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人懐っこくて、あたたかい。メキシコの人たちに教えてもらったこと

「このままでいいのかな」。

会社員として必死に頑張っていた日々。

目の前の仕事をこなし、評価され、給料をもらう。そのサイクルは回っていました。

でも、心のどこかに漠然とした不安がありました。

満たされているはずなのに、何かが違う

その「何か」が何なのか、言葉にできないまま、毎日が過ぎていきました。

でも、あの違和感の正体は、「正確さ」や「効率」を求めすぎて、人間らしい温かさを忘れかけていたことでした。

そのことに気づかせてくれたのが、メキシコでの体験です。

今はフリーランスに転身し、あの頃のストレスは大きく減りました。

振り返れば、あの時の「違和感」がすべての始まりだったのかもしれません。


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🤝 コンパルティールから始まった心の共有

メキシコのホテルで働くおじちゃん

メキシコで最初に出会った言葉。

それが「コンパルティール(compartir)」でした。

あれは、ホテルのレストランで朝食をとろうとしていた時のこと。

大きなパンケーキを夫とシェアして食べたい。でも、スペイン語で「シェアしたい」が言えない。

身振り手振りで必死に伝えようとしていたら、おいちゃんが笑顔でこう言ってくれました。

「そういうときは『コンパルティール』でいいんだよ」

その後も、おいちゃんは「コンパルティ〜〜〜ル」と冗談めかして何度も繰り返してくれました。

その度にわたしたちは笑いあい、言葉が通じなくても心が通じる温かさを感じました。

相手と温度を分かちあう

おいちゃんと笑いあったあの時間は、たまらなく愛しい思い出です。

以来、わたしはおいちゃんを「コンパルティールおじさん」と呼んでいます。

そして、この単語は一生忘れない宝物になりました。

🤝 数字では測れない仕事の手触り

トルタを焼くメキシコのおじちゃん

街を歩いていると、賑やかな屋台が目に入りました。

トルタ(メキシコのサンドイッチ)を焼くおじちゃんが、鼻歌まじりに働いています。

どこから来たの?」とおじちゃんが尋ねてきます。
「日本です」
「えー?日本から?なら、一生懸命作るからね〜」

ニコニコの笑顔で、おじちゃんは鼻歌を歌いながらトルタを作り始めました。隣では息子さんも踊るように手伝っています。

「ハポン(日本)のために肉を焼くよ〜〜」

出来上がりを待つわたしを、おじちゃんは終始楽しませてくれました。

おちゃめで、温かくて、今も良い思い出として心に残っています。

誰かのために働く喜び

おじちゃんは、誰かのために心を込めて働くことの純粋な喜びを、全身で表現していました。

そんなおじちゃんから学んだのは、働くことの「手触り」です。

数字では測れないけれど、確かに存在する何か。

メキシコの人たちは、それを知っていました。

🤝 おばあちゃん家族との食卓

メキシコで出会ったおばあちゃんと家族

Airbnbでお世話になったおばあちゃんが、ある日こう言いました。

「今夜、うちの家族と夕食を一緒にどう?あなたはスペイン語を勉強しているでしょう?練習になるわよ」

見ず知らずの旅行者を、家族の輪に招いてくれる。

それだけでも驚きだったのに、おばあちゃんは時間をかけて家庭料理を用意してくれていました。

食卓を囲むと、娘さんも、わたしのたどたどしいスペイン語に耳を傾けてくれました。

間違えても笑わず、ゆっくりと待ってくれる。「もっと話して」と促してくれる。

圧倒的な肯定感


おばあちゃん家族との食卓には、「効率的なコミュニケーション」ではなく、圧倒的な肯定感だけがありました。

あなたがここにいることが嬉しい。あなたの言葉を聞きたい。

そんなメッセージが、温かい料理と笑顔から伝わってくるようでした。

たどたどしい言葉に耳を傾けてもらえることの幸福。

それは、わたしが日本で忘れかけていた感覚だったように思います。

🤝 サンファンチャムラで祈りの静寂に触れて

サンファンチャムラの教会

サンクリストバル・デ・ラス・カサスから車で30分ほど。

サンファンチャムラという小さな村に、独特の儀式があると聞いて訪れました。

教会に足を踏み入れると、そこには言葉を失うような光景が広がっていました。

床一面にキャンドルが灯され、松の葉が敷き詰められています。

人々はコーラのボトルを手に、真剣に祈りを捧げています。生贄の鶏。土着の信仰とカトリックが混ざりあった、独特の世界。

わたしには、彼らほど熱烈な信仰心はありません。神を強く信じているわけでもありません。

でも、あの空間で祈る人々の姿を見て、胸がジーンとしたのを覚えています。

信じるものがある暮らし

日本では、「生きていく力」は自分の中から絞り出すもの。頑張って、努力して、自分を奮い立たせる。

でも、メキシコの人たちは違います。

信じるものが軸にある暮らし。それは、言葉では説明しきれない「生きていく力」を与えているように見えました。

何を信じるか、は人それぞれです。

でも、何かを信じることで得られる安心感や強さ。

それを目の当たりにして、わたしは自分の生き方を少し見つめ直しました。

🤝 あの日、メキシコで拾ったものを今も抱えて

メキシコで触れたのは、マニュアル化できない「人間臭い温かさ」でした。

コンパルティールおじさんの笑顔。トルタ屋さんの鼻歌。おばあちゃん家族の食卓。サンファンチャムラの祈り。

それらは、効率や生産性では測れません。

でも、確かにわたしの心を動かし、今もわたしの中に生きています。

「このままでいいのかな」と立ち止まりそうなあなたへ

正解は言葉の中ではなく、誰かと笑い合ったり、一生懸命祈ったりする、その「手触り」の中にあるのかもしれません。

皆さんも、自分だけの「言葉にならない体験」を探しに行ってみませんか?

それは遠い国である必要はありません。もしかしたら、すぐ近くにあるかもしれません。

大切なのは、心を開いて、その手触りを感じようとすることだけです。

わたしは今も、あの時もらった「コンパルティール」の精神を大切に、この経験を発信し続けたいと思っています。

なぜなら、言葉にならない体験こそ、誰かと分かちあう価値があるから!

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