教育実習|成功のカギを握る|教材研究【高校教員応援マガジン】

5月に入りました。
教育実習、皆さんの地域ではいつ頃でしょうか。
私の知る限りでは、6月頃と9月頃が多いです。
ただし、近年は教員採用試験が前倒しになる傾向がありますから、夏休み前の設定に苦慮しているようです。
<参考>
▼教員採用試験の日程 前倒し 民間企業の面接より早める 2025年度は実施日の目安「標準日」5月11日に(NHK 2024.4.30)
今回は「教育実習生としての思い出」・「実習生を迎える側としての経験」双方を通して、重要だと感じたことをお伝えしたいと思います。
教育実習で生徒に接し、教える喜びを知り、「先生になる決意を固めた」という人がいます。
逆に、想像していなかった学校の現実を知り、「先生になるのを辞めた」という人がいます。
34年間教員を勤め、困難を上回るやりがいを味わった私としては、全ての実習生が前者であってほしいと願います。
▶ 私自身の教育実習
さて、私自身の教育実習は、もう40年前のことになります。
昔々、です。
大学院に進むつもりでしたが、「いつか」は先生になりたい気持ちがあり、教職課程をとりました。
高校教員の場合、教育実習は昔も今も2週間。
あっという間です。
実習校は母校。
これも基本的に変わらないと思います。
母校に自分で頼みに行きますが、担当できる実習生の数には限りがあり、基本、先着順です。
私は出遅れたのでしょう。
春の前期の枠に入れず、秋の後期に回りました。
母校へ行くと、ほとんど変わっていない先生たちの顔ぶれ。
私は不遜にも、「自分の方が教えるのは上手いだろう」と思いました。
自信の根拠は学生時代に感じていた不満です。
一方的に説明する先生。
わからないなら「悪いのは努力しない生徒だ」と、生徒の頭の中がどうなっているかを気にしない先生。
私は、生徒に年齢も近く、頭の中を想像し、問いかけながら説明できると思いました。
倫理を担当しましたが、当時の私は哲学「狂い」。
かなりの時間とエネルギーを費やしていたので、知識とわかりやすい説明に自信がありました。
授業実習はたった4コマでした。
2回分×2クラスです。
現在、そんなに少ないコマ数で実習することはないと思います。
担当の先生の指導はほとんどありませんでした。
「好きにやってご覧」という感じです。
1回目の授業は板書計画もつくりませんでした。
黒板に書き、適当なところを消しては書く。まるで当時の大学の講義にあったみたいに。
さすがに、その点は指導されました。
倫理には思想家・哲学者と言われる人たちが出てきます。
私は「なりきって」授業をしました。
ダ・ヴィンチとして手記の言葉を読み上げ、ピコ・デラ・ミランドラになって「自由意志」の重要性を語りました。
「学ぶこと」は「真似ること」と言いますし、楽しく演じ、まるで私が考えたことであるかのように熱弁を振るいました。
そんな私のパワーに生徒は驚き、圧倒されているようでした。
「面白かった」「わかりやすかった」と感想を伝えてくれた生徒がいて、嬉しかったです。
なお、分掌業務や部活動指導には一切関わりませんでしたので、日本の教員特有の忙しさを知ることはありませんでした。
そんな事情もあり、「教育は楽しい仕事だ!」と思った教育実習でした。

▶ 指導する立場としての教育実習
その後、大学院修士課程を終えて教員になり、縁があって母校勤務となりました。
ほぼ毎年、教育実習生が来ました。
自分の時のことは棚に上げ、「しごき」のような指導をしました。
私の要求レベルはとても高かったと思います。
結果的に、実習生は夜を徹して授業準備をしていたようです。
なぜ私は厳しかったのか。それは教材研究が甘いと思ったからです。
もちろん、教員に大切なこととして、教育への志、情熱、生徒への教育的愛情といった、精神面があげられます。
教育に係る見識も欠かせません。
しかし、まず、教科の専門性がなければ、プロとはいえないのではないでしょうか。
生徒には、生涯にわたって役に立つ学力を身につけてほしい。
学力とは、知識・技能、思考・判断・表現、主体的に学びに臨む態度が合わさったものです。
そして「教材」(学ぶ材料、知識)なくして学力の伸長はありません。
教員は、教材を説明することができなければ、生徒を導くことも、アシストすることも、サポートすることもできません。
教壇に立つための大前提は教材(教科書及び副教材)の理解なのです。
表面的ではなく、深い理解が必要です。
教科書を正しく、真に読解できること。
知識が成り立つ発端の問い、探究のプロセス、知識の意味を含めた理解です。
「小学生に教えるためには中学校レベルの知識の完璧な理解、中学生に教えるためには高校レベルの、高校生に教えるためには大学レベルの完璧な理解が必要だ」
教職を学んでいたとき聞いた言葉ですが、そのとおりだと思います。
自分が理解していないことを教えることはできないし、教えてはいけない。
そこが教師の専門性の厳しさです。

