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時代小説「放浪の果てに」第六話

作:yoshi

第六話 主人の思惑
 おちよさんのあの凛とした顔の内側には、そんな辛く悲しい無常の日々を耐えて生きる術が芽ばえて来ていたに違いないと私は勝手に思っていた。 

「ちよは女房の亡骸の前で何時までも泣いていました。きっと本気で自分と向き合って呉れた女房が自分の母と重なって思えたんでしょうか、しかし其のあとは以前のちよとは人が変わった様になり、まさに女房が乗り移ったかのようでした」と主人は感慨深そうに語った。
 
 そして、続けた「あの子も女房が亡くなってから六年の間よくやって呉れました。近隣の村からうちに奉公に来た同じ年頃の女中達にも優しく接して仕事も分かるまできちんと教えていました。今では女中達からも、おちよちゃんと呼ばれて慕われております」と誇らしげに言った。
私は「おかみさんも、おちよさんに辛抱強く教えたことが活きて、草葉の陰で喜んでおられることでしょうね」と目を伏せて答えた。

 それからご主人は暫く腕を組んで目を閉じ何か考える仕草をしていた。暫くして、ゆっくりと目を開くと「旦那様に折り入ってお願いの儀がございます」と私の顔を凝視して言った。
私があらたまって「なんでございましょうか」と催促すると、主人は「ちよの事ですが、あれもここへきて既に十年余り経ちました。本人は決して口にはしませんが、三嶋大明神様に毎日参って何か願い事をしているかに思われます。私の勘繰りですが、故郷一色村への思慕の念ではないでしょうか。ここらあたりで、両親の墓参をさせたいと思いまして・・・。
つきましては、夕べのあなた様へのお話も含めまして、おちよと共に一色村へ是非行っていただきたいのです」と不退転な面持ちで言った。

 「このまま断れば、あなた様を咎人として代官所のお役人に引き渡しますよ」と内心で言っているような面持ちにも見えた。そうなれば、ご主人やちよさんにも咎人を匿ったと言う事で代官所の詮議が入るだろうに。それを承知で言っているとしたら、ちよさんの事をご主人は、本当の子供のように愛でているのだろうと私は察した。同時に、この話を断り代官所に引き渡されたら、私は江戸送りになり公儀のお裁きの上で遠島かはたまた死罪か、いずれにしても免れることは出来ないだろう。 

 私は考える余地もない事を瞬時に悟り、「ご主人その儀しかと承知つかまつりました」と即座に答えた。
もとはと言えば私がこの十年間誰にも身分を見破られずに来たのに、一人の女子(おなご)に出会った途端今まで見せたことのない心の綻びを晒してしまったのがいけなかったのだ、と自分に言い聞かせていた。

ご主人は安堵した表情をうかべて、お茶を一口啜った。そして、また叫んだ「ちよ酒だ、酒を持ってこい」と。その日私たちは真昼間から酒を飲んでしまった。

 私は思った。女子には男の眠っている力を引き出してくれる性分の者がいるようで、北条政子などはその性分ではなかったか、流人として蛭ヶ小島に流され、都の風雅と色事にうつつを抜かしていた敗残の男が、一人の女子に出会い、己の奥底に眠っていた天下の野望を目覚めさせる……。
ちよさんという娘にも、男の運命を変えるような似た業(ごう)があるのかもしれない。私はご主人と盃を重ねながら、ふとそんな思いが頭をかすめていった。
第七話に続く

尚、本作は、歴史上の事実や伝承をベースにしつつ、史料の「空白」の部分を作者の想像で埋めた歴史エンターテインメントです。史実とは異なる展開や独自の解釈が含まれますが、江戸時代の息遣いを感じる物語としてお楽しみいただければ幸いです。


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