時代小説「放浪の果てに」第五話
作:yoshi
第五話 おちよの生い立ち
おちよさんの白い頬から透明な雫がきらっと光って落ちた。私はその境遇を自分と重ねていた。私も今では帰っていける場所がない、だからこうしてあてのない旅を続けているのだ。
しかし、頼朝は全て失うかもしれない事を覚悟で、あの南へ延びる街道を政子と共に突き進んでいった。あの力強さはどこから湧き上がって来たんだろう。都を追われて帰る場所を失って何も持たない男の何処にあの力が潜んでいたのか・・・。
彼が清和源氏嫡流の源朝臣頼朝だったからか。ふとそんな事が頭をよぎっていった。
おちよさんは涙をぬぐうと、巾着から一文銭を出して賽銭箱に投げ入れた。そして、白い手をあわせた。私は一段離れてそれを見ていた。鳥居を出てもう一度大石の向こうへ延びる道を私は感慨深く眺めていた。
そんな私を置いておちよさんはもう先に歩いていた。
そして、おちよさんが伏見屋の前に差し掛かった時、腰に二本差しの役人らしき男が伏見屋から出てきた。
その男はおちよさんを見ると「おちよじゃねえか、朝早くから何処へ行ってきたのじゃ」と聞いていた。おちよさんは「三嶋大明神様にお参りに行ってきました」と答えていた。
私は咄嗟に不味いと思い、近くの店の暖簾の中に手拭いを被って身を潜めた。
暫くして暖簾をかき分けて外に出ると、先ほどの役人らしき男は、通りを向こうに暫らく歩いたところで左に折れて見えなくなった。
私は周りを気にしながら伏見屋の暖簾をくぐった。
中にはおちよさんと主人が居て、心配そうな顔を私に向けていた。
主人は私に「今日は三嶋代官所のお役人様が改めにくる日でございまして、そのため朝早くからちよと三嶋大明神様に御参りしていただいた次第でございます」と言った。
私はそれを聞いてこの宿に大変迷惑を掛けていることに今更ながら気づき、急いで部屋に戻った。
部屋で一人あらためて箱根を越える厳しさを感じていた。暫くしておちよさんがお茶と茶菓子を持ってきてくれた。
おちよさんは「しばらくしたら、おとっつあんがこちらに伺うそうです」と言って出ていった。
半刻程経った頃主人が部屋に入って来た。主人は「旦那様三嶋大明神様はいかがでございましたか」と聞いた。私は「これと言ってお願いすることもございませんでした」と答えた。
主人はそうでしたかと言うと「社殿の様子はいかがでしたか」と聞いた。私は「材木が辺りに沢山積まれていて、職人さんたちも朝早くから力を入れて働いている様子でした」と答えた。
主人は「三嶋大明神様は源頼朝公縁のお社である事から、源氏末裔を名乗る徳川様にとってはまさに聖地と言える場所でございます。それ故各方面から優先的に木材を調達して、一日でも早い復興を目指されておられるのです」と教えてくれた。
私はなるほどと思った。「源頼朝公と北条政子のあの一歩はあの三島大明神から始まったのか」とあらためて思った。そんな私の感心した顔をみて主人は微笑んでいた。
その時、障子の外でおちよさんの「お茶をお持ちしました」と言う声がした。
おちよさんがお茶を置いて部屋を出ていったのを見届けた主人は、ゆっくりお茶を啜ると、私に「旦那様に突然こんなお話をいたすのもぶしつけと言うものではございますが、これまでひとかたならぬご苦労を重ねて旅をなされてきたあなた様と見込んでお話させていただきたい事がございます」と私に前置きをして話し出した。
「実はちよは私どもの実の子ではござりません、山深い伊豆から私どもと縁の者があの子が五つの時ここに連れて参ったのでございます」と言った。私はすでに聞いていたので別段驚かなかった。
さらに続けて「ちよの両親は今から十年程前に起きた地震で裏山が崩れて家の下敷きになり亡くなったと聞いております。
ちよが助け出されたとき母親はちよを庇う様にちよの上に蔽い被さっていたとのことでした。
ちよの家も私どもと同じ鈴木の血筋と言うことでしたので、一色村の知り合いが子宝に恵まれなかった私どもに引き取ってはとお話がございまして女房と相談して引き取を決めた次第にございます」と主人は語った。さらに主人は「それにしても、僅か五歳の弱い足でよくぞ仁科の峠を越えてここまで来てくれたかと思います」と言うと瞼を拭った。私も堪えきれずに下を向いて目頭を押さえた。
さらに主人は続けた「私が言うのもなんですが、女房は町人でしたが学識がありまして、幼いちよを自分の子供のように愛しみまた時には厳しく叱咤していました。特に礼儀作法と読み書きそろ盤は大きくなって苦労しないようにと毎日教えていました。
その甲斐もあってか、ちよも女房の気持ちを徐々に分かってくれて、歯を食いしばって付いて来てくれていました。しかし、その女房が六年前の震災で倒れた箪笥の下敷きになり亡くなってしまいました」と唇を嚙み締めた。ちよは二度も震災で大切な人を失ったことになる。
第六話に続く
尚、本作は、歴史上の事実や伝承をベースにしつつ、史料の「空白」の部分を作者の想像で埋めた歴史エンターテインメントです。史実とは異なる展開や独自の解釈が含まれますが、江戸時代の息遣いを感じる物語としてお楽しみいただければ幸いです。
