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vol.16 兄の経験を教訓に。次男のシリコンバレー留学がスムーズだった理由

次男が進学したのは、Apple創業者スティーブ・ウォズニアックが卒業したことで知られるDe Anza College(ディ・アンザ・カレッジ)
カリフォルニア州クパチーノ、まさにシリコンバレーのど真ん中にあるコミュニティカレッジです。

きれいで空も青いキャンパス

長男が留学初期にホームステイで苦労した経験から、次男は最初からシェアハウス一択。「どこに住むか」は留学生活の質を大きく左右します。家探しの重要性については以下の記事で書いた通りです。

コロナ禍で、まさかの「入学できても入国できない」事態に

ところが入学手続きも完了し、いよいよ通い始めようとしていた8月。
突然、告げられたのは「インターナショナル生は入国できません」の一言でした。入学はできたものの、渡米は叶わず……。
そこから約1年間、日本からのオンライン受講という、思ってもみなかった形の留学生活が始まりました。

そもそも、コミュニティカレッジは地域住民のための教育機関という側面が強く、留学生は“イレギュラーな存在”です。パンデミック下では留学生への渡航許可が下りなかったのです。

De Anza Collegeの風景。高速の右側、かつ、高速にかかった橋の通りの手前側がキャンパス

一方、UCバークレーに通う長男はというと、州立の上級研究大学として、外国人の在籍はごく自然なこと。何事もなかったかのように、キャンパスでの生活を続けていました。
アメリカでは誰もマスクをつけておらず、日本に一時帰国した際には、ホテルでの隔離生活を強いられ「日本はどうなってるの!?」と驚いていたほどです。

次男が日本から受講したオンライン授業は、主にビデオを視聴し、感想を提出するスタイル。単位自体は取りやすい一方で、次男のキャンパスライフは完全にストップしました。
さらに、提供されるオンライン授業の数が限られていたため、トランスファーに必要な単位が取りきれず、在籍は3年に延長されることに。

とはいえ、学費は単位数に応じた従量制です。
実質的には“緩やかな休学”のような形になり、経済的な負担が大きく膨らまずに済んだのは、不幸中の幸いでした。

コロナ明けの新生活、日本車を購入!

それから1年後、ようやくコロナが明け、次男はサンノゼへ。
サンノゼは、買い物ひとつとっても車がないと生活が成り立たない都市です。最初は市街を走る学生無料のバスを使っていたものの、「これは無理だな」と判断し、思い切って日本車を購入しました。

アメリカでは、中古車が高値で売れることも珍しくありません。
便利な場所に高い家賃を払って住むよりも、車で自由に動ける方が合理的だと考えての購入でした。
免許取得も日本と比べてずっと簡単。筆記試験に合格し、免許保有者を助手席に乗せて練習すればOK。教習所も不要です。

こうして次男は、バークレーに住む兄のもとへも、自由に行き来できるようになりました。

シェアハウス、IEP、無理のないコマ数…長男の経験を活かした次男の留学生活

次男がシェアハウスで一緒に暮らしたのは、マレーシア出身のアンダーソン君。De Anza Callege では、アジア人学生コミュニティの代表を務めていて、面倒見もよく、次男をいろいろな所に連れて行ってくれました。

バークレーのコンピューターサイエンスへの編入を目指しており、すでにバークレーの学生ともつながっていた彼。
次男もバークレーで開催されるハロウィンパーティーに誘われ、その情報を兄(長男)が聞きつけて参加するという、兄弟逆転の珍現象まで起きていました(笑)。

UCバークレーでのハロウィンパーティーに参戦!

また兄の経験を活かし、次男は最初から留学生向けの IEP(集中英語プログラム)を選択。週2〜3コマの無理のない履修登録で、生活の立ち上がりもとてもスムーズでした。

専攻は、アプリ開発の経験があったのでコンピューターサイエンスに。しかし入学直後、レベルの違いに愕然。なにせDe Anzaは、AppleやGoogleを目指す学生が集まるシリコンバレーです。
この分野で、しかも留学生としてAを取り続けるのは至難の業。

兄の試行錯誤を間近で見ていた次男は、「オールAを取る」と早々に方針を定め、専攻にはこだわらず、さまざまな授業を取りながら自分に合う分野を探すことにしました。

結果的として出会ったのが、地理学(Geology)という分野。これが彼には非常にフィットし、後に大学での専攻となります。
今思えば、この早期の方向転換は大正解でした。

ちなみにハウスメイトのアンダーソン君は、その後バークレーのコンピューターサイエンスに編入。3歳からプログラミングをしていたという彼は、トップクラスの成績で合格したそうです。次男もまた、本当にいい出会いに恵まれました。

日本人会を立ち上げた次男。助けてもらう側から、助ける側へ

その後、次男はDe Anza Callegeで日本人会を立ち上げ、プレジデント(代表)を務めることになりました。

留学1年目の学生がつまずきやすい
・ハウジングの探し方、住み方
・履修の組み方
・キャンパスでの情報収集の方法
などを、後輩の新入生たちに伝える活動です。

このような課外活動は、4年制大学へのトランスファー時に提出するエッセイでも大きな武器になります。

私がサンノゼに遊びに行った日は、ちょうどその日本人会のバーベキューの日でした。

「僕は予定があるから、パパは仕事でもしててよ。
 あ、その前にバーベキューの材料を運ぶの手伝って。」

こう言われたときは、思わず笑ってしまいました。けれど同時に、とても頼もしく感じました。

日本人会でバーベキューの準備

兄の苦労を教訓にしながら、自分なりのペースで留学生活を築いてきた次男。不測の事態に見舞われながらも、立ち止まらず、柔軟に進路を切り拓いてきました。

かつて支えてもらっていた立場から、後輩たちを支える側へ。
ひとりの「学生」としてだけでなく、ひとりの「人」として、確かに彼は成長していました。

サンノゼ近くのサンタ・クルーズの海岸に次男とドライブに行った時の写真

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