嗚呼 草の応援団 第25話 ~マッチョを目指した日々 篇~
(タイトルは「嗚呼 花の応援団」をパロってます笑)
続きから
私は「幹部」になってからというもの、しばらくは応援団の練習そっちのけで、陸上部の投擲(とうてき)の友人らと筋トレ室でウェイトをしていた。「幹部」にでもなれば、こういう自由も利くようになる。
応援団においては、腹筋や腕立て伏せなどは体力錬成の一環としてすることはよくあったが、ウェイトトレーニングをすることは、鼓手と旗手以外はまずない。むしろ、ウェイトに関しては、肩に余計な筋肉がつくと演舞がしにくくなるのであまりするなと、一個上の先輩がよく言っていたくらいだ。
かつては「いしだ壱成」や「武田真治」的フェミ男に憧れたときもあった私は、応援団にはいると、すすんで筋トレするような「マッチョイズム」の方に、いつしか傾倒していった。 (武田真治もいまや、筋トレキャラになっている)
さすがに、私の方でも
この無骨な顔で「いしだ壱成」はないだろう(笑)という自覚もあったし
ある意味「漢気(おとこぎ)」を売りにしておかないといけない「応援団」に所属している以上
軟弱であるのは「罪」であるという意識も当然ながら芽生えていた。
こういうこともあって
私はこの時「筋トレ」に勤しんだ。
幹部のN濱もよく一緒に筋トレした。
とはいえ
一応、応援団の練習を抜けての筋トレなので
新しい鼓手の一回生Tへの筋トレ指導という名目にもしていたのだけれど。
我が応援団では
鼓手と旗手がよく練習の一環として
ウェイトトレーニングをしていた。
旗手長のA野などは
下積みのときからよく一個上の鼓手長O田先輩とウェイトをしていたが
今のA野はバイトにいそしんでいるので部活にあまり来ない。
新鼓手のTへの筋トレの指導は、俺たちがやるしかなかったのだ。
鼓手はとくに、パワーが必要になる。
一つ上のO田先輩は身体もでかくベンチプレス100キロは上げていた。
O田先輩の太鼓の音は
まさに激震のようであった。
体育館の全校集会で壮行会があったときなど
太鼓の叩く音が
まるで体育館に爆弾が撃たれているかような
激音が響き渡っていたのを思い出す。
だが私たちも会ったことがない3つ上の先輩の鼓手(I田先輩という)は
ベンチプレス110キロ上げ
太鼓の音はさらに震えるほどデカかった
と先輩たちはよく言っていた。
太鼓の音は
応援の迫力に直結する。
ブラスバンドの音圧に負けない音を球場中に轟かせることで鼓手の真価発揮となる。
Tにはそれくらいになったもらいたいと思い
一緒に筋トレした。
とはいえ
私たちリーダーはウェイトの素人である。
陸上部の友人たちから筋トレのやりかたを教わっていた。
もう25年以上前の話であるのに
すでに「超回復」の理論など彼らは知っていて
二日やったら一日休めとか
筋トレは一日毎にやれとか
やる日によって鍛える箇所を変えろ
などと言っていた。
ただガムシャラにやれば良いとさえ思っていた私なんかは目から鱗であった。
円盤やハンマーを
より遠くに飛ばすための根本的なパワーを養うための彼らのトレーニングは
やはり強度が高かった。
彼らはよく
「もう上げられないと思ったところからもう一踏ん張りするところから筋トレは始まる」
とか言っていたし
また上げられなくなっても
そこから補助つきでまた何度もさせられたりした。
トレーニングに対するストイックさなどは
彼らから教わったように思う。
結局私は
55キロくらいしか上げられなかったベンチプレスも85キロくらいまでは上げられるようになった
と記憶しているが(全然たいしたことはない)、
結局は私たちはある事情で筋トレを続けられなくなった。
私たちが筋トレをしている間
他の幹部連中は
部活にでたり
また部室に籠って漫画を読んだりしていた。
その間、後輩たちは、声だしや「手振り」などの基本練習をしている。
そして彼らの基本練習が終わると、私たちも集まって来て、通常の練習に入る。
私としては楽しい期間であったが、我が応援団はこんな感じでまとまりのないまま2学期が過ぎていったと記憶している。
