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【十戒】創造主である神の戒めは、すべての人が対象です


創造主の価値観である「神の戒め」をご存じでしょうか。
神の戒めとは、「十戒じっかい」のことです。

聖書を読んだことがなくても「十戒」という言葉は、聞いたことがあるかもしれません。

わたしたち日本人にとっては、けっこう当たり前のことが書かれています。

この記事は、十戒について次の順序で書きました。



十戒の全文


十戒の全文(十戒の直接の記述)は、聖書の「しゅつエジプト記 20章1~17節」と「申命しんめい記 5章6~21節」に書かれています。

一つ目の記述である出エジプトから、全文を見てみましょう。
文頭にある数字は、節の数字です。十戒の番号ではありません。

【出エジプト記 20章1~17節】
1 神はこのすべての言葉を語って言われた。
2 「わたしはあなたの神、主であって、あなたをエジプトの地、奴隷の家から導き出した者である。
3 あなたはわたしのほかに、なにものをも神としてはならない。
4 あなたは自分のために、刻んだ像を造ってはならない。上は天にあるもの、下は地にあるもの、また地の下の水のなかにあるものの、どんな形をも造ってはならない。 5 それにひれ伏してはならない。それに仕えてはならない。あなたの神、主であるわたしは、ねたむ神であるから、わたしを憎むものは、父の罪を子に報いて、三、四代に及ぼし、 6 わたしを愛し、わたしの戒めを守るものには、恵みを施して、千代に至るであろう。
7 あなたは、あなたの神、主の名を、みだりに唱えてはならない。主は、み名をみだりに唱えるものを、罰しないでは置かないであろう。
8 安息日を覚えて、これを聖とせよ。 9 六日のあいだ働いてあなたのすべてのわざをせよ。 10 七日目はあなたの神、主の安息であるから、なんのわざをもしてはならない。あなたもあなたのむすこ、娘、しもべ、はしため、家畜、またあなたの門のうちにいる他国の人もそうである。 11 主は六日のうちに、天と地と海と、その中のすべてのものを造って、七日目に休まれたからである。それで主は安息日を祝福して聖とされた。
12 あなたの父と母を敬え。これは、あなたの神、主が賜わる地で、あなたが長く生きるためである。
13 あなたは殺してはならない。
14 あなたは姦淫してはならない。
15 あなたは盗んではならない。
16 あなたは隣人について、偽証してはならない。
17 あなたは隣人の家をむさぼってはならない。隣人の妻、しもべ、はしため、牛、ろば、またすべて隣人のものをむさぼってはならない」。

口語訳 ©2022 日本聖書協会

これは、十戒の全容が初めて文字で明文化されたものです。

イスラエルの指導者モーセが民を正しく導くために与えられたものです。
この全文を十戒だとする考え方もありますが、「~してはならない」「~せよ」の部分が「戒め」と捉えるのが自然でしょう。

もう一つの記述である申命記には、(ここに載せませんが)「~してはならない」「~せよ」の部分は出エジプト記とほぼ同じで、説明と思える部分に若干の違いがありますので、「~してはならない」「~せよ」の部分が「戒め」と捉えて問題ないでしょう。

実際には、ご覧のとおり本文には十個の番号が振られているわけではありませんが、「十の戒め」と言われています。

戒めの部分のみを抜粋したのが、次になります。


十戒


  1. あなたはわたしのほかに、なにものをもかみとしてはならない。

  2. あなたは自分じぶんのために、きざんだぞうつくってはならない。うえてんにあるもの、したにあるもの、またしたみずのなかにあるものの、どんなかたちをもつくってはならない。それにひれしてはならない。それにつかえてはならない。

  3. あなたは、あなたのかみしゅを、みだりにとなえてはならない。

  4. 安息日あんそくにちおぼえて、これをせいとせよ。六日むいかのあいだはたらいてあなたのすべてのわざをせよ。七日目なのかめはあなたのかみしゅ安息あんそくであるから、なんのわざをもしてはならない。

