ゴシックはゴート族に由来する
ゲルマン人の大移動は教科書に載っている大昔のことで、まったく興味が湧かないかもしれません。私もそうだったので、その気持はよくわかります。現代と何の関係もないから、どうでもいいけど単にテストに出るので仕方なく覚える、という態度になってしまうのは無理もないことです。
しかし、本当に現代と何の関係もないのでしょうか。実は、ゲルマンの部族名は様々な言葉や地名の語源になっており、西欧、北欧諸国の起源ともなっているので現代とも深い関わりがあります。
今回は、ゲルマン人の大移動で国家を打ち立てた、主要な民族であるゴート族、ヴァンダル族、ブルグント族、フランク族、ランゴバルド族、アングル族、サクソン族に焦点を当てます。
ゲルマン人とはどういう意味か
「ゲルマンGerman」とは、ラテン語の「ゲルマーヌスGermānus」が語源です。ゲルマーヌスの意味については諸説ありですが、一説によるとケルトの言葉gairm「騒がしい」から取り入れられたもので、「わけの分からない言葉で騒がしく話す部族」という意味になります。
似たような言葉にギリシャ人がギリシャ語を解さない異邦人をバルバロイbarbaroi「バルバルと言うばかりでギリシャ語を話せない人々」と呼んでいますので、自分たちと言葉の通じない民族を蛮族とみなすのはどこでも共通のようです。
ちなみに、バルバロイから英語になった「バーバリアンbarbarian」は、蛮族を意味しています。また、北アフリカのマグレブ地方に広く住んでいるベルベル人は、バルバロイから転訛した呼称です。他にもバルバロイから派生した名前に「バーバラBarbara」があり、ニコメディアの殉教聖女バルバラにあやかる名前です。
ゴート族の大移動
「ゴートGoth」とはゴート語のGutansに由来し、善良な民という意味です。または、神を意味するドイツ語Gottに由来するものとして「オーディンの民」の意味である、との見解もあります。
彼らはスカンディナヴィア半島から、バルト海を渡り、ドニェストル川の東岸、西岸に住み、そこから「西ゴートVisigoth」族と「東ゴートOstrogoth」族に分かれました。
アッティラ大王に率いられたフン族の西進に押されて、西ゴート族はローマ帝国に庇護を求めて侵入し、バルカン半島からイタリア半島に至ります。ローマでは、410年に西ゴート族により3日間にわたって略奪、強姦、虐殺されるという事件が起こりました。その後、西ゴート族はトゥールーズを拠点としてイベリア半島に渡る西ゴート王国を建国します。しかし、次第にフランク族に押されてイベリア半島のみが西ゴート王国の勢力圏となります。スペインに「ゴンサレス」のような独自のゲルマン系の名前があるのは、西ゴート王国の影響です。最終的にイスラム国家のウマイヤ朝に滅ぼされました。
東ゴート族
東ゴート族はフン族の支配を受けますが、一部はローマ帝国の庇護下に入り傭兵として活躍します。東ローマ帝国宮廷で育った東ゴート族のテオドリクは、西ローマ皇帝を廃位した傭兵隊長オドアケルを討伐し、皇帝からイタリア王の称号を許され東ゴート王国を打ち立てました。ただし、この王国は西ローマ帝国と別ものではなく、西ローマ帝国のイタリア管区軍司令官という位置づけです。最終的にゴート戦争で東ローマ帝国に滅ぼされます。
ゴートの名は現代にも残っており、スウェーデンの「イェーテボリGöteborg」はゴート族の砦を意味し、さらにバルト海の島「ゴットランドGotland」はゴート族の島という意味であるとの指摘があります。
ルネサンス期のイタリア人から見て、無骨な建築物を「芸術を解さない野蛮人であるゴート族風の」という意味で「(瀟洒なルネサンス建築に対する)ゴシック建築」と呼んだり、ゴシック建築の古い城などを舞台とした奇怪な小説を「ゴシック小説」と呼んだりします。また、無骨で飾り気のない「ゴシック体」というフォントの名前も、同じくゴート族から来ています。
以下、次回に続きます。
