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忘れたアカウントが教えてくれた「書くこと」の意味

育児の毎日は、あっという間に過ぎていきます。
その「なんでもない日」を書き残しておくことが、未来の自分を支えてくれる。

忘れていたnoteが、
そのことを教えてくれました。


タイムカプセルを開く夜

このアカウントを始めるずっと前に作った、
別のアカウントがあります。

最初の投稿は2014年4月12日
noteというプラットフォームができた5日後です。

実は結構な古参でした。
ただし長らく幽霊会員。

「永野ヨウ」を始めるにあたって、
そういえば昔にもやってたなと、
久しぶりに昔のアカウントを開きました。

そこには、
娘がまだ小さかったころの絵が並んでいました。

2014年、娘が2歳から5歳のころの投稿ですが、
なかには0歳の頃の絵も残っています。
描いたのはほとんどが夜中でした。

生後6ヶ月くらい


昼間に撮った写真をもとに、
静まった部屋で線を引く。
紙に鉛筆で描いた線をスキャンし、
iPadで色をのせる。

添い寝の隣で寝息を聞きながら、
抱っこしたまま体温を感じながら。

そのときの空気まで、
指先が覚えている気がします。

0歳11ヶ月


画面に現れたのは、
絵というよりも「時間」そのもの。

忘れていたアカウントを開くことは、
タイムカプセルを掘り出すような行為でした。

2歳1ヶ月


2歳4ヶ月



続けて描けたわけではありません。
思い出しては描く、飛び飛びの記録。

でも、その空白にも意味がある。
描けなかった日々もまた、
私の時間だったのだと思います。

書き残すことで、時間を取り戻す

育児の真ん中にいると、
毎日が早送りのように過ぎていきます。

朝起きて、ごはんをつくって、
片づけて、寝かしつけて。
今日も何もできなかった、と息をつく。

生産的なことを何もできない自分に、
泣いた日もありました。

でも、本当はその「何もない日」にこそ、
かけがえのない瞬間があったのだと、
今は思います。

2歳5ヶ月


覚えているつもりの匂いも声も、
驚くほど早く薄れていきます。

だから、ほんの一言でもいい。
その日の気配を言葉にしておく。

文字は旧Twitterの鍵アカで、絵はnoteで。
広く発信するためではなく、
自分の記録として残していました。

「書くこと・描くこと」は、自分との対話。
その営みは、時間を少しだけゆるめてくれます。
あの日の私がそうだったように。

2歳6ヶ月


3歳1ヶ月


なんでもない日々を残すということ

特別な出来事を書こうとすると、
続かなくなります。
だから、なんでもない日を書けばいい。

たとえば、
寝ぐずりがひどくて、一緒に泣いた明け方。
カレーを温め直しただけの昼。
ふわふわのタオルで、子どもを受け止めた夜。

それらは、あとで読み返すと
不思議なくらいあたたかい。

写真に短い言葉を添えるだけで、
それはもう立派な記録です。
そんなささやかな証も、いつかは宝物になります。

4歳11ヶ月


未来のあなたへの手紙

忘れていたnoteを見返しながら、
私は少し泣きました。

当時の私の育児生活は、
決して余裕のあるものではなかったのです。

他の子よりゆっくりな発達で、
とにかく寝てくれない娘。
毎日を必死にやりくりしていた私。

未来の自分に託すという気持ちよりも、
好きだった絵を描くこと、
ただ線をひくことで保っていました。

それでも、その絵や短い言葉たちは、
十年後の私を迎えてくれました。
「ちゃんと生きてたよ」と言うように。

4歳11ヶ月

娘は、13歳になりました。
育児の日々はあっという間に過ぎていきます。
けれど、書き残した言葉や絵は、
時間を超えて残ります。

それは未来のあなたへの手紙。

どうか、今日の気持ちを、
ほんの一行でも書いてみてください。

特別な日でなくていい。
なんでもない日の記録こそが、
未来のあなたをそっと支えてくれるはずです。

タイムカプセルはこちらです


枚数は多くありません。
ほとんど今回再掲してしまいましたが、
もしよかったら覗いてみてください。

あなたが何を感じたか、
そっと教えてくれるとうれしいです。

永野ヨウ

この記事を書くにあたり、ログインしたら
11年のコングラボードいただきました

▼ 2026年のわたしについてはこちら

最後までお読みいただき、
ありがとうございました。  

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また次のnoteで、お会いしましょう。

2025.10.23 執筆
2026.8.3 修正

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