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 時代小説「放浪の果てに」第一話

                                                                                           作:yoshi
時代背景
 三島は宝永四年(西暦1707年)十月四日に起きた宝永地震で殆どの家屋が倒壊した。
さらに追い打ちをかけるように同年十一月二十三日には富士山の南東中腹から噴煙が上がった。これが後に言われる宝永の大噴火だった。
この噴火は宝永四年十二月九日までの十六日間続いた。
地震で倒壊を免れた家屋も降り積もる火山灰や飛び散った軽石などの火山礫によって多数倒壊してしまった。さらには、山の中腹に降り積もった火山灰や軽石などの火山礫などが雨のたびに火山泥流となって、谷を雪崩のように駆け下り平地で溢れ出して民家や田畑を覆ってしまう災害が長い間続いた。
災害から六年、地元の並々ならぬ努力と幕府からの援助もあって三島の宿は目ざましい速さで復興を遂げてきた。
しかし、近辺の村々は復興が殆ど進まず、せっかく生き残ったのに土地を離れて離散する家族も多く、その中には娘を泣く泣く奉公に出す家もあった。
 其の一つの受け皿となったのが、いち早く復興を遂げつつあった三島宿だった。

第一話 三島宿 
 正徳三年四月(西暦1713年)、私は上方から江戸を目指して旅を続けて来た。私はこんな根の無い、そしていつ終わるとも知れない旅をもう十年の間続けている。歳もあと二つとれば五十路になる。心情的にはだいぶ疲れて来たので、このへんで何処かに落ち着きたいのだが。 

 この三島の宿にもこれまでにも何度か宿泊した。江戸へ向かうにはこれから箱根の峠を越えなければならない。今日は七つの刻をもう過ぎている、これから箱根峠越えは到底無理だ。急ぐ旅でもなしここ三島の宿で一泊することにしようか・・・。

 そう心でつぶやきながら、とある旅籠の前で足を止めた。暖簾には伏見屋とあった。その時ちょうど中から暖簾を手で掻き上げて出て来た姐さん被りに前掛け姿の女中らしき姿をした娘に声をかけた。

「姐さんはこの宿の女中さんかね」と聞いてみた。
娘はこの宿の女中らしく、腰を低くして頷いて「そうでございます」とほほ笑んで答えた。
私は続けてその女中さんに「今日の部屋は空いてるかい」と聞いた。
その女中さんはまだ幼さが残る白桃の様なほほを緩めて「まだ空きはございますよお客様」といった。
 その言葉と同時に姐さんは私に考える暇も与えず、袖を引くようにしての簾の中に招き入れた。

 姐さんは帳場に向かって「お一人様お着き」と元気な声で叫んだ。

中は少し薄暗く土間の框に腰を下ろして、今しがた着いたらしい二人の先客が、盥に足を入れて洗っていた。
私もその隣の上がり框に腰を下ろして草鞋の紐を解いた。
間もなくして先ほどの姐さんが私の盥を用意して桶からぬるま湯を入れてくれた。
私は草鞋を脱いで今日一日の疲れが溜まった足をぬるま湯の中に浸し足の指を一本一本揉み解すように洗っていった。その何とも言えない心地よさが足先から体中に広がった。洗い終わったところで姐さんが、手拭いで丁寧に水を拭き取ってくれた。

 框を上がって帳場の前に進むと番頭さんらしい白髪の引き締まった顔つきのご人が「よういらっしゃいました」と頭を下げた。
続いて「お泊り料金は二百文頂戴いたします」と言った。
私は振り分け荷から二指引出し手渡した。
宿帳記入は、番頭さんの問いかけに一つ一つ答えていった、番頭さんはそれを宿帳に入念に記録していった。
最期は記録した内容と私の往来手形を照合していた。
手形を私に返すとき番頭さんは一瞬物ありげな目で私を見た。
しかし、その目はすぐに商売人の笑顔に変わって、「部屋でごゆるりお過ごしください」と言うと、控えていた姐さんに目配せした。

その時、遠くで六つの刻の鐘音が鳴っていた。

姐さんの案内で、狭い廊下を通り部屋に通された。
「桐の間になります。この部屋が旦那様のお部屋となります」と言って、座布団を祖いてくれた。
「先ずは一服していただいて、其の後お風呂にいたしますか」と聞いた。
私は「では、そうしようかな」といった。

