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「生きる言葉」 俵万智 著 新潮新書

俵さんの短歌、
生ビール買い求めいる君の手をふと見るそしてつくづくと見る(p.163)
なんでもない会話なんでもない笑顔なんでもないからふるさとが好き(p.165)
に、僕は唸ってしまいました。

東京大学の阿部公彦教授は、最初の短歌を例に挙げ、「俵さんの短歌は、全体に言葉のつかいかたが贅沢ですね(p.163)」と評しています。

2つ目の短歌は、阿部公彦教授の言葉を受けて俵さん自身が例に挙げた「ぜいたく短歌」です。

最初の短歌では、「見る」という言葉が2度、次の短歌では、「なんでもない」が3回も出てきます。

「たった31文字の中に、同じ言葉を何度も使うなんて、勿体無い。もっと他の言葉を使った方がより情景が明確になるのではないか」などと思ってしまうのですが、それは、「情報を詰め込み過ぎる(p.163)」という短歌の初心者あるあるなのだそうです。僕は初心者どころか、素人ですので、お許し願いたいと思います。

情報を詰め込み過ぎると、その奥底に無限に広がる世界を感じることが難しい。情報による説明で終わってしまうのです。

31文字でありながら、短歌には隙間があるのです。

その隙間から、世界が見えてきます。

そして、隙間から見える世界は人それぞれ。微妙に見る角度が違うので、見えてくる世界も違ってくるのです。

ですから、言葉で全てを説明しようなどと考えるのは傲慢というものなのでしょう。

「そもそも言葉と世界とは、一対一で対応していないし、絶望的にズレがある。(p.168)」と俵さんは書いています。「僕は詩を書き始めたときから詩を疑っていたし、言葉も疑っていたんです(p.168)」と俵さんとの対談の中で、谷川俊太郎さんは言います。

「青」という言葉から僕が感じるものと、他の人が感じる「青」は、全く同じというわけではありません。

短歌にしろ詩にしろ小説にしろ絵画にしろ音楽にしろ、そこから何を感じるのかは人それぞれ千差万別なのです。

アートとは、無限と無限を結ぶ特異点みたいなものかと思いました。

短歌はもっとも洗練された特異点の一つなのでしょう。そしてそれを洗練させるためには、言葉のチョイスが大切なのです。

この本にはたくさんの生きた言葉が出てきます。

「賢い」とは、「笑顔である事。幸せである事。正直である事。誇りを持つ事。(p.105)」という自閉症の男性の言葉が紹介されています。

とても美しい言葉だと思いました。



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