  5. あなたのちちははうやまえ。

  6. あなたはころしてはならない。

  7. あなたは姦淫かんいんしてはならない。

  8. あなたはぬすんではならない。

  9. あなたは隣人となりびとについて、偽証ぎしょうしてはならない。

  10. あなたは隣人となりびといえをむさぼってはならない。


十戒とモーセ律法とは区別される


モーセが十戒を受けた時、イスラエルの民を聖別するために様々な規定からなる他の律法(いわゆるモーセ律法)も与えられました。キリスト教会やクリスチャンの中には、十戒とモーセ律法とを同一視、または、混同している場合があります。しかし、聖書では、十戒とモーセ律法とは明確に区別されています。

📍十戒とモーセ律法との区別について詳しくは、下の記事をご覧ください。


十戒は最初の人と共にあった


十戒は、いつからあったのでしょうか。
聖書には、モーセがイスラエルの民を連れて奴隷の地エジプトを脱出した後、十戒が書かれた石の板を受け取ったとありますが、十戒は、この時に出来たのではありません。

聖書は、モーセの時代よりもっと前の、最初の人と共にあったことを示唆しています。
一つずつ見ていきましょう。


モーセの時代より前の十戒の適用


【第一戒】あなたはわたしのほかに、なにものをもかみとしてはならない。

【創世記 4章26節】
セツにもまた男の子が生れた。
彼はその名をエノスと名づけた。この時、人々は主の名を呼び始めた。

👉 最初の人々は、すでに真の神を礼拝していたことがわかります。また、ノア(創世記8章20節)やアブラハム(創世記12章8節)は祭壇を築き、唯一の神を礼拝していました。
これは、第一戒が存在していたことを示唆します。


【第二戒】あなたは自分じぶんのために、きざんだぞうつくってはならない。

【創世記 35章2節】
ヤコブは、その家族および共にいるすべての者に言った、「あなたがたのうちにある異なる神々を捨て、身を清めて着物を着替えなさい

👉 ヤコブが偶像を取り除くよう命じていることから、偶像崇拝が神の御旨に反していたことがわかります。
これは、第二戒がすでに存在していたことを示唆します。


【第三戒】あなたは、あなたのかみしゅを、みだりにとなえてはならない。

【創世記 4章23-24節】(レメクの傲慢な誓い)
レメクはその妻たちに言った、「アダとチラよ、わたしの声を聞け、レメクの妻たちよ、わたしの言葉に耳を傾けよ。わたしは受ける傷のために、人を殺し、受ける打ち傷のために、わたしは若者を殺す。カインのための復讐が七倍ならば、レメクのための復讐は七十七倍」。

👉 レメクは自分の力を誇り、神の裁きを勝手に宣言しています。
これは、神の権威を軽視し、神の名を自分勝手に使う行為とも考えられます。第三戒の違反に近いと言えます。

【出エジプト記 5章2節】(ファラオの神への冒涜)
パロは言った、「主とはいったい何者か。わたしがその声に聞き従ってイスラエルを去らせなければならないのか。わたしは主を知らない。またイスラエルを去らせはしない」。

👉 ファラオは神の名を否定し、軽んじました。その結果、エジプトには十の災いが下されました。
これは、第三戒に違反する例です。


【第四戒】安息日あんそくにちおぼえて、これをせいとせよ。

【創世記 2章3節】(創造の終わりに聖別)
神はその第七日を祝福して、これを聖別された。
神がこの日に、そのすべての創造のわざを終って休まれたからである。

👉 神は創造の終わりに安息日を定められました。
これは、最初の人と共に安息日が存在していたことを示しています。

【出エジプト記 16章22-23節】(マナの供給)
六日目には、彼らは二倍のパン、すなわちひとりに二オメルを集めた。

そこで、会衆の長たちは皆きて、モーセに告げたが、モーセは彼らに言った、「主の語られたのはこうである、『あすは主の聖安息日で休みである。きょう、焼こうとするものを焼き、煮ようとするものを煮なさい。残ったものはみな朝までたくわえて保存しなさい』と」。