姐さんは、浴衣と手拭いを用意してくれた。私は浴衣に着替えて、姐さんが出してくれたお茶と茶菓子を味わいながら、これからの事を考えていた。

その時姐さんが私のもとにきて「旦那さん、お風呂にご案内します」といった。私は立ち上がって手拭いを持つと、貴重品だけ携えて宿の風呂場に向かった。風呂は宿の奥の中庭に面したところにあった。
季節は春だが三島の夕暮れ時は少し寒かった。姐さんは風呂の中を覗いて、空いていると言って私を招き入れた。脱衣所で浴衣を脱いで、貴重品は姐さんが預かってくれた。

中は湯気が立ち上って温かかった、姐さんは着物の裾を上げて袖は襷掛けで絡げた姿で桶に汲んだ湯を私の背中に掛けてから、手拭いで背中を力強く流してくれた。
その時姐さんは「旦那さんはいいお背中していますね」と言った、そして「私は夕餉の支度がありますからごゆっくり」と言って出て行った。
其の後私はゆっくりと湯船につかって、この先の事を思案した。
目的もなく江戸に行くのも憚られた。その前に、箱根の出入りが厳しい関所をどうするかもあった・・・。

風呂から帰ると姐さんは夕餉を運んできてくれた。
「先ほどは旦那さん何かお考え事でしたかねぇ、ずいぶんと真剣なお顔でしたが」と笑顔で私に話しかけた。
私はその笑顔に先ほどまでの沈みかけていた気持ちが散っていった。
夕餉のおかずは煮魚と野菜の煮物それと香の物のたくあんがそえられていた。
姐さんは、今夜は特別と言って酒も熱燗で持ってきてくれていた。おつまみは狩野川でとれた鮎の甘露煮を出してくれた。私は「酒はたのんでないよ」と言うと、姐さんは心得た様に微笑んで、「これは私からの心尽くしですから」言った。

そして、旦那様これをと言って、お風呂で預けた貴重品を渡してくれた。
姐さんは「さぁ、ぞうぞ」と言って私に猪口を渡して、徳利を傾けて注いでから「一気にあけちゃって下さい」と言った。

暫くしたところで、酒がまわって来た勢いで姐さんに尋ねた「ここでは何時もこんなにもてなしてくれるのかい」と尋ねた。
姐さんは「いいえそんなことはございませんよ」と答えた。
私は「私にふっかけようとしたって駄目だよ」と冗談交じりに言った。
姐さんは軽く笑って「滅相もございません」と答えた。

姐さんは観念したように答えた「実は私この宿の娘で、いま接客の勉強をさせていただいているところでございます、その中でどうしたらお客さんに喜んでいただけるか勉強しております」と答えた。
「そんなわけで、今日はお客様付きで勤めさせていただいております」と言った。
私は、少し複雑な気分で「そうかね」と言葉を濁した。

夕餉も済んで、五つの鐘の音が遠く響いて聞こえた。この屋の娘さんの名は「ちよ」と教えてくれた。これからは姐さんでなくおちよさんと呼ぶことにした。

おちよさんは、夕餉膳を片付けて寝床の支度をしてくれた。他の客もいたので、間に衝立を置いて、行燈も用意してくれた。

おちよさんは行燈の隣に座って、下がる気配は無かった。
若い凛とした顔が淡い行燈の光に浮き出て見えた。

暫くして「旦那さんの先ほどの思いに耽ったご様子を拝見して、私ごときが判るはずもない事とは存じておりますが」と小さな声で言った。
おちよさんは私の素性を読み取っていたようで、私の耳元で朱色の紅を引いた口もとをを両手でかざしながら囁くように「旦那さんはお武家様ではございませんか」と言った。
「お武家様が商人のお姿で旅をしていると言うのには余程の訳がおありなんでしょうね」と薄らごとや虚言が通用しない無垢な黒い瞳を向けられ、私は目で頷いた。
おちよさんはそれ以上聞かないで、自分の事を話し始めた。私の家はもともとは武士で鈴木姓を名乗っていました。と、うちわけるように話した。
第二話へ

尚、本作は、歴史上の事実や伝承をベースにしつつ、史料の「空白」の部分を作者の想像で埋めた歴史エンターテインメントです。史実とは異なる展開や独自の解釈が含まれますが、江戸時代の息遣いを感じる物語としてお楽しみいただければ幸いです。


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