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私が「教えてあげて」の一言で動けなかった、本当の理由

「教えてあげて」が、いちばん難しい。

教えること自体は、きらいじゃない。
できるようになったと喜ばれるのが、うれしいから。

それなのに、どうしても気が進まない時がある。
気分に左右されるのはいけない、と思っていました。

でも、ちがったんです。

会社内でのすれ違いの話、完結編です。

▼ 前回はこちら


そういえば、これとよく似たことが、
別の場面でもありました。
書類処理とはまた別の作業マニュアルを、
Aさんに渡したときのことです。

「わからないことがあったら、
どこで詰まったか教えてくださいね」
そう添えて、渡しました。

でも、なかなか反応がない。
返ってくるのは「◯◯ができませんでした」
という、ひと言くらい。

できなかった、と言われても、
どこで詰まったのかが見えてこない。
結局、対面でこちらから一つひとつ聞き出して、
やっと躓いていた場所がわかる。

その繰り返しのなかで、
ある違和感が育っていきました。

たぶん彼は、積極的に学びたいわけじゃない。

目の前の業務に関係のないマニュアルを渡されて、
どこで詰まったかを、なぜか細かく聞かれて、
ちょっと、困っている。

そう考えると、いろんなことが腑に落ちました。

そして気づいたんです。
教えるには、土台がいる、と。

ひとつは、本人が「やりたい」と思っていること。
もうひとつは、上司から「これをやってもらう」
と、ちゃんと指示が出ていること。

この2つがそろって初めて、
私は安心して教えにいけます。
本人が待っていて、
上司の後ろ盾もある場所に、教えにいく。
これなら、押し付けにならない。

でも、今回はそのどちらも、なかった。

Aさん本人が「やりたい」と言ったわけじゃない。
私に「教えて」と、
はっきり指示が出たわけでもない。

ただ「2人で」という言葉だけが、
宙に浮いていた。

土台のないところに教えにいくと、どうなるか。

どんなに親切に教えても、相手にとっては
「頼んでもいないのに、口を出してくる人」
になってしまう。

中身は善意でも、
構造が「勝手に来た」になっている。

これ、こわいんです。

若い人に何かを教えるのは、
本当はとても良いこと。

でもそれは、本人の意思と、
上司の指示という土台があって、
はじめて成り立つ。

土台がないまま乗せられると、教える側だけが、
嫌われ役を引き受けることになる。

だから、すぐには動かないことにしました。

本人が、それを望んでいるか。
上司が、ちゃんと伝えているか。

整っていないなら、整えるところからお願いする。
それは、わがままでも、逃げでもありません。

そしてもうひとつ、思ったんです。

土台のないまま「やってみて」と言われて、
うまく動けなかったAさんは、
きっと、わたしと同じように、
戸惑っていただけなのかもしれない。

飲み込みが悪いわけでも、
やる気がないわけでもなく。
ただ、土台が、なかった。

そう思えたとき、ふしぎと、
もやもやが少しほどけました。

すれ違いの正体は、たぶん、誰のせいでもなかったんですよね。


▼最初の話はこちらから。

▼ 見出し画像は、自作GPTの「永野式サムネメーカー2.0」で制作しています。

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また次のnoteで、お会いしましょう。

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