私なりの『すずめの戸締まり』をしてきた話。
※この記事では、東日本大震災に関する描写が含まれています。当時の記憶がフラッシュバックする可能性もあるため、ご自身の体調や心の状態に合わせて読み進めていただければ幸いです。
※この記事では、映画『すずめの戸締まり』の内容の一部に触れています。
東日本大震災からの15年を振り返り
2011年3月11日に発生した東日本大震災。
あの日から15年が経とうとする2026年。
今も、東北は静かに、けれど確実に姿を変え続けている。
新しい景色が広がる一方で、癒えない傷を抱え、未だ立ち止まったままの心もそこにはある。

「震災の地」という言葉から解放されたいと願う声もあれば、あの日が風化されていってしまうのではないかと恐れる声もある。そのどちらも、この土地を大切に想うがゆえ、そして、生きたくても生きれなかった行方不明者含む22,325人(令和6年時点)への想いが溢れ出た、等身大の本音なのだと思う。
思えば、東北の歩みも、常に厳しい自然との共生であった。相次ぐ困難に直面するたび、人々は微細な変化を察し、互いの痛みに寄り添い、静かに手を取り合ってきた。
「東日本大震災 仙台復興のあゆみ」|仙台市
※P52~53 仙台・宮城における地震と津波の歴史を参照

強さとは、決して揺るがないことではない。震えながらも一歩を踏み出し、隣にいる誰かと支え合う、その「優しさ」こそが未来をひらく力になってきたものと私は思う。
自ら言うのも多少の抵抗はあるが、私も被災した人間の一人。幸いにも、家族や親族を失うことはなかった。だが、津波という黒い濁流が迫る恐怖さながら、間一髪のところで避難した家族、親族もいる。
しかしながら、地元の友達、先輩後輩、知人を失うことは避けて通れなかった。その心の痛みは消えることはない。
私の実家も、母方の祖父母家も津波により全壊。躯体を残すのみとなった。
母校の小学校は廃校、地元は災害危険区域となり、工業団地とうつろいを変えていった。
理不尽にも、大切な人やものを失うと、人は心にぽっかり穴が開く。失われていった速度に、心はついていかず、心だけが置いてけぼりになる、その感覚。
震災前はわかっているようで、どこかわかっていなかった。そのこともあいまって、この未曾有の出来事は、自分にとっても消えることのない大きな傷となった。
ニュースで流れてくる戦争や惨く痛ましい事件、震災、今までは「どんな顔で見ればいいのだろう。何を想えばいいのだろう。」と、どこか他人事にしていたが、あの日からは、他人事ではいられなくなった。
それからというもの、心のすき間を埋めるように仕事に勤しんだのかもしれない。災害復旧のボランティアにも参加した。とにかく、何かを埋めるように。
震災以降、実力も能力もないのに、「人のため」という大義名分だけはやたら強い思いとなり、周りにも使命感を振りかざしている“やっかいな人”だったと思う。身の程知らずであったと後悔しているし、何も言わずに関わってくれていた寛容な方々には申し訳ない気持ちだ。
その使命感や自己犠牲は、自己満に過ぎなかった。
一番大切であった家族との時間も、大切な人たちとの時間も犠牲にしてしまっていたからだ。
何か、すき間を埋めるように人生のライフイベントも急いで経験していく。毎年のように手帳をスケジュールで埋め尽くしては、走り続けてきた。しかしながら、いま振り返れば、多くのものをこぼし、多くを失ってきたようにも思える。
すずめの戸締まりとの出逢い
震災からの12年弱が経つ、2022年11月11日。
新海誠監督の映画『すずめの戸締まり』が公開された。

“ちょうど”という言葉の表現は適切ではないが、私の離婚が成立したのも、2022年の冬。
さらに、ぽっかりと肥大した虚無な心を埋めるかのように、映画を観ては、やり過ごす日々を送っていた。
その当時、特に、心を救ってくれていた映画が『すずめの戸締まり』だったと記憶する。私もこれまで、ふと何かを思い出すかのように何度も観させて頂いた。新海誠監督の集大成と言わんばかりの想いが伝わる映画である。
『すずめの戸締まり』は、「失った大切な人を悼み、過去の自分と向き合い、乗り越えて未来へ進むこと。」、そして「自分を救えるのは自分自身であり、そのために周りの大切な人たちと助け合うこと。」が大きなテーマのように私は受け止めている。
そして、もう一つは新海誠監督が制作時のインタビューでも述べているように、長い月日が流れようとしていても、時間が解決してはくれない思いが、あの海岸にたくさん、眠っている。その想いに馳せ、「東日本大震災のような未曽有の災害を風化させず、記憶を未来に繋ぐこと。」も同時に伝えてくれているように感じている。
主人公のすずめが、過去の辛い自分と決別し、今を生きる意味を見出す物語であり、観客一人ひとりの「生きていく。」ことへの肯定と希望が描かれている。
memeさんという方が、ものすごくいいnoteを書いていましたので、ぜひ、こちらも参考にして頂けると幸いだ。
memeさんのnoteにもあるよう、この映画で、私もこの言葉にすごく感銘を受けた。
この物語のラストで、かつて迷い込んだ常世に再び戻るシーン。
その幼い頃の自分自身であり、震災孤児になってしまう4歳当時のすずめ に向かって現代の自分が声をかける、あのシーン。
「だから心配しないで。未来なんて怖くない。あなたはこれからも誰かを大好きになるし、あなたを大好きになってくれる誰かとも、たくさん出会う。今は真っ暗闇に思えるかもしれないけれど、いつか必ず朝が来る。朝が来て、また夜が来て、それを何度も繰り返して、あなたは光の中で大人になっていく。必ずそうなるの。それはちゃんと、決まっていることなの。」
何か、事あるごとに聞きたくなる、このフレーズ。
いつの日も、私の心には染みわたっている。
無職になる心境
――離婚はしたが、私には離れて暮らす2人の大切な子どもがいる。
その2人をはじめ、私の使命感や自己犠牲のせいで、身近な大切な人を巻き込んでは多く深く傷つけてきてしまった。独りよがりで、この震災以降の15年あまりを過ごしてきてしまったのである。
大義を振りかざしては、表向きだけを気にして、中身のない薄っぺらい生き方をしてきてしまった。
すべてを失ってから、大切なものとは何かに気づくという、みんなが避けている道の、ど真ん中を通るはめとなった。
なので、ここは潔く、今ここで宣言し、完全に人生に失敗したと認めたいと思う。
そして…。
もうすぐ、私はその現実から逃げるかのように無職となる。

子どもの養育費のこともある。
流暢なことはいってはいられないのもわかる。
けれど今は、なかなか回復しない心の病と向き合いつつも、自分のエネルギーを取り戻すことを優先したいのだ。
たぶんもう、昔の自分の心を取り戻せないということはわかっている。ただ、取り戻すという時間ではなく、少しでも前を向けるように毎日を過ごしていきたいと思えるようになった。
過去ととことん向き合い、内省する時間。
肩書きをはずし、素の自分を生きる時間。
どのように未来を描くかを、考える時間。
その空白の時間が、少しでもほしい。
もう一度、前に、進むために。
そして、無職になることを決断した。
午前4時の衝動
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「チップは洋の文化、心付けは和の文化。どちらも深々と感謝します。特に心付けの場合は、感謝の傘を差し上げます。」
