「まず、自分がやってみる」の答え合わせ|生成AIパスポートに合格しました。
5月に「生成AIパスポートを受けることにしました。」という記事を書きました。
あのとき私は、まだ参考書を開いてすらいませんでした。「生徒たちに試験の案内を始める頃には、合格しておけるように残り数週間で取り組んでいきます」と、そこそこ強気に宣言していました。
結論、生成AIパスポートには、合格しました!

ただ、その道のりは我ながらまったく格好よくありませんでした。むしろ、書くのが少し恥ずかしいくらいです。ただ、せっかくなので、それも含めて、しっかり書き残しておこうと思います。
6月、学習はほとんど進みませんでした
6月の私は、「noteフォロワー1,000人」という目標に向かって毎日投稿をしていました。ネタを考え、書き、整え、投稿する。それだけで一日の可処分時間はきれいに溶けていきます。
前回の記事では、この二つを「並走させる」つもりで書いていました。走りながら、試験にも挑戦する、と。
現実は、並走できませんでした。
参考書は机の上で開かれないまま日を重ね、「明日やろう」が「今週やろう」になり、「今週やろう」が「月末までにやろう」になっていく…
よくある話です。よくある話ですが、自分がその当事者になるとなかなかにこたえます。
受験料を支払い、noteで宣言してしまったことを思い出しては、うっすら胃が痛くなる。そんな6月でした。
最終日にギリギリ受験
そして迎えた6月30日。受験期間の最終日です。
前回の記事で「6月の受験に申し込んだ」と書いた、その6月の最後の一日。もう後ろに逃げ場はありません。
試験中、正直に言えば手応えは半々でした。基礎知識の分野は動画と参考書で追いついていましたが、リスクやコンプライアンスまわりの細かい設問では、はっきりと詰め切れていない自分を突きつけられました。
結果は合格。けれど、胸を張って「計画的にやりきりました」とは言えない合格です。
それでも、受けてよかったと思う理由
こんな受験の仕方をしておいて言うのもなんですが、受けてよかったと心から思っています。
理由は二つあります。
一つは、締切が私を動かしてくれたこと。
もし宣言もしていなければ、申し込みもしていなければ、私はこの夏、生成AIについて何ひとつ体系的に学ばないまま過ごしていたはずです。「いつか学ぼう」は永遠に来ません。日付の入った締切だけが、私を机に向かわせました。
コーチングのセッションでも、クライアントの行動が変わるのはたいてい「いつまでに」が言葉になった瞬間です。伴走者である私自身が、それを一番わかりやすい形で体験した6月でした。
もう一つは、AIへの解像度が上がったこと。
普段からAIツールを仕事のパートナーとして使っている方の多くが独学なのではないでしょうか。
当然、私もその一人で、AIの知識は完全に「点」でした。なんとなく使えている。なんとなく便利。でも、なぜそう動くのかも、どこに危険があるのかも、きちんと説明できない。
体系的に学んだことで、その点が少しずつ線になりました。
生徒に渡せる言葉の解像度が上がったこと。これが、合格証そのものよりも大きな収穫でした。
学習で一番効いたのは、動画でした
時間が取れなかったぶん、学習の効率だけは真剣に考えました。
一番効いたのは、前回の記事でも紹介した解説動画です。
参考書を頭から読むより先に、まず動画で全体像を1周する。そのうえでテキストに戻ると、バラバラだった用語が地図の上に置かれていく感覚がありました。料理や家事の合間にも流せるので、「机に向かう時間」以外を学習時間に変えられたのが、6月の私にとっては生命線でした。
これから受ける方には、ぜひ計画的に取り組むことをおすすめします。私のように最終日に駆け込まなくても、この試験は十分に間に合います。
「まず、自分がやってみる」の答え合わせ
前回の記事に、こう書きました。
「面白そうだからやってごらん」と言う前に、自分自身がその門をくぐり、中の景色を見ておくこと。生徒たちと同じスタートラインに立ち、難しさも楽しさも肌で感じておくこと。
門はくぐりました。中の景色も見てきました。
そして予想外の収穫として、「後回しにして焦る側」の景色まで、しっかり見てくることになりました。
これは案外、悪くない経験だったと思っています。生徒に「計画的にやろうね」と言うのは簡単ですが、「わかる、私も最終日に受けた」と言えるほうが、たぶん届くはず。
伴走者として持てる引き出しが、ひとつ増えました。
学ぶ姿を、更新し続ける
2026年に入って、コーチング資格のCICPとACC、FP2級、そして生成AIパスポート。
肩書きを増やしたいわけではなく、「今、何を学んでいるか」「それが人生をどう豊かにしているか」を語れる大人でありたい。ある種の囚われかもしれませんが、過去の経験に安住した瞬間に、伴走者としての言葉は古びていくと思っています。
こうしてエピソードを振り返ると格好よくはないけれど、これも私らしい歩みのひとつとして、これからも続けていきます。
読んでくださって、ありがとうございました。
