あの世のはざまの「ぼくきみ物語」〜地獄の沙汰もチャンネル次第〜【第2章 #3】
※この世界地図は、文中にある彼が描いた世界地図です
第2章 筆談とミケランジェロ
「あなたは誰なの?」
その答えを知りたかった。
思い返せば、すべての始まりは絵からだった。
私は気がつけば、外出する際も常にスケッチブックとペンを持ち歩くようになっていた。
15年前、あの部屋で何かに取り憑かれたように夢中で描き続けた絵は、いつの間にか数十冊にも及んでいた。
やがて絵を描く衝動が少し落ち着いた頃、私はその不思議な存在と「筆談」を試みることにした。
自分の身に一体何が起きているのか。
私の手を動かしているのは誰なのか。
どうしても、その正体を知りたかった。
私は自室の机に向かい、描きかけの画用紙の余白へ、文字で問いかけた。
「あなたは誰なの?」
何度問いかけても、日本語を書こうとすると右手はぴたりと止まり、返事はなかった。
(もしかしたら、日本語が通じないのだろうか……)
そう直感した私は、拙い英語で書き記した。
「Who are you?」
「Your name?」
その瞬間だった。
ペンを握る私の手が激しく震え、猛然と動き出した。
「LOOK! LOOK!」
まるで「見ろ!」と叫ぶかのように、アルファベットを一文字ずつ、力強く紙へ刻み始めた。
「M」
「I」
「C」
「H」
「E」
・
「L」
・
「A」
・
「N」
・
「G」
・
「E」
・
「L」
・
「O」
並んだ文字を、つなげて読んでみる。
M・I・C・H・E・L・A・N・G・E・L・O
ミケランジェロ!
「はっ……?」
誰もいない部屋に、思わず私の声が響いた。
「……ミケランジェロって、あのルネサンス期の画家の?」
名前らしきものが返ってきた驚きと、言葉が通じた嬉しさはあった。
けれど、その意味はまったく分からなかった。
なぜなら、彼に対して失礼かもしれないが、実際に描かれる絵のイメージは、偉大な画家の作風とはどうしても重ならない気がしたのだ。
その後も、私の右手は奇妙な動きを止めなかった。
今度は、イタリア、フランス、イギリスの地図を描き始めた。
さらに、どこかの地方を説明するような細かな図解が続き、やがては広大な世界地図まで描き始めてしまった。
私は地図が苦手で、地図帳を見ながらでも正確には描けない。
それなのに私の右手は、何も見ていないはずなのに、さらさらと迷いなく世界地図を描き出していく。
私はただ、机の前で呆然と見つめることしかできなかった。
あまりにも壮大すぎて、言葉が出てこない。
会話も、まったく噛み合わない。
そこで私は作戦を変えた。
次は「YES」か「NO」で答えられる、簡単な質問だけを投げかけてみることにしたのだ。
けれど結局、彼がなぜミケランジェロと名乗ったのか、なぜ世界地図を描いたのか、その謎はひとつも解けないままだった。
答えは見つからない。
それでも私は、不思議と怖くはなかった。
むしろ、この正体の分からない存在のことを、もっと知りたいという気持ちのほうが大きくなっていた。
そして、この時の私はまだ知らなかった。
あの日、耳元で聞こえた――
「ぼくのこと怖くない?」
そう問いかけた存在との、本当の物語がここから始まることを。
私は答えを得られないまま、この内なる存在との奇妙な共同生活へと足を踏み入れていく。

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※本作は、いつも一緒にいてくれる「内なる存在」との絆、そして私自身の地獄からの生還を描く、全2巻(前後編)の【前編】となります。
🔗 続きはこちら【第3章 姿なき同居人と大渋滞の脳内 】
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