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今週中にかっこつけておきたいおじさん

私は今、原稿を落とすか落とさないかの瀬戸際でもがいている。
このままでは私の信用もろとも地に落ちる、由々しき事態だ。
しかし今日は落ち着かない。
だって、ついに夢の芥川賞に手が届くかもしれないのだから。

自分で言うのもなんだが、私は売れっ子作家である。
13本の連載と、6本の書き下ろしを抱え、毎日何かしらの締切に追われている。

それに加えて最近は、パクリ疑惑で炎上中の同期・後藤帆奈美があまりに不憫なのでその火消しに奔走しており、毎日が目まぐるしく過ぎていく。

「お言葉ですが、日々が目まぐるしくハレー彗星的に過ぎているわけじゃ無いんです。先生の歩みが随分とゆったりしているだけなんです!」

彼女は最近……いや、半年程前から私を担当してくれている編集者の河井ゆりなさんだ。
なんでも同い年とのことだが随分としっかりした人でなんというかこう、大人だ。

「ええ? そうかな……」

確かに、気付けば中原中也なら死んでいて、芥川龍之介は生きているといった年齢には至っている。
ここまでの人生を振り返れと言われれば……
いや。
やはり日々がハレー彗星的に過ぎたとしか思えん!

「それからその鈍足PC! それももう買い替えてくださいよ!」

わかってはいる。
なんだか最近ぼんやりしちゃって私のタイピングにすらついて来られないし、「よっこらせ」なんて言いながら立ち上がったかと思ったらまたすぐ座り込んで、お願いしていたことも「はて、なんじゃったかのう?」といった具合のご老体。
これ以上鞭打つのはあまりにも残酷だと。

でも、苦楽を共にしてきたの!
看護師小説が書きたくて、前の編集の増沢さんの反対を押し切ってまで看護学校に通い、不器用過ぎて基本中の基本の技術試験10連続不合格に泣いた日々を、ファミチキ看護師にいじめられながらも一晩で一万文字のレポートを書き上げたあの日も、破天荒過ぎる卒論発表のスライドも……
全部彼女と一緒に乗り越えた。
それこそ後藤帆奈美の善良の顔をした悪意に蝕まれ血反吐を吐いたあの夜もずっと、ずっと一緒だった!
それをそう簡単に……

「先生。泣き落としは通用しません! 泣いてもダメです! 感受性の強いINFPしかもハイフンTってのも言い訳にはなりません。社不だからとか、ロゼレム眠剤溜め込んでるとかそういうのも関係ないですから!」

「ああ……はい。わかってますよ、わかってます。そらからこの涙は決して締切が嫌だとかINFP、しかもハイフンTだからとかじゃ無いですし眠剤は薬局に返しました、3ヶ月前に……」

「3ヶ月前に、とかはいいんですよ! さっきからウロウロウロウロ……動物園の熊じゃないんですから! パシング常同行動やめてくださいよ……目が回る!」

パシング常同行動
飼育スペースが限られるなど、多大なストレスがかかった結果引き起こされる異常行動。
同じ場所を何度も移動することが特徴。

Wikipedia

「いやあ、パシングしつつ後藤先生へのバッシングを収束させると見せかけて更なるバッシングを……」

「先生!」

「はい。」

河井さんは無言で椅子を指さし、声もなく「Sit down」と言った。

私は、おずおずと着座しご老体PCに文字と鞭を打つ。
画面中の中原中也は私の頬を打つ。

スマートフォンの歩数計は2万歩を叩き出していた。

──ピリパピリッポー!ピリパピリッポー!

「ブフォ!!」

「はい、河井で……え? 今ですか?」

河井さんは「ンー」の顔で私の様子を伺っている。
すると途端に秘密の声で、
「今、今泉先生のとこなんですけど……なんか、真面目にやってる……ような気がするので……行きますね。」
と電話の向こうの何者かに囁いた。

「あの!」

「うおっ!! あ。はい。失礼しました。」

危ない。
聞き耳の要塞に閉じこもっていたことがバレでもしたらこの一世一代のチャンスが……

「何をブツブツ言っているんです? あの、私ちょっと出ますから、ちゃんと! ちゃんとやってくださいよ!」

そう言って、河井さんはドタバタと出ていった。

──ピリパピリッポー……ピリパピリッポー……
遠くで彼女の着信音がまだ鳴り響いている。

「あの音、なんとかなんないのかな……ブフ!ブフォフォフォフォ!」

毛先に鳥の巣を形成した私は高笑い……ではなく馬鹿笑いしながら真っ黒なコートに腕を通すとリュックにご老体と『今日の治療薬2018』を詰め込んでいそいそと玄関の鍵を閉める。

そぞろ歩くは北向きの道。
向かい風が毛根ごと前髪をさらっていく。

うう、寒い!
ぶるぶるなんてものではない。
もはや身体を震えさせるだけのエネルギーすら奪いかねん暴風である。

2万2039歩、図書館に到着した。
ガラス扉に映る私はどう見ても工藤新一にAPTXアポトキシン4869を飲ませにきた人みたいだが、まあ気にするな。

こんなナリだから老若男女、皆私がアガサ・クリスティーとか江戸川乱歩の本を棚から出してくることに期待するだろうがそんなもんに応えるほどの懐は持ち合わせていない。
スマートフォン一つでパンパンだ。

