見出し画像

時代小説「放浪の果てに」第四話

作:yoshi

第四話 三嶋大明神参拝
 翌朝外からの光と人の騒めきで目が覚めた。
不覚にも寝過ごしてしまったようだ。昨夜は性に無く考えあぐんでしまった。酒のためかそれとも寝足りないのか頭の鉢が割れるように痛い。

これまでの朝の習性で旅支度に取り掛かってしまったが。しかし、よく考えてみると私の今日の予定は何をしてよいのか、思い浮かばなかった。
 そう、いまの私はまな板の鯉同然と言えるからなのか。
そんなところに障子の外から「旦那さんお目覚めなさいましたか」と、明るい透き通った声が掛かった。
「お入りします」と言って、障子を静かに開けて入って来た。

姐さん被りに前掛け、袖は襷で絡げた姿のおちよさんが朝の光に若さを躍動させていた。その姿に私は一瞬頭の痛さも忘れてしまった。
そんな私をよそ目に「中庭の井戸端でお顔をお洗いになって来てくださいませ」と言った。

浴衣姿で中庭に出ると、まだすそのまで真っ白な雪を戴いている富士の姿が見えた。
よく見ると、その中腹あたりに雪の無い少し靄がかかった赤茶色の荒々しい地肌の場所があった。あれが噴火した火口の跡だろうか。
 
私は井戸の釣瓶を使って桶に水を汲んだ、水は冷たく顔を洗うと昨日の気が一気に飛んでいくような気がした。
箱根越えの旅人はもうとっくに、峠を目指し出立したことだろう。早いご人はもう山中あたりまで登っている頃だろうか。

 先ほど朝五つの音が聞こえた。朝日が眩しく屋根の上から差してきた。さて、私には今日がどんな一日になるのか、今の自分には知る由もなかった。

部屋に戻ると、朝餉の支度がしてあった。私の旅の荷物の処に、おちよさんが洗ってくれた手拭いや足袋が置かれていた。
私は朝餉の膳に向った、みそ汁から立ち上る湯気が朝の光に白く揺らいで立ちのぼっていた。お采はめざしと香の物が添えられてあった。

暫くして、「お開けしますよ」と言って、おちよさんが入って来た。そして「旦那様おかわりはなさいますか」と聞いた。
私はお願いしますと言って、二膳目も美味しくいただいてしまった。
すると頭の痛みは徐々に消えていった。

 給仕をしているおちよさんに「この宿は何人で働いているんですか」と聞いてみた。すると、「女中が六人で、男衆が二人です」と言っていた。
そして、「おとっつあんと私を入れて十人になります」ということだった。

お母上はおられないのですかと聞くと「ええ」と答えただけだった。
何か事情がありそうなのでそれ以上は聞かなかった。
おちよさんは私の膳を下げて「おとっつあんが、旦那様を三嶋大明神様にお連れしてお参りしてきなさいと言っていました」と言うと。急き立てるように、「さぁ、旦那様すぐそこですからいきましょう」と私の浴衣の袖を引きながら言った。おちよさんは「では私支度して玄関でお待ちしております」と言ってそそくさと部屋を出ていった。

 私は渋々貴重品などを懐に入れて、急かされるように部屋を出た。
玄関の帳場には主人が座って帳簿の様なものに目を通していた。
おちよさんはもう土間に下りて私の履く下駄を用意して待っていた。
私は主人に軽く会釈して「少し行ってまいります」と言った。主人は微笑んで軽く頷いて「行ってらっしゃいませ」と言った。

 伏見屋の暖簾をくぐって通りに出ると、木々の新葉が朝の光を浴びて萌え立っているのが目に入った。
それを凌ぐようにおちよさんの島田に結った黒髪は朱塗りの前櫛と平打ち簪で飾られ、朝日を浴びた白い顔は、赤い朱を引いた唇が顔全体を引き締めていた。その町娘姿に私は年も忘れ、一瞬目を奪われていた。

 三嶋大明神に続く広小路は両側に旅籠や店が整然と並んで、その中を町人風の人や旅人風の人などが行きかい、お祭りみたいな賑わいを見せていた。そんな中を私はおちよさんと少し間をおいて歩いて行った。
おちよさんは伏見屋の看板娘らしく、歩くごとに声を掛けられていた。

しばらくして、左側に大きな木の鳥居が見えて来た。
鳥居の前の道の真ん中には大きな石が鎮座していた、この東海道から直角に南に折れた道を朝日が白く浮きだたせていた。この道が伊豆の国に入る下田街道になる。 

 昔ここから羽ばたいていった男がいた。後にその男は妻と共に天下に上り詰めていった。当時の彼らにはこの道がどう見えたことだろう。
たぶん、いまの私とはまったく逆に見えていたのではないだろうか。そんなことを考えて道の大石を見つめていたら、「旦那さんこちらですよ」と透き通った声がかかった。
後ろを振り向くとおちよさんが大鳥居の下で待っていてくれた。私たちは大鳥居をくぐって本殿に続く参道に入っていった。

左手前方遠く朝方見えた富士の山が白く輝いていた。
しばらく進んだ神門周りには木材がたくさん積まれていた。本殿に入る前に神門手前の手水場で手を清めた。
神門をくぐると、大勢の人が社殿の修復に朝から汗を流していた。

 私たちは仮の社殿でお参りをさせてもらった。
私は手を合わせながら「私には大明神様にお願いすることはもはやございません、もしもあるとしたら、十年前の先の諸士のご冥福、できればそれに殉じさせていただければ幸いです」と心の中で呟いた。

横で私の祈る表情を見ていたのか、おちよさんが「旦那さん、長くお祈りしておりましたね」と微笑みながら言った。
私は「いえ別に大したお願いは致しませんでした」とお茶を濁した。

 境内には修復の幾つもの槌音が力強く響いていた。

 帰り際おちよさんは鳥居の近くの神池と言われる池に掛かる木の橋を渡って小さな朱塗りの社に立ち寄った。
「私このお社に何時も来てお参りしております」と言った。
私は軽い気持ちで「何時もどんな事お祈りしているんですか」と聞いてみた。
すると、少し涙目になって「ここに来ると思い出すんです、故郷にいたころのおとっつあんやおっかさんの事を」と言って俯いた。
そして、あらためて聞いてみた「おちよさんの在はこの三嶋ではないのですか」と、するとおちよさんは静かに首を横に振った。
第五話へ

尚、本作は、歴史上の事実や伝承をベースにしつつ、史料の「空白」の部分を作者の想像で埋めた歴史エンターテインメントです。史実とは異なる展開や独自の解釈が含まれますが、江戸時代の息遣いを感じる物語としてお楽しみいただければ幸いです。


いいなと思ったら応援しよう!