりゃ、そういう時代に「天使のたまご」は確かに早すぎた・・。
・・でもね、あの宮崎駿が「アタマがおかしい」と言った1985年から数十年が経過し、ここにきて驚くような事態が起きてるんですよ。
だってさぁ、
巨匠の最新作、思いっきり「天使のたまご」的(村上春樹的)な世界観じゃありませんでしたか?


だからね、これは勝手な私の憶測なんだが、今なら巨匠も「天使のたまご」を評価してくれる気がしなくもないのよ。
宮崎駿1941年生まれ⇒安保闘争世代、イデオロギーの世代
押井守1951年生まれ⇒シラケ世代、非イデオロギーの世代
この世代ギャップ10年というのは、まぁ確かに大きいのは事実である。
押井さんはイデオロギーの見えない人で、草薙を体制側の主人公に据えつつも全くもって右翼的でなく、あっさり国家を捨てて電脳世界に逃避しちゃうような作劇をする人だ。
確か、「パトレイバー」でも後藤隊長は警察辞めて消息不明になっちゃうというオチだったよな?
どちらかというと「右」でも「左」でもない、「エスケイプ」を描く作家性であり、そこは村上春樹にかなり近い。
そこは「ビューティフルドリーマー」も、「天使のたまご」も同じく。

うむ、<時代>がだんだん押井さんにフィットしてきたんだよね。
それは巨匠の感覚も同様に、少しずつだが押井さんを理解できるところまできてると思うのよ。
そのうち、「あの時はゴメン」とか言ってくるかも(笑)。
多分だが、今年の「天使のたまご」全国ロードショーはそこそこ観客が入るんじゃない?
だって、デカいスクリーンであれを見られる機会は貴重だし。
皆さんも機会があれば是非見にいってほしいけど、ただ初見の人は確実に「はぁ?」となるだろうし、これはあらかじめ予習しておいた方がいい案件だよ。
確かこれはサブスクの配信はないものの、「DAYLYMOTION」というサイトには無料動画がアーカイブされてたはずだし(Angels Eggで検索)、そっちでまずは予習の上、万全の状態で劇場に足をお運びください。