元・証券マン風の上品なおじ様が太陽の光を反射している横に『現代日本文学体系44 山本有三・菊池寛集』、持参した『今日の治療薬』をテーブルに並べた。
隣が隣なだけに、こちらもそれ相応の振る舞いをせねばなるまい。

私は背筋を正すとご老体PCを開き、いかにも“学者です”みたいなツラ構えを形成した(※当社比)。

しかし、内心は「ハアーン!相変わらずタンタカ・↓↑↑タカタカ・↑・↑タンタン・↓・↓ターン!タンタカ・↓↑↑タカタカ・↑・↑タンタン・↓・↓ターン↓→→だな!」である。
これは、黄色い表紙の分厚い本(『今日の治療薬2018』)に対する揶揄だ。

すると私の後ろを忍びの如く、スサァッと影が走った。

何奴なにやつ?!」と振り向けどすでにその姿はな……

「おー! 鈴木さんよお! 久しかったじゃねえか!」

なんだこの江戸っ子崩れは。
ここは江戸から程遠い元・雑木林エリアだし今は令和だ。
あんた、一体どこの時空から飛ばされてきたでやんすか?

どうやらこの隣の証券マン(推定)が鈴木さんというらしい。

「ちょっと、ここ図書館だからね、もう少し声抑えて。」
わあったよわかったよ、すまないね。」

この後、年賀状がどうしただの同級生のタクちゃんが脳梗塞になっちまっただのマシンガンどころではなく紙おむつ入れて回した洗濯機式に話が止まらない江戸おじさん。

注意された2秒後には元の声よりさらに大きな声で喋り散らしている。
もはや、特大スピーカー。
聞き耳を立てるどころか騒音被害で役所に相談するレベルだ。

年がら年中かっこつけておきたい私の隣で騒音江戸おじさんが吼えた。

「俺は今週中に
かっこつけておきたいんだよ!」

というわけで、騒音江戸おじさん改め今週中にかっこつけておきたいおじさんが、今週中に格好つけておきたい理由ってのがこれまた……

おじさんは昨年末、大腸ガンと診断されたらしいのだ。
彼曰く、「酒も煙草も女もやるが病気ひとつしねえ頑健さが売り」だったのに、よくわからん部屋で医者の野郎が大真面目な顔して
「大腸ガンですね。」と言い腐ったそうだ。

……いや、それは普通の医者だし言い腐ってるんじゃなくてインフォームドコンセントだし、よくわからん部屋は多分IC室だよ!

そんなこんなで病気だと思ったら途端に具合が悪くなってきて今週が山なのだそうだ。

え?

「だからよお、今のうちにと思って毎日二時間! 二時間やってんだ。」
「何を?」
「初詣だよ!」
「毎日初詣ってのは……?」
「初詣じゃあねえな! ガハハ! 神頼みだ。毎日二時間、あの天満宮にな!」

待ってくれよ。
あそこに祀られてるのは菅原道真だよ!
学問の神様であって大腸ガンとは無関係だよ、おじさん!
まさかこれから医学部受験して、医者になってご自分で病巣切除するつもりか?!
そんなことしている間に全身にまわっちまうよ!
おじさん、目ェ覚ましてくれ!

「あとは毎日炭酸風呂に入る、これで体調はだいぶ良くなる!」

なんだよ、元気じゃん。

「まあ……これまで好き勝手に生きてきたからよォ、最期くれえは家族のためにとも思ったけど……」
「逃げられてますもんね、家族に。」
「そうなんだよ! おーん……でもな、そんな俺だってかっこよく死んでいきてえからよ。」
「なるほど。」

証券マン、ほぼ興味がないらしくおじさんの話を一個飛ばしたところの私の方がよっぽど真剣に聞いている。

「だからオメェ、今日コーヒー飲みに来ねえか? 特別な豆、仕入れたんだよ!」
「いや、いいや。」
「遠慮すんなって!」
「命令すんなって!」

わあったよわかったよ、すまなかった。」

いや、おじさん。
あんたかっこいいよ!

自分の非を認めて謝れるのも、自分の生き様を軽くあしらわれても平然としているところも。

それに比べて私はどうだ?
売れっ子小説家のふりをしつつ、犯罪組織みたいな格好で平日の真っ昼間に学者ごっこしながら頭ん中でお料理番組のBGMを再生している時点で全くかっこよく無い。
不審者でしかない。

不審者情報を、不審者本人が受信して「あらあ、怖いわねえ……」なんていうアンジャッシュ的展開に陥らなかったことだけが唯一の救いだ。

結局私は引っ張り出してきた本も、持参した本も開くことなく図書館をあとにした。

──っていうことがあってさ。

「あんたね、人の誕生日になんてことしてんのよ!」
河井ゆりな……ではなくユリナが電話越しにブチギレている。
「でもありがとう、サケトバめっちゃおいしい!」

私が本当に落としたのは、原稿でも信頼でもなく、親友のほっぺただった。


編集者・河井ゆりなの性格モデルは親友のユリナ。
これはユリナと井出君の馴れ初めに蕎麦食う私が泥を塗る話。


架空の人物・後藤帆奈美に翻弄される小説家になりきった話。


最近書いている小説。


ゆきお様・著
文学賞なんぞいらねえぜおばちゃんが潔くこの世を切り裂いていく痛快ラップバトル。
ごっちゃごちゃの頭ん中をおばちゃんが吹っ飛ばしてくれます。
お疲れの金曜夜にぴったりです。

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