空白の20年を抱えて、50歳の同窓会に行ってきた話
同窓会の前日、私は服を買いに走りました。
残業が続いていた時期で、気づいたら、
着ていける服がなかったんです。
仕事帰りに駆け込んだお店で、鏡の前に立って、
本気で悩みました。
50歳の同窓会に着ていく服って、
どんな服なんだろう。
若作りに見えても、嫌だ。
老け込んで見えるのは、もっと嫌だ。
いま思えば、あのとき悩んでいたのは、
服のことじゃなかった気がします。
どんな自分として、あの場所に現れるか。
それを、決めかねていたんだと思います。
こんにちは、永野ヨウです。
48歳で長期ブランクの主婦から再就職した、とあるJTC勤め。
50代・氷河期世代の視点から、あなたの発信をラクにするヒントを発信しています。
50歳の同窓会
この話は、少し前にさかのぼります。
50歳になる年を記念して、
学年全体に声がかかった、大きな同窓会。
退任された先生たちも、招かれました。
会場は、大手町の高層ビルにある瀟洒なホール。
進学校だったこともあって、
会場には、社長や医師が、ちらほら。
名刺交換の輪が、あちこちにできていました。

ざわついた瞬間
心がざわついたのは、
肩書きそのものじゃありませんでした。
授業中に悪ふざけばかりしていた、あの男子。
先生に怒られてばかりいた、あの子。
その彼が、
誰もが知る会社の役職者になっていたり。
あるいは、医師になっていたり。
「えっ、あの子が?」という驚きのすぐあとに、
別の感情が来ました。
みんな、それぞれの50年を、
ちゃんと積み重ねている。
その「ちゃんと」が、胸に刺さったんです。

私の50年には、空白がある
私はそのとき、再就職して2年でした。
体調を崩して、長いあいだ、
働くことから離れていた時期があります。
そこから、職業訓練校を経て、
たまたま「都内勤務の会社員」という
ラベルを手に入れた。
だから、行けたんです。
「いまは、会社員をしています」と、
ひとこと言える現在があったから。
もし、そうじゃなかったら。
正直、行くのを躊躇したかもしれません。
でも──行けたからといって、
誇らしかったわけではありませんでした。
みんなが積み重ねてきた50年の横に、
私の、消せない空白の20年がある。
そのことを、あの華やかなホールで、
静かに思い知らされた気がして。
恥じ入るような気持ちが、確かに、ありました。
私は、誰と比べていたのか
帰り道、考えました。
私は、あの場で、
誰と比べてざわついたんだろう。
社長になった彼? 医師になった彼?
たぶん、違うんです。
私が比べていたのは、同級生じゃなくて。
「空白がなければ、こうなれたはずの自分」
でした。
「あの人すごいな」の奥に、
「私は、何をしてたんだろう」がいる。
ざわつきの正体は、嫉妬でも、
劣等感でもなくて。
過去の自分への、
やり場のない問いかけだったんだと思います。

心がざわつくのは、終わっていないから
でも、最近、こう思うようになりました。
もし私が、
自分の人生にすっかり満足していたら。
あるいは、すっかり諦めていたら。
あの日、ざわついただろうか。
たぶん、むしろ穏やかにいられたと思うんです。
ざわつくのは、
「自分はまだ、何かやれるはずだ」
という声が、自分の中に残っているから。
ざわつきは、まだ終わっていない証拠。
そう考えると、あの夜の落ち着かない気持ちも、
少しだけ、違って見えてきます。
何を語れる自分でいたいか
空白の20年は、消せません。
どれだけ頑張っても、
あの時間が埋まることはない。
でも、これからの時間は、
まだ手の中にあります。
次の同窓会で。
あるいは、偶然の再会で。
「いま、これをやってるんだ」
そのひとことを、自分の言葉で言えたら。
それは、肩書きなんかより、
ずっと強いんじゃないかと思うんです。

同級生の話を聞いて、ざわついたあなたへ
そのざわつきは、
あなたがまだ、終わっていない証拠です。
空白があっても、いい。
遠回りしていても、いい。
次に誰かと会う日のために、
今日から語れる「ひとつ」を、
育てはじめませんか。
永野ヨウ
▼ 30分、あなたのお話をきかせてください。
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きいてほしい話を、そのまま話してくれたら、それでいい。
▼ 「これで変われるかもしれない」、と。
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また次のnoteで、お会いしましょう。

