白馬の耳に風は吹かない
「旅行気分とスカートの裾は引きずるな」
これ、人生の鉄則。
え?
聞いたことない?
…ですよね。
だって、たった今私が言い出したのだから。
はい。
月曜日の丑三つ時、私は自宅の布団の上でプツンプツンと耳抜きを試みている。
「おお…寒。さすが白馬、8月でも寒い…んー…朝ごはんはクロワッサン、いや、ミルクパンもいいな…」
ガバッと起き上がると自宅である。
室温は何者かがエアコンの温度を白馬モードに設定しただけだった。
そっと東京の温度に戻した。
当然朝食はビュッフェではない。
クロワッサンもミルクパンもない。
あと3時間もしたら冷凍ご飯をピピっと解凍して、
しなびたナスで味噌汁を作る。
シェフではなく私が。
私が夢と現実を行ったり来たりしている間に
お化けもすっかり
「こいつダメだわ」
とか言って帰っていったと思う。
私自身は金曜の夜、東京に帰ってきた。
しかし、左耳は白馬村に向け再度旅立って行った。
どうも高速道路に乗ってトンネルを通過したらしい。
そんなわけで耳抜きを試みていたのだ。
聴こえない左耳と、寒過ぎる部屋にまんまと騙され旅行気分を強制的に引きずることとなった。
今から汚いことを言う。
食事中の方はご注意願いたい。
結論から言うと、
“耳垢栓塞”である。
簡単にいうと、通行止めである。
音が車だとすれば、耳垢が土砂崩れ後の土砂みたいなもの。
こりゃあまずい。
顔面がくすむとか言って耳鼻科キャンセル界隈している場合ではない。
しかしながら院長の顔色が悪いいつもの耳鼻科は
新盆でも旧盆でもなく謎盆の今、休診中である。
よって
くすみたくてもくすめないし、私の耳トンネルの掘削工事は対応不可なのだ。
↑
一歩踏み入れただけで顔色が悪くなる耳鼻科の話。
院長ももれなく顔色がお悪い。
とはいえ、確実にくすむことが約束されている顔色の悪い院長のクリニックの再開を待てない程度には音が渋滞しているので
一刻も早く開通させたい。
というわけで、意を決して自宅といつもの耳鼻科のちょうど中間地点にある耳鼻科に行ってきた。
いやいや、家から近いところに耳鼻科あるなら何ではなからそこをかかりつけにしないんだよ。
という至極ごもっともなつっこみがね、
書いている時点で聞こえてくるんですよ。
でも聞いてくれ。
耳の穴かっぽじってよく聞いてくれ。
自宅から徒歩5分圏内の人に
“クソほど耳垢詰まってやがるぜ”
とか
“あいつの耳垢の性状は●●”
とか
“外耳に炎症起きてた”
とか把握されてるの、なんだか小っ恥ずかしいじゃろ。
だからあえて、徒歩10分の方をかかりつけにしたわけだ。
とまあそんなこんなで徒歩5分圏内の耳鼻科に意を決して行ってきた。
耳鼻科ってのは必ず5段の階段を設置しないといけない義務でもあるのかというくらい、必ず階段、それも5段が設置されている。
子どもの頃1週間に1回は通っていた(気がする)耳鼻科も、顔がくすむ耳鼻科も、急遽旅先で駆け込んだ耳鼻科も、全部5段の階段を昇らないと診察してもらえないし、5段の階段を下らないと帰路につかせてもらえなかった。
とはいえこの5段を踏みしめるように昇る間に診察室のイメージトレーニングに励む。
「耳鼻科の価値は、ファーストコンタクトで決まると言っても過言ではない!いざ、参る!」
とふるカフェを訪れる某インフルエンサーの如く、ふる耳鼻科のドアを開けた。
入ってすぐ左手に、
幼少期心を踊らせた無限スリッパマシンがある。
アラウンドサーティ、ドキドキワクワクである。
嬉々としてボタンを押してスリッパを取り出した。
幼少期、押させてもらえなかったあの白いボタンを…!
ポチッ
ウィーーーーーーーーーーーーン…
シュタッ
出てきたァァァァア!!!
受付の方に
「よかったね、出たね〜!」
と4歳児向け口調で話しかけられ、
完全に気持ちはこの後保育園で給食を食べる人になっていた。
そんな偽造4歳児は、出たてホヤホヤのスリッパに足を突っ込む。
マセガキが
「大きくないもん、ちょうどいいもん」とかなんとか言い張って
大人用スリッパを履いているくらい不恰好だがそんなことはお構いなしだ。
すまし顔で保険証を取り出そうとしたら
関係のないクリニックの診察券を面識のない男性に提示してしまった。
…すっ飛び診察券を回収していただき誠にありがとうございます。
ドバドバでるタイプのボールペンで問診票に記入していく。
…ん?
手がくすんでいる。
ボールペンの持ち手がオレンジ色だ。
目の前に鏡がある。
…ん?
顔がくすんでいる。
背後のカーテンがオレンジ色だ。
あれ、診察室のドアが…
オレンジ色だ。
…耳鼻科ってテーマカラー、オレンジなの?
それとも、耳鼻科医ってディック・ブルーナ氏リスペクトなの?
ミッフィーの世界観に溺れたいの?
「よもぎさーん、診察室にどうぞー」
背景は、やはりオレンジ色である。
くすんでいない院長と、くすんでいる看護師のコンビが出迎えてくれた。
ワシ between モニタ and モニタ
とにかくモニタに挟まれつつ、
間髪入れず右耳の掘削工事が始まる。
モニタには崩落現場が写し出される。
画面に張り付いているバイキンマンとガン飛ばし対決をしつつ、工事の様子をモニタリング。
ものの15秒で音の渋滞は解消された。
心なしか風通しも良くなったような気がする。
右耳に爽やかな高原の風が吹き抜ける。
続いて左だ。
今度は連なる海の幸、エビ・カメ・イルカをガン見しつつ崩落の様子を確認。
…いや、いくらなんでも大事故にも程がある。
ジコホド。
いや、これぞ本当のフテホド。
不適切にもほどがある耳垢。
掘削工事は困難を極めた。
耳の自浄作用を過信してはいけない。
自浄作用のキャパを超えて耳がうんこするとこうなる。
心の中で、ひたすらに
「かたじけねェ…!」などと呟きながら
エア切腹を繰り返しているうちに、無事開通した。
工事完了をもって、左耳も白馬村から東京へと帰還した。
これにて旅行はおしまい。
徒歩5分圏内のくすんでいない院長に
“大量耳垢製造マシン”として認識され、
人生もおしまい。
階段を5段下ると
いつもの風も、どことなく爽やかに感じられる。
…8月の風が9月の声でトンボを呼んでくる。
太陽は相変わらずだけれど、
風は一歩、二歩先を歩いているらしい。
待っているよ、9月。
暑さは8月の忘れ物にして、歩いておいで。
【参考資料】
◽︎TBS
不適切にもほどがある!
◽︎NHK
ふるカフェ系 ハルさんの休日
https://www.nhk.jp/p/furucafe/ts/W6Z2W3826N/
◽︎Dick Bruna.jp
日本のミッフィー情報サイト

牛乳の賞味期限がついに9月だった。
時の流れは早い。
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