👉 モーセが十戒を受ける前に、神は安息日を教え、六日間マナを集め、七日目には休むように命じました。


【第五戒】あなたのちちははうやまえ。

【創世記 9章22-25節】
カナンの父ハムは父の裸を見て、外にいるふたりの兄弟に告げた。
セムとヤペテとは着物を取って、肩にかけ、うしろ向きに歩み寄って、父の裸をおおい、顔をそむけて父の裸を見なかった。

やがてノアは酔いがさめて、末の子が彼にした事を知ったとき、彼は言った、「カナンはのろわれよ。彼はしもべのしもべとなって、その兄弟たちに仕える」。

👉 ハムは父ノアを敬わず、その結果、ノアは彼の子孫に呪いを宣言しました。
これは、父母を敬うことが神の価値観であることを示しています。


【第六戒】あなたはころしてはならない。

【創世記 4章8-12節】(カインとアベル)
カインは弟アベルに言った、「さあ、野原へ行こう」。
彼らが野にいたとき、カインは弟アベルに立ちかかって、これを殺した。

👉 神はカインに厳しい裁きを下しました。
これは、殺人が神の戒めに反する罪であることを示しています。

【創世記 9章6節】
人の血を流すものは、人に血を流される、神が自分のかたちに人を造られたゆえに。

👉 これは、殺人が神の創造の秩序に反する罪であることを示しています。


【第七戒】あなたは姦淫かんいんしてはならない。

【創世記 39章7-9節】(奴隷ヨセフと主人の妻)
これらの事の後、主人の妻はヨセフに目をつけて言った、「わたしと寝なさい」。

ヨセフは拒んで、主人の妻に言った、
「(中略)どうしてわたしはこの大きな悪をおこなって、神に罪を犯すことができましょう」。

👉 ヨセフは姦淫を「神への罪」と認識していました。
これは、姦淫がモーセの時代よりも前から、神の価値観に反する行為だったことがわかります。


【第八戒】あなたはぬすんではならない。

【創世記 31章30節】(ラケルが父の偶像を盗む)
今あなたが逃げ出したのは父の家が非常に恋しくなったからでしょうが、なぜあなたはわたしの神を盗んだのですか」。

👉 盗みが罪とされていたことがわかります。

【創世記 44章8節】
袋の口で見つけた銀でさえ、カナンの地からあなたの所に持ち帰ったほどです。
どうして、われわれは御主人の家から銀や金を盗みましょう。

👉 ここでも盗みが道徳的価値観から外れている行為だと示されています。


【第九戒】あなたは隣人となりびとについて、偽証ぎしょうしてはならない。

【創世記 12章18-19節】(アブラハムの偽り)
パロはアブラムを召し寄せて言った、「あなたはわたしになんという事をしたのですか。なぜ彼女が妻であるのをわたしに告げなかったのですか。あなたはなぜ、彼女はわたしの妹ですと言ったのですか。わたしは彼女を妻にしようとしていました。さあ、あなたの妻はここにいます。連れて行ってください」。

👉 アブラハムは妻サラを妹と偽りましたが、その行為は非難されました。
これは、偽証が罪であったことが示されています。


【第十戒】あなたは隣人となりびといえをむさぼってはならない。

【創世記 3章6節】(エバが禁じられた実を欲しがる)
女がその木を見ると、それは食べるに良く、目には美しく、賢くなるには好ましいと思われたから、その実を取って食べ
、また共にいた夫にも与えたので、彼も食べた。

👉 欲望が罪の始まりであったことがわかります。


以上の事例は、すべて神がモーセに十戒を示す前の出来事です。


十戒はアダム創造の時からある


聖書は、十戒がモーセ以前の人々の「良心」に刻まれていたことを示しています。

【ローマ人への手紙 2章14-15節】
すなわち、律法を持たない異邦人が、自然のままで、律法の命じる事を行うなら、たとい律法を持たなくても、彼らにとっては自分自身が律法なのである。

