元気がないのに、今日も書こうとしていた。
夜、スマートフォンを開き、noteの投稿画面を眺めていた。
書きたいことが、何もないわけではない。
人との関わり方についても、仕事についても、少しずつ気づいたことはある。
けれど、それを文章にするところまで、今日は気持ちがついてこなかった。
タイトルを考えてみても、しっくりこない。
最初の一文を書いては消し、いったん画面を閉じる。
しばらくして、またnoteを開く。
そんなことを何度か繰り返していた。
「今日は、もう書かなくてもいいかな」
そう思いながら、それでも投稿画面から離れられない自分がいた。
以前のわたしなら、こんな日は自分を動かそうとしていたと思う。
せっかく続けてきたのだから、今日も書かなければならない。
書くと決めたのだから、最後までやり切らなければならない。
動けない自分に、さらに重たい言葉をのせていた。
けれど今日は、少し違う見方をしてみた。
元気がないのにnoteを開いたのは、努力が足りないからでも、意志が弱いからでもない。
むしろ、元気がない日にも、わたしの中には「書きたい」が残っていた。
何か立派なことを伝えたいわけではない。
誰かを元気にできるような、きれいな言葉が浮かんでいるわけでもない。
それでも、自分の中にあるものを、少しだけ言葉にしておきたかった。
元気がないことと、もうやめたいことは、同じではないのかもしれない。
動けない日にも、心の奥には残っているものがある。
好きだった気持ち。
大切にしたかったこと。
本当は、もう一度やってみたいと思っていること。
元気な日には、大きな声に隠れて気づけなかった小さな気持ちが、静かな日には見えることもある。
だから今日は、前向きになろうとするのをやめた。
いつものように、きれいにまとめることもやめた。
ただ、元気がない自分が、それでもnoteを開いたことだけを書いておこうと思った。
何も進められなかったように見える日にも、完全に止まっているとは限らない。
パソコンを開いた。
ノートを机に置いた。
ほんの数分だけでも、続きを考えた。
それくらいのことなら、なかったことにしなくてもいい。
元気がない日は、元気な日のようには進めない。
けれど、元気がない日にしか見つけられない自分の気持ちもある。
今日のわたしにできたのは、ここまでだった。
でも、「書けなかった日」ではなく、「少しだけ書けた日」として終わってもいいのだと思う。
明日、続きを書けるかは分からない。
それでも今夜は、まだ自分の中に「書きたい」が残っていたことを、静かに受け取っておきたい。
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