時代小説「放浪の果てに」第四十六話
作:yoshi
第四十六話:紅の朝顔
その夜、さすがに今日の大平戸の件で疲れたためか、搗きやの音も気にならず寝入ってしまった。
夢の中で私は・・・、主人吉田忠左衛門様に従い、本所への雪道をひた走っていた。
丑の刻までに本所の隠れ宿に着かなくてはならない。
還暦を過ぎている主人は足音を忍ばせて、雪明りを頼りに素早い歩を進めていた。
私は主人に後れを取るまいと、必死な形相で追いすがっているのだが、舞い散る雪と足元の柔雪に行く手を阻まれて、思うように足が前に進まない。
主人は後ろの私に構うことなく、どんどん先に行って見えなくなってしまった。
その時、どこからか八つを告げる鐘の音が降りしきる雪を衝いて響いてきた。
はっと、目を覚ますと朝の光が一気に目に飛び込んできた。
枕元では和尚が朝のお勤めをしていて、鏧(きん)を叩いたところであった。
私はまたやってしまったと思い、即座に飛び起きて和尚の後ろに跪いた。
一緒に朝のお勤めをしていたちよが私の仕草を見て、「こないだ寝坊はしないと言ってたくせに、もう知りません」という顔つきで目を伏せてしまった。
今朝も今朝も梅雨の中休みで、外に出ると五月晴れの空が頭上に広がっていた。
寺の横の搗きやからは今日も杵を突く重い音が小屋の中から響いていた。
大平戸へ続く杉の林が、朝日を受けて金色に輝いて見えた。
大平戸では、菜種の後はすぐに陸稲の種を蒔くと権内殿は言っていた。
用水のいらない山の畑は水の心配もないし、そこでもち米の陸稲が育つのだから、上り下りに多少不便はあるがそれに代えがたい恵みをこの村にもたらしてくれている。
ちよの給仕で朝食をとって、出仕の支度をした。
今では、出仕の支度もちよが手伝ってくれるようになった。
出仕のための、小袖や羽織そして今履いている袴など当面必要なものは、権内殿がとりそろえて用意してくれたものである。
私とちよの入用は権内殿の寺への寄進と、ちよには伏見屋の主人宗兵衛殿から寺への相応の寄進があったと和尚が言っていた。
何れにしても、私もちよもいつまでも寺にやっかいになっているわけにはいかぬであろう。
和尚もはまさんも和顔愛語で接してくれているので、いまは特段何の不平も不満も無いのでござるが・・・。
今朝もちよは私の慣れない袴の紐締めを手伝いながら「しんさん、大そうお似合いですよ、今日も気張って行ってらっしゃいませ。」と紅朝顔がぱっと咲いたような笑顔を見せて、私を鼓舞してくれた。
第四十七話に続く
尚、本作は、歴史上の事実や伝承をベースにしつつ、史料の「空白」の部分を作者の想像で埋めた歴史エンターテインメントです。史実とは異なる展開や独自の解釈が含まれますが、江戸時代の息遣いを感じる物語としてお楽しみいただければ幸いです。