彼らは律法の要求がその心にしるされていることを現し、そのことを彼らの良心も共にあかしをし
て、その判断が互にあるいは訴え、あるいは弁明し合うのである。

👉 つまり、神の律法(十戒を含む道徳的価値観)は、アダム創造の時から「良心」として組み込まれており、モーセ以前の人々も罪と正義の概念を持っていたことが分かります。

📍下の記事は、最初の人であるアダムとエバは、十戒を守っていたのかを考察したものです。


イエスが語る神の戒めを守る重要性


1. 「永遠の命を受けるには、何をしたらいいのか」の答え

【マルコによる福音書 10章17-19節】
イエスが道に出て行かれると、ひとりの人が走り寄り、みまえにひざまずいて尋ねた、「よき師よ、永遠の生命を受けるために、何をしたらよいでしょうか」。

イエスは言われた、
「なぜわたしをよき者と言うのか。神ひとりのほかによい者はいない。いましめはあなたの知っているとおりである。『殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証を立てるな。欺き取るな。父と母とを敬え』」。

👉 「永遠の生命を受けるために、何をしたらよいでしょうか」と尋ねられたときの答えが、十戒のうちの第五戒から第十戒でした。


2. 最も重要な戒め

【マルコによる福音書 12章28-31節】
ひとりの律法学者がきて、彼らが互に論じ合っているのを聞き、またイエスが巧みに答えられたのを認めて、イエスに質問した、「すべてのいましめの中で、どれが第一のものですか」。

イエスは答えられた、
第一のいましめはこれである、
『イスラエルよ、聞け。主なるわたしたちの神は、ただひとりの主である。心をつくし、精神をつくし、思いをつくし、力をつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。

第二はこれである、
『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ』。これより大事ないましめは、ほかにない
」。

そこで、この律法学者はイエスに言った、
「先生、仰せのとおりです、『神はひとりであって、そのほかに神はない』と言われたのは、ほんとうです。また『心をつくし、知恵をつくし、力をつくして神を愛し、また自分を愛するように隣り人を愛する』ということは、すべての燔祭や犠牲よりも、はるかに大事なことです」。

イエスは、彼が適切な答をしたのを見て言われた、
あなたは神の国から遠くない」。

それから後は、イエスにあえて問う者はなかった。

👉 これは、ユダヤの律法学者が戒めの中でどれが第一のものかと尋ねた場面です。

イエスは、モーセ律法に詳しい律法学者からの質問であったことから、モーセ律法の中から第一の戒めを述べました。

それが、申命記6章4-5節の「イスラエルよ聞け。われわれの神、主は唯一の主である。あなたは心をつくし、精神をつくし、力をつくして、あなたの神、主を愛さなければならない。」です。

また、聞かれていなかったにもかかわらず、第二の戒めを述べました。

それが、レビ記19章18節の「あなた自身のようにあなたの隣人を愛さなければならない。」でした。

このやり取りから、イエスの念頭には、十戒があったと思われます。
十戒のうち第一戒から第四戒を「第一の戒め」として、第五戒から第十戒を「第二の戒め」として、それぞれモーセ律法から引用し要約して見せたのです。
なんと粋なことをするのでしょうか笑

この答えに柔和な律法学者は感嘆し、それらは、「すべての燔祭や犠牲よりも、はるかに大事なことです」と応じました。
これに対しイエスは、「あなたは神の国に遠くない」と言ったのです。


3. 人間の伝統より神の戒めを優先すべきこと

【マルコによる福音書 7章6-13節】
イエスは言われた、
「イザヤは、あなたがた偽善者について、こう書いているが、それは適切な預言である、
この民は、口さきではわたしを敬うが、その心はわたしから遠く離れている。人間のいましめを教として教え、無意味にわたしを拝んでいる』。
あなたがたは、神のいましめをさしおいて、人間の言伝えを固執している」。

また、言われた、
あなたがたは、自分たちの言伝えを守るために、よくも神のいましめを捨てたものだ。
モーセは言ったではないか、『父と母とを敬え』
、また『父または母をののしる者は、必ず死に定められる』と。