▶ 社会科(地歴・公民科)の教材研究
私自身の担当科目「社会科」を例に話をします。
私は大学院の修士課程まで行き、哲学を学びました。
しかし、教員になり、倫理を教えるとなると、あらためて、専門性を身につけるための学び直しが必要でした。
さらに社会(現在の地歴・公民)は、専門以外の科目を担当せざるを得ないケースがほとんどです。
地方の小規模校から札幌の進学校に異動したときは、いきなり、1人で全ての地理科目を担当しました。
3年の文系地理、理系地理。
2年の文系地理、理系地理。
講習、模試分析の全て。
夜遅くまで、また、休みの日も教材研究に励まなければ、これらの授業をすることはできませんでした。
無我夢中でしたが、きつかったです。
今思い出しても、きついです。
授業準備に少し余裕を持てるようになるまで、3年はかかりました。
私の教材研究は、まずは教科書の読み込みです。
何度も何度も読まなければ、本質や意味、論理、関連性など説明できるようになりません。
さらに資料集、用語集。
指導書も読み込みました。
参考書も複数読みました。
だからと言って、指導書・参考書のとおりに教えるということではありません。
学校や生徒の現実、進路希望を踏まえると、何かをただ読み上げながら授業を進めるなど不可能なのです。
目の前の生徒に応じ、必要な学びを差し出すためには、深い理解が必要なのです。
そうでなければ、社会は「暗記科目」となってしまいます。

▶ 教育実習生に絶対に使ってほしくないフレーズ
さて、「しごき」のごとき私の実習生への指導でしたが、
もちろん私が数年かけて行った教材研究を、教育実習生が一朝一夕でできるはずはありません。
しかし、深い理解の必要性を認識してほしかったのです。
どれだけ学んでも、自分の知識が完璧ではないという自覚を持ってほしい。
わかっていたつもりなのに、いざ説明しようとすると理解が不十分であることに慌ててほしい。
わかったふりをしないでほしい。教員には、知的誠実さが必要不可欠です。
そう思い、厳しく指導しました。
特に強く指導したのは、「ここが重要だから覚えてください」というフレーズを使った時です。
「テストに出るので、アンダーラインを引いてください(赤字で書きなさい)」なんて、もってのほかです。
学びに対する謙虚な姿勢、知識に対する探究精神、それを生徒に示してほしいと思っていました。
率先垂範が全てです。
教えるプロとしての教材研究は大変です。
しかし、そこには自分自身が学ぶ喜びがあります。
理解が深まり自分の学力が高まる喜びゆえに、困難を乗り越えることができる。
それが感じられないなら、先生にはならない方がよい…と私は思っています。

▶ 教材研究の楽しさ
厳しい話が続きましたが、教材研究には授業デザインの楽しさがあります。
生徒の学びのアクティビティをどのように組み合わせるか。
私の時代は、教科書を読むこと、説明を聞くこと、ノートを書くことが基本でした。
その3つを組み合わせ、いかに思考を促し、興味関心を高めるかが勝負でした。
今は、さらにアクティブ・ラーニングの手法、ICT、一人一台端末があります。
ペアトークをしたり、考えをまとめて全体でシェアしたり、自分で調べたりするアクティビティをどこに差し込むか。
同じ学習内容でも、授業デザインは無限です。
授業を設計することに、創造のやりがいがあります。
そして、試行錯誤した結果、生徒の学びへの集中、「わかった、できた」の声、意欲や興味関心の高まり。
先生しか味わえない喜びです。
学びによる生徒の変容に立ち会える幸福。
教育実習。
教材研究を中心にプロとしての困難と、それを乗り越えさせてくれる喜び、その両方を認識する経験となってほしいです。

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