あの世のはざまの「ぼくきみ物語」〜地獄の沙汰もチャンネル次第〜【第3章 #4】
第3章 姿なき同居人と大渋滞の脳内
いま耳元で声かけてきている彼の名前を、私はまだ聞いていなかった。
そのため、のちに彼から詳しい話を聞くまでは、あの筆談で「ミケランジェロ」と名乗った存在と同一人物なのだろうと、当時の私は勝手に思い込んでいた。
彼の声は聞こえる。けれど、姿は見えないし、イメージすることもできない。
だが、「ぼくのこと怖くない?」と言われた日を境に、声の主は、四六時中、私についてくるようになった。
そう、トイレにも、お風呂にも、だ。
自宅のトイレで用を足すときは、とにかく、とてつもない恥ずかしさを感じた。こんな未知の体験は、人生で一度もしたことがない。なんて表現していいのか分からないが、とにかく音やにおいが気になった。
それでも日が経つうちに、不思議なことに、彼はだんだんと身内のような、なくてはならない存在になっていった。人間の適応力とは恐ろしいものだ。
お風呂での気まずさにも、なんとか折り合いをつけられるようになった頃、私は湯船に浸かりながら、虚空に向かって思い切って聞いてみた。
「ねえ……ぶっちゃけ、見えてる?」
「見えてないよ」
彼は、静かに、あっさりと答える。
(本当に見えていないのだろうか。それとも紳士協定として、見えないふりをしてくれているのだろうか……)
疑念は尽きなかったが、これ以上追及して不都合な真実を暴いてしまうのも怖かったので、それ以上は聞かないことにした。
だが、一番の苦痛だったのは、お風呂やトイレよりも、『自分の心の中をすべて知られてしまうこと』だった。
いま振り返れば、あの時の私は彼によって、自分自身の深層心理と向き合うよう導かれていたのかもしれない。自覚さえしていなかった心の奥底を、無理やり引きずり出されるような感覚……。なぜなら、私の内側から制御不能な「本音」が、次から次へと溢れ出てくるようになったからだ。
「この生活は、いつまで続くんだろう」
「不思議な存在と話せるなんて、ちょっと楽しいかも?」
「もしかして、神様のような存在なのかな……」
「いやいや、どこまでもストーカーみたいについてこられるのは、やっぱり嫌!」
ベッドに横たわる私の脳内では、矛盾する本音が激しく渦巻いていた。「変なことを考えちゃダメだ!」と思えば思うほど、脳内は禁止された思考で大渋滞を起こしていく。
すると突然、彼が言った。
「大丈夫だよ。ぼくはきみの心の声なんて、聞いていないからね」
その言葉を聞いた瞬間、私の顔は赤くなったり青くなったりと大忙しだった。
(いや、その完璧すぎるタイミング! 一言一句漏らさず聞こえてるってことでしょ!?)
私は心の中で、全力のノリツッコミを入れた。
だが、すぐに気づいてしまった。彼が心を読んでいたわけではないことに。
「変なことを考えちゃダメだ」と焦るあまり、私は心の中の思考をすべて、リアルタイムでブツブツと口に出していたのだ。
そりゃあ彼も「心の声」なんて聞く必要はない。
私の「実際の声」が、部屋中に響き渡っていたのだから。
あまりにもマヌケな結末。ただ一つ確かなのは、彼には私の心の動きが、その筒抜けの独り言を通じて手に取るように見えていた、ということだった。

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※本作は、いつも一緒にいてくれる「内なる存在」との絆、そして私自身の地獄からの生還を描く、全2巻(前後編)の【前編】となります。
🔗 続きはこちら【第4章 ハリー・リーガス・スカイナー】
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