それだのに、あなたがたは、もし人が父または母にむかって、あなたに差上げるはずのこのものはコルバン、すなわち、供え物ですと言えば、それでよいとして、その人は父母に対して、もう何もしないで済むのだと言っている。

こうしてあなたがたは、自分たちが受けついだ言伝えによって、神の言を無にしている
。また、このような事をしばしばおこなっている」。

👉 この箇所では、イエスがパリサイ派や律法学者たちを批判し、「人間の伝統よりも神の戒めを優先すべき」であることを強調しています。

この場面では、十戒の第五戒「父と母を敬え」を例に挙げ、彼らが宗教的な伝統によって戒めを無にしていることを指摘しました。


4. イエスが律法の重要性を語る

【マタイによる福音書 5章17-19節】
わたしが律法や預言者を廃するためにきた、と思ってはならない。
廃するためではなく、成就するためにきたのである。

よく言っておく。
天地が滅び行くまでは、律法の一点、一画もすたることはなく、ことごとく全うされるのである。

それだから、これらの最も小さいいましめの一つでも破り、またそうするように人に教えたりする者は、天国で最も小さい者と呼ばれるであろう。
しかし、これをおこないまたそう教える者は、天国で大いなる者と呼ばれるであろう。

わたしは言っておく。
あなたがたの義が律法学者やパリサイ人の義にまさっていなければ、決して天国に、はいることはできない。

  • 律法と預言者」とは、律法=モーセ、預言者=エリヤのことであり、旧約聖書を表します。

  • 天地が滅び行くまで」とは、新天新地の前、つまり、第七千年期の終わりまでのことです。

  • 最も小さいいましめ」とは、十戒のうち、短い言葉で書かれた戒めです。主に、第五戒から第十戒を指していると考えられます。ここでも、「律法」と「いましめ」とが使い分けられていることが分かります。この戒めを破ったり、破るように教える者は、天国で小さい者と呼ばれます(天国に入れるのかもしれませんが、報いは小さくなります)。

そして、モーセ律法や人の言い伝えを頑なに守っているパリサイ人(彼らも間違った守り方をしているが、形式的には守ろうとはしている)よりも、義が勝っていなければ天国に入れないと言っています。


5. イエスが戒めを守ることを求め、戒めを守ることを示す

【ヨハネによる福音書 14章15節】
もしあなたがたがわたしを愛するならば、わたしのいましめを守るべきである

【ヨハネによる福音書 15章10節】
もしわたしのいましめを守るならば、あなたがたはわたしの愛のうちにおるのである。
それはわたしがわたしの父のいましめを守ったので、その愛のうちにおるのと同じである。

👉「わたしのいましめ」とは、ヨハネ13章34節の「わたしは、新しいいましめをあなたがたに与える、互に愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互に愛し合いなさい。」を指しています。

この箇所について、「新たな戒めが与えられたのだから、古い戒め(十戒)は無効になった」などと、とんでもない解釈をする人がいますが、まったくの誤りです。
十戒に新たな戒め「互に愛し合いなさい」が追加されたのです。


イエスの弟子らが語る神の戒めを守る重要性


ヤコブの手紙

1. 神の言葉を実践することの重要性

【ヤコブの手紙 1章22-25節】
そして、御言を行う人になりなさい。おのれを欺いて、ただ聞くだけの者となってはいけない。
(中略)
これに反して、完全な自由の律法を一心に見つめてたゆまない人は、聞いて忘れてしまう人ではなくて、実際に行う人である。
こういう人は、その行いによって祝福される。

👉 戒めを守ることは、自分を欺かないために不可欠であり、実行する者は祝福されると述べられています。


2. 信仰と行いの関係

【ヤコブの手紙 2章14-17節】
わたしの兄弟たちよ。
ある人が自分には信仰があると称していても、もし行いがなかったら、なんの役に立つか。その信仰は彼を救うことができるか。
(中略)
信仰も、それと同様に、行いを伴わなければ、それだけでは死んだものである。

