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それは表現されるのを待っている


小さい頃からいつも何かを「表現したい」子どもでした。

子どもってみんなそうなんだろうか。
記憶はどれも断片的ですが、絵を描いたり物語を創ったり、自分の中にあるものを外側に表現する行為に、たまらなくワクワクしていたのを覚えています。
頭の中では毎日、空想を繰り広げていて、授業なんてまったく聞いていませんでした。ちゃんとそこに“居た”のは図工と音楽の時間だけ。身体能力がポンコツすぎて体育は常に苦行でした。
それ以外は、授業が始まると同時に空想の世界に遊びに行っていました。常に複数の世界が用意されていて、この時間はどの物語を創ろうかなぁ、と、胸を躍らせるおかしな子どもでした。


お風呂の中でも、寝る前でも、移動時間も、私はスッとそちら側の世界に行っては自由に物語を創っていました。内容は詳細には覚えていないけれど、ファンタジー要素が強いものだったり、サスペンス的なものも多かった気がします。
そこでは姿を変えた自分が主人公なのですが、ちゃんと苦しい思いや辛い経験をさせるのですね。決してハッピーな感じではなく、どちらかというと世界のすべての負を私が密かに背負っていて、見えない何かと戦って世界を救おうとしているストーリーが多かった気がします。その物語の中でも、辛かったり思い悩んでいる時間のほうが、圧倒的に多いんです。

そんなこと妄想している小学生、ちょっとコワイですかね(;^_^A

今になって思うと、「ハッピーな感じ」がそもそもわからなかったのかも知れません。


小さい頃の日常の出来事はほとんど記憶になく、絵や漫画を描いたり小説を読んだりCDを聴いたりしていたことが断片的に残っていますが、家族とどんなふうに過ごしていたかとか、勉強や宿題をしていた記憶もほとんどありません。

機能不全家庭でしたので、私のそのダークな空想の世界で繰り広げられていた物語の内容も含めて、何らかの逃避行動であったと言えるのでしょう。
いつも世界を救おうとしていたのは、主人公がいつも抱えきれないほどの負を抱えて孤独に苦しんでいたのは、その頃の私の投影であったのかも知れません。
私は世界を救うよりも、自分を救いたかったのです。


だけどそんな深層心理は、子どもだった私にはとうていわかるはずもありませんから、私はその「何かを救う」熱を拗らせたまま、苦しみをめいっぱい抱えた自分を救えないまま、成長して行きました。

中高生の頃は、ギターにハマって友達とバンドを組んでみたり、やはり絵を描いたり物語や詩を書いたりしていました。
だけどどれも、中途半端でした。今思えばそれで全然かまわないのですが、それが何かの形になったり、何かを極めたり、どんな障壁があってもそれを突破してこれをやりたいんだ!みたいな熱量は、私にはありませんでした。

美大に行って、絵を描く人になるんだという子どもの頃からの夢も、そんな不安定な選択肢を選ばずに良い大学に入って良い会社に勤めなさい、という両親の反対を受けて、何の抵抗もできないままにあっさりと諦めてしまいました。その「良い大学」も、3年の時に中退しました。


それなりに色々な人生経験を積んで、結婚して母になり、母になってからも更に濃厚な様々を経験して、今ここにおりますが、
「表現したい」想いだけは私の中にずっとありました。
どんな時でも。

その想いを最も表せるものが、私にとっては絵を描くことだと思っていたので、自分の中で燻り続けるその想いを形にしようと、子育ての傍ら少しづつ絵を描き始めました。

だけど何だか、楽しいというよりも、重たくて。
上手く表現できるだろうかとか、上手く描かなきゃという緊張感の方が強く、描き終えたあとは達成感よりも疲労感がありました。


「絵を描くのが好き」「絵を描くのが得意」というのは、これまでの私のアイデンティティだったのですね。何も無い私はそれを、ぎゅっと握りしめていました。それが壊されないように。
自分でもそれを壊さないように。だから絵に向かう時、いつも緊張感がありました。それはある意味で固執だったのかも知れません。



noteを始めてから、思いのほか楽しくて、私はただその気持ちに任せて文章を書き続けました。
言葉が、想いが、止めどなく出て来ました。
技量も熱量も足りなくて絵では表現できなかった想いが、言葉となってスルスルと出て来ました。「自由自在だ」と感じていました。



今、私がここで文章にしていることが、
私がずっと「表現したい」と思っていたことなのだとしたら、
それは今ここに居る私にしか、表せなかったものだと思うのです。

ずっと抱き続けていた「表現したい」想いが、
その手段と出逢い、私から流れて行くためには、
様々な体験や多くの感情が必要だったんだと思うのです。

そう考えると、これまで私が歩んできた道のりのすべてが、輝き始めるのです。まるで宝石のように。



もし、あなたが今孤独で、
自分を世界に表現できず、繋がりを感じられず、
何か燻ったような想いを内側に抱えているのなら、

それはあなたから流れ出て行くのを待っています。

あなたがあなたを最も表現できるものに出逢い、
ただあなたそのものとして生きる時を、
そこで待っています。
その時を心待ちにしています。


すべては美しく展開されて行きます。
あなたがただあなたで居られるように。
安心していていいんです。
ご自分を、どうか大切にしてください。


最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。




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