👉 信仰は行い(戒めを守ること)によって証明されるため、行いがない信仰は無意味であると強調されています。


3. 神の律法を守ることの一貫性

【ヤコブの手紙 2章10-12節】
なぜなら、律法をことごとく守ったとしても、その一つの点にでも落ち度があれば、全体を犯したことになるからである。

👉 一つの戒めを破ることは、神の全体の律法を破ることと同じ重さを持つため、戒めを大切に守ることが強調されています。


ペテロの手紙

4. 聖なる生活の勧め

【ペテロの第一の手紙 1章14-16節】
従順な子供として、無知であった時代の欲情に従わず、むしろ、あなたがたを召して下さった聖なるかたにならって、あなたがた自身も、あらゆる行いにおいて聖なる者となりなさい。

 

👉 戒めを守ることは、神の聖さに倣うことと結びついており、キリスト者の義務とされています。


5. 神の意志に従うこと

【ペテロの第一の手紙 2章15節】
善を行うことによって、愚かな人々の無知な発言を封じるのは、神の御旨なのである。

👉 善を行い、神の戒めを守ることが、神の御旨にかなう行為であり、証しとなると語られています。


6. 戒めに従うことは霊的成長につながる

【ペテロの第二の手紙 1章5-8節】
それだから、あなたがたは、力の限りをつくして、あなたがたの信仰に徳を加え、徳に知識を、知識に節制を、節制に忍耐を、忍耐に信心を、信心に兄弟愛を、兄弟愛に愛を加えなさい。
これらのものがあなたがたに備わって、いよいよ豊かになるならば、わたしたちの主イエス・キリストを知る知識について、あなたがたは、怠る者、実を結ばない者となることはないであろう。

👉 戒めを守ることは、信仰を成長させ、イエス・キリストをより深く知ることにつながると述べられています。


ヨハネの手紙

7. 神を知る者は戒めを守る

【ヨハネの第一の手紙 2章3-4節】
もし、わたしたちが彼(イエス)の戒めを守るならば、それによって彼を知っていることを悟るのである。
「彼を知っている」と言いながら、その戒めを守らない者は、偽り者であって、真理はその人のうちにない。

👉 神を本当に知っている者は、戒めを守ることによって証明されると明確に述べられています。


8. 神を知る者は戒めを守る

【ヨハネの第一の手紙 2章7-8節】
愛する者たちよ。
わたしがあなたがたに書きおくるのは、新しい戒めではなく、あなたがたが初めから受けていた古い戒めである。その古い戒めとは、あなたがたがすでに聞いた御言である。
しかも、新しい戒めを、あなたがたに書きおくるのである。そして、それは、彼にとってもあなたがたにとっても、真理なのである。なぜなら、やみは過ぎ去り、まことの光がすでに輝いているからである。

👉 古い戒めである十戒を書き送る。さらに、イエスの新しい戒めも書き送る。それは真理であると明確に述べられています。


9. 愛と戒め

【ヨハネの第一の手紙 5章2-3節】
神を愛してその戒めを行えば、それによってわたしたちは、神の子たちを愛していることを知るのである。
神を愛するとは、すなわち、その戒めを守ることである。そして、その戒めはむずかしいものではない。

👉 神を愛することと戒めを守ることは密接に結びついており、それは単なる義務ではなく、愛の表現であると語られています。


10. 罪を犯さない者が神に属する

【ヨハネの第一の手紙 3章6-9節】
すべて彼におる者は、罪を犯さない。すべて罪を犯す者は彼を見たこともなく、知ったこともない者である。
(中略)
すべて神から生れた者は、罪を犯さない。神の種が、その人のうちにとどまっているからである。
また、その人は、神から生れた者であるから、罪を犯すことができない。

👉 神に属する者は、罪から離れ、戒めを守る生き方をすることが示されています。


賢者ソロモンの結論


伝道の書 12章13節

すべてに耳を傾けて得た結論。
「神を畏れ、その戒めを守れ。」
これこそ、人間のすべて。


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